第38回 週刊朝日 編集長 山口一臣さん

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1922年創刊の週刊誌の老舗。数々のスクープや連載小説の名作を生み出してきました。一味違った視点でモノを見たり考えたりしたい人には、特にお勧めしたい雑誌です。
 

週刊朝日 表紙

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週刊朝日
発行間隔:週刊
発売日:毎週火曜日
出版社: 朝日新聞出版
編集長プロフィール
朝日新聞出版
「週刊朝日」編集長  山口一臣さん
編集長写真
やまぐちかずおみ 1961年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒。ゴルフダイジェスト社勤務を経て、89年朝日新聞社入社。『朝日ジャーナル』編集部の後『週刊朝日』へ異動し、事件&事件の日々を送る。デスク時代に北朝鮮拉致被害者関連の記事で下手を打ち、副編集長を解任、更迭。広報部、百科編集部を経て05年5月から再び副編集長、11月から、『週刊朝日』第41代編集長。
 

…読者が違うんです。これはうちの場合ですけど、雑誌の読者は中高年が中心、webは圧倒的に若い人。

なので、yahooなどの検索サイトに出しても、むしろ相乗効果が生まれるんです。web上にニュースが出るとPV数が桁違いですからね。それだけでは儲かりませんが、うまく棲み分けられて、相乗効果が生まれるのが理想ですかね。

―「朝日新聞」と随分論調が違ったりしますが、新聞から睨まれたりとかはないのですか。

週刊朝日から生まれたベストセラー
週刊朝日から生まれたベストセラー

今回の検察批判のときなどは、確かに現場の記者たちに迷惑をかけているかなといった自覚はあるんです。でも、それによって何か嫌がらせをされたりとかはありません。新聞と週刊誌はもともと立場が違って当然だし、また、どっかの雑誌みたいに記事を差し替えろといった検閲みたいなものもありません。結構そこは自由にやらせてもらってます

―週刊誌の現場って聞くと、本当に忙しい世界を想像しますが、「週刊朝日」ってどんなふうにつくられているんですか。

編集部員の深夜労働を支えるコーヒー・マシーン
編集部員の深夜労働を支えるコーヒー・マシーン

うちはだいたい火曜スタートの土曜シメキリです。企画というのはさみだれ式に出てくるのですが、土曜のデスク会で次の週のネタ出しをやって、次を決めていく感じです。なので、日、月曜日が公休なのですが、まず月曜は休めないですね。土曜に決めたネタをいろいろ動かし始めるので。そして火、水、木でダダダっと取材する。

週刊誌って実際はこの3日でつくるんです。で、木曜の会議でおおむね固めて、金、土曜で差し替えたり調整したりします。電車の中吊り広告書いたり、新聞広告、表紙に入れる文字などは金曜にやります。これでうまくいけば土曜の夜9時半に校了。でも実際は11時ころになっちゃうかな。で、一杯やって帰る、と。もうこんな生活を25年やってるわけですから、このペースがあってるんです。だから何月何日って言われてもよく分からない。日にちじゃなく曜日で言ってくれないと、何曜日にこれやって、でないとピンと来ないんですよ。

だから仕事で下手うって、広報部に飛ばされたときは、毎日定時には帰れるので世界が変わって見えましたよ(笑)

―では、そのあたりの話にいきましょうか(笑)。もともと山口さんは最初ゴルフダイジェストに入社されて、それから朝日に転職されていますよね。ゴルフ好きだったんですか。

いや、就職時期が近づいて、たまたまゴルフダイジェストに会社訪問に行ったら、青田買いですよね、入れてくれると。勉強してなかったので、大手の出版社とかは入れないだろうから、じゃあここに決めようと、それだけです。なんとなく楽しそうだからマスコミに行きたいなとは思ってましたが。

そして「チョイス」という雑誌でファッション担当などやらされて(笑)、2年目から「週刊ゴルフダイジェスト」。でも週刊誌のつくりの基本はここで学んだ気がします。当時バブル時代でゴルフ場がいろいろ事件に絡むことが多くって、それで新聞記者などから私が取材されたりしてるうち、少しずつ新聞や一般週刊誌の人たちと距離が近づいていったんです。

それから、家でたまたま朝日新聞読んでたら、「経験者募集」の告知が出ていたんです。何か縁を感じて、それでシメキリ最終日に履歴書を持参して、採用してもらったというわけです。当時の「朝日ジャーナル」の編集長が気に入ってくれたようで、外の世界を知っているジャーナリストとして幻想をいだいてくれたのでしょう(笑)。

―では「朝日ジャーナル」がスタートですか。

インタビュー中にも急用が入る編集長
インタビュー中にも急用が入る編集長

ええ。でも3年ですぐ休刊。その後「週刊朝日」に来て、記者やってデスク(副編集長)になった直後に、北朝鮮拉致被害者関連の記事で下手を打った。それで、副編集長解任更迭、停職10日の処分です。ちなみに、停職より重い処分は懲戒免職しかない。首の皮一枚だったんですよ(笑)。それから広報部へ異動になった、苦情受付係をやらされた。

でもね、ここでいろいろ学びましたね。いろんなクレームがくるんですが、先輩の対応などを見ていると実に奥深いものがあってね。みんな私が干されてるんだとか言ってましたが、結構人間観察やれて楽しんでました。自分で言うのもなんだけど、どんな仕事でも面白がれる、けっこう柔軟性のあるタイプなんですね(笑)。それと同時にシフト制なので、時間が自由になる。昼間に映画館で映画が観れるなんて、私は感動しましたよ。

それから百科編集部で子ども向けの科学週刊誌「かがくる」などをつくったり。ここも気に入って、ずっといたいと思っていたのですが、結局、また週刊誌に呼び戻されることになりました。実は戻るの嫌だってごねたくらいなんです。

―そうだったんですか。意外ですね。でもずっと挫折なく本流を歩いてきた人ではないだけに、味わいがありますよ。ジャーナリストの上杉隆さんにも同じ雰囲気を感じますが、ゴルフ仲間だと聞いてますが。

もともと上杉さんは「ニューヨークタイムズ」の東京支局にいて、それが朝日新聞社のビルにあったんです。「週刊朝日」との付き合いは、その頃からです。ゴルフは最近また再開して、かなりおもしろくなってきています。上杉さんや連載執筆陣の堀江貴文さんらと回ることもありますよ。

でも月1回が精一杯です。腕前は、調子がいいと90台で回れるかな、ってくらいですね。一応、ゴルフ歴だけは25年ってことなんですが……。

―記者や編集者の仕事がいままで以上に厳しい状況に置かれていると思いますが、この仕事は今後どう変わっていくと思われますか。

われわれの仕事って、情報を集めて編集して、新しい価値を付与していくことなんだと思うんです。もちろん商品の形態自体は変わっていくでしょう。紙からデジタルへの移行は避けられないと思います。将来的にはこれに音声や映像も加わって。とにかく過渡期にあるわけですね。かといってわれわれの仕事がなくなるということではないでしょう。

情報を集めて、お客さんの利便に合わせて並べ替える、編集するという仕事の本質は変わらないと思います。そうじゃないと、ぼくらは失業ですから、そうなるに違いないと半ば強制的に自分に言い聞かせているんですよ(笑)。あとは、それらをどうマネタイズしていくか、それを一生懸命考えていくしかないでしょうね。

―多くのメディアはユーザー・ジェネレイテッドなものへ、つまり読者がコンテンツを生成していくような流れにあるといいます。誰でも出版社、誰でもメディアといった流れですね。そんななかでジャーナリストのレゾンデートルってどうなっていくんでしょうか。


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プロフェッショナルなジャーナリズムと一般のそれとは違うものだと信じたい(笑)。おっしゃるように、普通の人でも「情報」を商品として流通させている現実はあります。またそれでいいって言う人もいるでしょう。

でも基本的に一般の人は、自分たちの知見の範囲でしか情報を処理できていないはずです。プロのジャーナリストは当事者に直接あたって第一次情報を取っています。一般の人がそれだけコストをかけて取材するのはなかなか難しいことではないかと思うんです。 ジャーナリストとしてのスキルを獲得するためにはやはり時間とコストがかかります。一般の人がプロと勝負するには、そこにハードルがある。

でも、いまは元来のマスメディアとは違う情報空間ができていますね。私などもTwitterをよく見て利用しています。いまでは、そんな新しい情報空間からメディアが逆に監視されていて、それがいい緊張感になっている気がします。最近のユーザーというか読者の目ってすごく肥えてるんです。だから本当のプロの見極めはできるし、場合によってはうまい立ち位置に立てる人も出てくると思いますね。

―編集長を次の人に譲るときが来たらどうするんですか。文化人でいくんですか。

また、それを言う(笑)。僕はとにかく編集長にはなりたかった。編集者という職業をやっている以上、そうでなきゃ嘘だと思うんです。自分の思い通りに雑誌をつくる魅力に勝るものはないですからね。だから、先のことなんて考えていませんよ。

会社が羽振りの良かったころ(笑)、「週刊朝日」編集長というのは、次へのステップだと考えられていた時期もある。でも、右肩下がりのこの時代に、そんなこと思って雑誌をつくっていたら売れませんよ。もともと中途採用なんで、出世には興味ないし(笑)。編集長が終わったら、またヒラの記者に戻して欲しいってのが正直な気持ちですね。


(2010年5月)

取材後記
山口さんと初めてお会いしたのは、確か作家の渡辺淳一さんのゴルフ・コンペでした。もともとゴルフダイジェスト社にいらしたと聞き、ゴルフも事件も作家付き合いもこなせる朝日の人などなんと貴重かと皆と話したことを覚えています。
今回も多忙にもかかわらずサービス精神旺盛にいろいろ話をきかせていただき、山口さんの守備範囲の広さ、時代を見る目の鋭さ、センスの真っ当さなど、この人がつくるものなら面白いに違いないと思わせるに充分な1時間半でした。
(でも、宣伝ポスターが流行の龍馬か?とささやかに突っ込んでおきましょうw)
週刊誌の仕事はとにかく激務でしょうが、その勤務形態がルーティーンになると、意外と気持ちよくやれるものだ、とはよく聞きます。1週間とい う単位は、神がこの世を創ったときからわれわれの体内時計に組み込まれた、ひとつのくぎりのいい単位なのでしょうか。
だから気持ちいいペースでやれる。そうなら週刊誌というのは形をかえても存続していくメディアなのかもしれませんね。
わたしも古い版元で長く仕事をしてきたからか、雑然とした編集部に足を踏み入れると、どこか我が家に帰ってきたような懐かしい気持ちになります。ただ、この懐かしい雰囲気もデジタル化の中で整然と整備されていくのでしょうか。
かつて、わたしのボスだった編集長のひとりに月刊誌「中央公論」の青柳さんという人がいました。この人の岳父が扇谷正造、「週刊朝日」の中興の祖です。青柳さんは他界されましたが、彼の編集術は扇谷正造ゆずりだったと銀座のバーで何度か聞かされました。編集部に入ったとき、ふとそんなことを思い出し、妙な縁を感じたりしています。

小西克博写真

インタビュアー:小西克博

大学卒業後に渡欧し編集と広告を学ぶ。共同通信社を経て中央公論社で「GQ」日本版の創刊に参画。 「リクウ」、「カイラス」創刊編集長などを歴任し、富士山マガジンサービス顧問・編集長。著書に「遊覧の極地」など。

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