7000人が暮らしているけれど… 10年でここまで変わった! オランダ日本人コミュニティの衰退とそれでも「攻める」意外な企業

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7000人が暮らしているけれど… 10年でここまで変わった! オランダ日本人コミュニティの衰退とそれでも「攻める」意外な企業

オランダ船が日本に漂着し、平戸で日蘭貿易が開始されたのが1609年。以来4世紀にわたり、両国は友好関係を育んできた。日本の鎖国時代も、オランダとの交流だけは途切れることがなかった。

その絆は現在にも引き継がれ、オランダには300社以上の日本企業が進出し、約7000人の日本人が暮らしている。日本企業のオランダ経済への貢献度は高く、オランダにおいて日本は大きな存在感を示してきた。ところが──。

日本人が数多く暮らすアムステルフェーンの街並み

日本人の大半が生活するアムステルフェーン
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「ホテルオークラの日本料理店『山里』から日本人客の姿が消えた!」
「名門ゴルフクラブの日本人会員の数がついにゼロに!」
「日本人駐在員が車でなく電車通勤を始めた!」

バブル崩壊直後の話ではない。この10年で、アムステルダム周辺の在住日本人の暮らしぶりが「激変」したことを物語るエピソードである。

アムステルダムの「山里」は、ミシュラン1つ星を獲得している日本料理の店で、クオリティは欧州一といわれる。昼時は近隣で働く日本人で賑わい、社員食堂のようだった──そう、10年前までは。

ところがいまは、日本人客を1人も見かけない。アムステルダム勤務の駐在員に、ランチを外でゆっくり食べる時間的余裕・金銭的余裕がなくなったためだという。代わって日本人ビジネスマンに重宝されているのは、弁当のデリバリーだ。

かつてはアムステルダムでもゴルフを楽しむ日本人がたくさんいた。日本人女性で構成する同好クラブはメンバーが20人を数えることもあったが、いまは会員不足で解散してしまった。名門クラブの法人会員も減っている。若い駐在員のゴルフ離れもあるが、「マイカーがないから行けない」というのがおもな理由だ。

オランダに家族連れで赴任したら、ご主人が社有車を、奥様はもう1台小さな車をリースするというのが10年前までは一般的だった。いま、アムステルダムのビジネス街に車で通勤する日本人は少ない。駐車料金が高いからだ。日本人幼稚園の前には、送迎する親たちの「自転車」がズラリと並ぶ。

幼稚園のお迎えは自転車がスタンダードに

幼稚園のお迎えは自転車がスタンダードに


新興勢力はここでもインド!

一方で、存在感を強めているのがインド人だ。インド企業が進出してきているわけではない。オランダに単身乗り込んで、現地採用枠でオランダのIT企業や多国籍企業に就職する。そんなタフなインド人が増えており、ついにはアムステルフェーン市で最大の外国人コミュニティを形成していた日本人を追い抜いた。

同市で長年日本が守ってきた外国人居住者数ナンバーワンの座は、こうしてインドに奪われた。

アムステルダムに隣接するアムステルフェーン市は、人口約8万5000人。うち14%を、海外からの赴任者とその家族が占める。なかでも日本は一大勢力(2013年時点で1524人)で、市内には日本の幼稚園や日本語で受診できる医療施設もあり、日本人が安心して暮らせる環境が整っている。

日本人居住所が多いアムステルフェーンの市役所PHOTO: MASATAKA NAMAZU / COURRiER Japon

アムステルフェーン市役所には日の丸がはためくことも
PHOTO: MASATAKA NAMAZU / COURRiER Japon


秋に日本文化を紹介する「ジャパン・フェスティバル」がアムステルフェーンで開催されているが、今年はその前日に「インド・フェスティバル」が開催され、話題をさらった。

インドの台頭を実感させられる“事件”だったと地元の人は言う。

近年の日本経済の不調は、オランダの日本人社会にもさまざまなかたちで影響を及ぼしている。会社負担を軽減するため、駐在員は若手の単身者が多くなった。子供がいる場合も、インターナショナルスクールより学費の安い日本人学校を選ぶケースが増えているという。



ヨーロッパの駐在員は「日本からのお客さん接待が仕事」といわれた時代もあったが、日本経済の低迷に伴い、駐在員の生活は地味化の一途。そんな優雅な暮らしからはほど遠く、朝は早く、夜遅くまで仕事に追われる毎日。「日本にいる以上に大変」とこぼす人もいる。

オランダ在住歴30年の石田利枝子さんは、こうした日本人コミュニティの変遷を目の当たりにしてきた1人だ。

「いまでこそアムステルダムはすごく刺激的で面白い街ですが、30年前はけっこう貧乏臭くて、暗いところでした。日本人も、いまの半数もいなかった」

石田さんはオランダ人男性との結婚を機に移住し、エラスムス大学でMBAを取得。その後、電通のホールディング会社設立に携わるなど、さまざまな日系企業とかかわってきた。2004年に日本語のニュースサイト「ポートフォリオ」を自身で立ち上げ、オランダとベルギーのメディアが報じるニュースを現地在住の日本人向けに発信している。

オランダのニュースを日本語で配信するサイトを運営している石田さん

オランダのニュースを日本語で配信するサイトを運営している石田さん

オランダと日本、双方の経済動向を見つめてきた石田さんは、日本企業の昨今の停滞ぶりに落胆を隠さない。

ヤクルト「大成功」の理由

だが、そんななかでも勢いを感じる企業もあるという。そのひとつが、乳酸菌飲料メーカーのヤクルトだ。

「じつは、あのヘンテコなボトルがヨーロッパで売れるわけないと私は思っていたんです」と石田さんは20年前を振り返る。

「なんだか古めかしい感じがして。ところが、世界中でヤクルトの工場を立ち上げてきた方が1人で赴任してきて、大成功させてしまった。いま、オランダのスーパーマーケットではどこでも普通に売られています。値段は日本より高いのですが、若い女性が『肌にいいから』と買っていくんです」

アムステルダム市内のスーパーでヤクルト発見!

オランダのスーパーに並ぶ、おなじみのあのボトル


ヤクルトヨーロッパは、1994年にアムステルダムから30km離れたアルメーレ市に工場を設立。いまでは1日に70万本を製造しており、オランダだけでなくベルギー、ルクセンブルク、英国、アイルランド、ドイツ、オーストリア、イタリア、マルタ、フランス、スイス、スペインに販売地域を広げている。

「ダノンが同じような商品を、すごくきれいなパッケージデザインで出したのですが、ヤクルトのほうが売れているんですよ」

オランダという乳製品大国で、新たな市場を開拓したヤクルト。アルメーレの工場には、年間1万人もの見学者が訪れているという。

美術館に先端材料を提供した帝人

合成繊維大手の帝人は2012年、アムステルダム市立美術館のリニューアルオープンに際し、大きな注目を集めた。美術館の新館増設にあたり、オランダの現地法人テイジン・アラミドが製造する最先端の防弾素材(3億円相当)を提供したのである。

巨大なバスタブのような新館は、世界的に有名な美術館が立ち並ぶミュージアム広場において、ひときわ異彩を放っている。

帝人が主要スポンサーとなっているアムステルダム市立美術館。噂の“バスタブ”

帝人が主要スポンサーとなっているアムステルダム市立美術館
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オランダはフィリップスやユニリーバ、シェルといった多国籍企業が本拠を構えることでも知られ、経済活動は極めて活発だ。2016年の世界経済フォーラム「国際競争ランキング」では、5位につけている。

安定した経済環境、競争力のある税制度、ヨーロッパの中心に位置するという地理的利便性から、多くの日本企業も、オランダに欧州本部を置いてきた。

「規模でいえばキヤノンが大きかったのですが、現在、キャノンヨーロッパの本部は英国に移ってしまいました。でも、Brexitでそうした企業がオランダに戻ってくるという噂があるんです」

英国がEUからの離脱を決めたことで、ヨーロッパの拠点を再びオランダに移す日本企業が続出するのではないか。そうなれば、オランダの日本人コミュニティも活気づくかもしれない──石田さんはそう期待を寄せている。

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