「英語が通じる」「行けば何とかなる」は本当? オランダに飛び込んで起業した日本人に直撃取材してみたら

PHOTO: TOM BONAVENTURE / GETTY IMAGES

「英語が通じる」「行けば何とかなる」は本当? オランダに飛び込んで起業した日本人に直撃取材してみたら

2014年に労働ビザの条件緩和のニュースが流れる前から、オランダという国にビジネスチャンスを見出していた日本人がいる。また、事業がはじめやすいと聞いて飛び込んでみた、という人もいる。アムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグの3都市でそれぞれ起業した日本人3人に、その実情を語ってもらった。

家族4人で移住したコンサルタントが断言!
「オランダはやっぱり住みやすかった」

妻と子供2人、家族全員でのオランダ移住──ロッテルダムでコンサルティング事業「JN Connect」を展開する渡邉俊幸さん(38)の移住計画は、そこがベースラインだった。国際基督教大学を卒業後、自治体職員や民間気象会社、シンクタンクを経て、オーストラリアの大学院に留学。水害時における気象情報の伝えかたについて研究した。

しかし、「海外で働きたい」という思いを諦めなかった渡邉さんは、卒業後に日本へ戻らず、次の人生のスタート地点としてオランダを選んだ。「事業を起こすことに最も寛容そうな国」がオランダだったからだ。
水害対策の先端を行く国であり、興味分野とも一致している環境。さらに子育てのことを考えると、ほかにはない条件の良さだった。

途中で事業を変えるのもアリ?

2014年8月にオランダに渡航し、同11月に個人事業主としての在留許可を取得。現地にわずかなツテしかなく、事前情報は主にインターネットから得るくらいだったという。生活に不安はなかったのだろうか。

「不安はたくさんありました。留学先のオーストラリアにいたオランダ人って皆、物言いがストレートすぎたんです。でも住んでみて気づいたのは、皆が『言わないとわからないでしょ?』と考えているということ。その分、相手に納得してもらえれば、話が進むのも早いんです」

オランダにはメール返信が早く、整理整頓好きな人が多いところが日本と似ている、と渡邉さん

オランダ人はメール返信が早く、整理整頓好きなところが日本と似ている、と渡邉さん

移住に必要な手続きなどの情報を、「誰かのためになるから」とブログで発信しているうちにどんどん問い合わせが増えていき、オランダ進出サポートがさらに多忙に。水害の仕事も続けていたが、自然とコンサルタントとしての仕事がメインになっていった。

オランダでは、「いまはコンサルティング事業をしているけれど、やっぱり飲食店経営がしたい」といった変更も許されるという。「こんなに自由がきく国は、世界中見回してもあまりないでしょうね」と渡邉さんは微笑む。

いい意味で放っておいてくれる

ロッテルダムから首都アムステルダムまでは電車で最短40分ほど。ロッテルダムは家賃も比較的安く、また歩行者道路が多く安全であることなどから、家族向きの街でもある。渡邉さんは暮らしはじめて、この街が肩肘張らずに住める場所であることを実感していったそうだ。

一緒に移住した奥様は「オランダでの学位があれば、現地での就職活動にプラスになるはず」と、ロッテルダムの大学院に1年間通った。卒業し、いまは現地のIT企業「Icecat(アイスキャット)」で日本市場担当のマネージャーをしている。渡邉さんはこう話す。

「それでも、英語以外のヨーロッパの言語が求められることが多いので就職先を探すのはやっぱり大変そうでした。100社以上に履歴書を送って……」

奥様は週5日働いているが、そのうち2日間は半日勤務。それでもオランダ人から「子供が2人もいるのに働きすぎ」と見られているという。子供1人につき平日を1日休む、というのがスタンダードなのである。

港湾都市ロッテルダムでは、水辺に近代的なビルやアパートが立ち並ぶPHOTO: MASATAKA NAMAZU / COURRiER Japon

港湾都市ロッテルダムでは、水辺に近代的なビルやアパートが立ち並ぶ
PHOTO: MASATAKA NAMAZU/ COURRiER Japon


英語を話せる人が多く、オープンでフラットな文化があることも、渡邉さん一家の暮らしを快適にさせている。人種差別的な発言で嫌な思いをさせられたこともないそうだ。

「アジア人が珍しいとは思われているかもしれません。けれど、特別にお客さん扱いされることもないし、いい意味で“放っておいてくれる”んです。けれど困っていたら『当たり前のことだから』という感じで助けてくれることもたくさんあります」

ダイレクトに物を言うオランダ人だからこそ、人助けも直球というわけだ。

業界のキーマンとも繋がりやすい

渡邉さんのもとにはあらゆる年齢層からの問い合わせが来るが、実際に移住にまでこぎつけるのは全体の約1割ほどだという。意外と少ないのが30〜40代からのもの。子育てが終わり海外で仕事がしてみたいという50代や、海外経験がある人からの問い合わせも多い。
逆に帰国してしまう理由には、家の事情や経済的な事情があるという。

渡邉さんが相談に乗るときに最も気をつけているのは「判断に必要な情報をもれなく提供する」ということ。オランダは制度がよく変わる国なので、本人がやりたいことをよく聞いて整理した上で、判断してもらうそうだ。
では、移住するにはどんな素質が必要になるのだろうか。渡辺さんは言う。

「思い切りのよさ、かもしれませんね。制度の変更や家庭環境など、想定外のことはどうしても起こりますから。月並みな言いかたですが、『オランダ、楽しいよね』とポジティブに考えられる人が、成功している人にも多いんです」

確かに、オランダは人口1700万とヨーロッパのなかでも小国である。しかし、だからこそ枠にとらわれずに起業できたり、業界のキーマンと繫がれたりする特権があるという。

「オランダを拠点にしてEUを見たり、海外を行き来している人たちと繋がることもできます。ほかの国で面白ことをやっていたら、実はオランダ人が絡んでいた、というのはよくある話なんです」

PHOTO: MASATAKA NAMAZU / COURRiER JAPON

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いまは水害関係の仕事も続けており、フランスでのカンファレンスに参加することもあるという渡邉さん。オランダにいながら、オランダ“だけ”にいるわけではない──そんな視点が持てるのが、この国の面白さでもあるようだ。


「市場が成熟していないからこそチャンス」
ラーメン未開拓地オランダで勝負をかける

一方、EU圏を自由に行き来したのちに、オランダで起業したという強者もいる。2016年10月末にラーメン屋「SORA」をオープンさせた藤田心さん(40)だ。

店はアムステルダム中央駅からトラムで約10分ほどのところにあり、地中海料理やインド料理といった各国のレストランがある通りに面している。取材に訪れたのはオープンから13日目のことだったが、開店直後から客足が絶えなかった。

札幌市出身の藤田さんは地元で料理人としてスタートし、これまで6ヵ国で調理の経験を積んだ。ドイツのデュッセルドルフで1年8ヵ月働いたのち、アムステルダムに移り住んできたのは、2016年に入ってからのことだった。

デュッセルドルフからSORAのために移り住んできてくれたメンバーと

藤田さん(写真中央)、デュッセルドルフから移り住んできてくれた石田さん(左)と樹里さん(右)


立ちはだかる「営業権」という壁

しかし、SORAの立ち上げは一筋縄ではいかなかった。ヨーロッパ諸国に多く残る「営業権益」の壁が立ちはだかったのだ。

これは飲食業における既得権益のことで、前のテナントから営業権を譲り受けるために一定金額を払わなければならないというもの。店舗のロケーションやサイズによるが、200平方mほどの店舗がアムステルダム中央駅の近くで5000万円、SORAのある地区でも2000万円はくだらないという。

となると、若い人が起業するのはまず無理に近い。それに、投資家を探すのも簡単ではない。しかし藤田さんは、クラウドファンディングをはじめとしたあらゆる手段で日本とオランダから資金を集め、開店にこぎつけた。“オール借金経営”という覚悟だった。

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開店準備はわずか3ヵ月

藤田さんはEU圏内でシェフとしての経験があるため、比較的労働許可が取りやすかったという。いまは自営業として労働許可を得ているが、オランダ人も含めて、この事業形態でビジネスをはじめる人が95%以上だそうだ。

「オランダはワークシェアリングが進んだ国なので、たとえば自分で手作りしたものを売る場合でも、いったん法人化することが必要なんです。まずは皆、そこからのスタート。日本でいう株式会社にするのは、ずっと後の話ですね」

これまで7軒の飲食店の立ち上げ経験がある藤田さんが、SORAの開店にかけた期間はわずか3ヵ月。メンバーは知り合いからの紹介か、藤田さんの後を追って来てくれたデュッセルドルフ時代の仲間の6人。人材募集をかけたことはない。

ではなぜデュッセルドルフに留まらなかったのか? それには、すでに現地が“開拓され尽くした感”があるからだという。
日本人駐在員の多いこの地では、すでに多くの和食レストランが並んでいる。そのため、「ほかの都市で、自分が一から勝負を賭けられる場所を」と探した先がアムステルダムだった。

カナダでの調理経験があるため英語も問題なく、ほかのヨーロッパの国と比べて暮らしへのストレスも少ない、と藤田さんは話す。

「人口の約10%が外国人ですから。街なかにいても不安はないですね」

暖かくなったら、ガラスで仕切られたテラス席でも味を楽しんでもらう予定とのこと

暖かくなったら、ガラスで仕切られたテラス席でも味を楽しんでもらう予定とのこと


「和食が成熟していない」というチャンス

そんな“外国人慣れ”している街ということもあってか、取材中も店の外に置かれたメニューを熱心に覗き込んでいるのは、地元のオランダ人らしき人ばかりだった。実際、フェイスブックやレビューサイトに書き込みをしてくれるのも、ほとんどが地元の人である。

店舗のウェブサイトは開店とほぼ同時に作った。というのも、同国ではインターネットが発達しており、社会保障や公共料金の手続きなどもすべてネット経由。そのため飲食店についても、「ネットに情報がなければ、存在していないも同然」と思われる“逆転現象”も起きているくらいだ。

オランダでラーメン屋を構えることのメリットについて、藤田さんはこう続ける。

「パリやロンドン、デュッセルドルフに比べて、アムステルダムはまだまだ開拓の余地がありますよ。ラーメン屋が圧倒的に少ないですから。和食の老舗はあるのですが、僕たちにはもっといろんなことができるんじゃないかと思っています」

実際、オランダ人受けを意識してアレンジを加えることもある。たとえば「極上札幌黒味噌ラーメン」は、札幌から麺を調達するなど日本らしさにこだわりつつも、黒にんにくオイルを加えてパンチの効いた味に。すでに看板メニューになっている。

一番人気の極上札幌黒味噌ラーメン、17€

一番人気の極上札幌黒味噌ラーメン、17€


いずれはヨーロッパで店を増やしていきたい、と藤田さんは静かに語る。

「SORAのメンバーのほぼ全員が飲食店でのマネージャー経験があるので、それが強みになると思っています。けれどいまは地に足をつけて、まずはオランダで成功させたいですね」


弁当でオランダ人を未知の世界に引き込む
「 新たなジャンルを、本物の味で切り拓きたい」

アムステルダム市内から特急電車で約50分。国会議事堂や総理府などの政府機関が集まる第3の都市デン・ハーグがある。ここで手作りのお弁当を展開するのが、「吉弁当 Yoshi Bento」だ。

2014年11月以来、メインシェフの吉崎潤さん(42)は奥様と、日本人シェフの3人で、弁当を自宅からデリバリーする形で提供してきた。

吉崎さんは長年料理人として経験を積んだ後、7年前、従姉妹や友人がデン・ハーグに住んでいたことで移住を決意。5年ほどレストランに勤務してから独立した。

注文が入ってから完成までは約30分。時間との勝負だPHOTO: ATSUSHI HARADA

注文が入ってから完成までは約30分。時間との勝負だ
PHOTO: ATSUSHI HARADA


レストランを辞めてから5ヵ月ほどでの開業。移住したときは被雇用者としての労働許可を得たため、個人事業主に切り替えて会社を登録した。

開業当初、以前の職場の人たちが口コミに協力してくれたり、注文してくれたりしたそうだが、それもこの地での経験があるからこそ。 開業した理由について、吉崎さんはオランダで“和食が浸透していなかったから”と話す。

「和食って寿司だけではないですよね。洋食と融合した和食を、僕らは日常的に食べています。たとえば、海老フライやトンカツ。そんな和食をオランダで出したらうけるだろうな、と思ったんです」

そんな発想も、長年のレストランでの経験が生きている。

「まかないを頼まれたので簡単なものを、と思ってカツ丼を作ったら『見た目はひどいけど、本当に美味しい!』とリアクションが返ってきたんです」

「日本に旅行したときに食べて以来、2年ぶり」とオランダ人に喜ばれたこともあるそうだ。

PHOTO: ATSUSHI HARADA

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11時間働いて時給5ユーロ!?

営業日は注文が入ったらすぐ作りはじめられるように、いつでも臨戦態勢だ。朝11時から仕込みをはじめ、ランチとディナー分を作り、すべての片付けを終えるのが22時頃。吉崎さんは「時給にすると5ユーロくらいですよ」と笑う。

「食材の数を間違えられることは、ごくたまにあります。魚の場合、お客さんに出せるクオリティのものはスーパーで手に入らないので、注文をキャンセルすることもありますね」

仕事上避けられないトラブルもあるが、レストランで働いていたときも同じような経験をしていたので問題ない、と吉崎さんは話す。

由緒ある建物が立ち並ぶデン・ハーグPHOTO: MASATAKA NAMAZU / COURRiER JAPON

由緒ある建物が立ち並ぶデン・ハーグ
PHOTO: MASATAKA NAMAZU / COURRiER JAPON


いまは1日平均で20〜30個の注文があるが、そのうち30〜40%が日本人からのもの。ほかほかのお弁当をできるだけ美味しく食べてもえるよう最新の注意を払い、遠方へは奥様の協力も得て配達している。

注文は近隣在住の人から入ることが多く、旧ユーゴ国際刑事裁判所や国際司法裁判所の日本人職員からは、週に3〜5回も連絡が入る。そうした人たちとの新たな出会いもまた、この仕事の醍醐味だという。

「配達している感覚でいうと、デン・ハーグに住む日本人は300~400人くらいでしょうか。正直、日本人がこんなに住んでいると思いませんでした」

とはいえ、過半数の注文が日本人以外からのもの。オランダ語での注文を大方理解できるので英語で答えると、そのまま会話が続くそうだ。

一方、「オランダ人は食に対して保守的で、知らないものをあまり食べたがりません」という吉崎さんは、一品一品の料理に手間暇をかけ、食べる人を驚かせる。

たとえばケータリングの前菜でスズキの昆布締めを作ったときには、ポン酢のゼリーを乗せるという変化球を。「お刺身はお醤油で食べるものだと思っていたけれど、おいしい!」と喜ばれた。サツマイモとエビのかき揚げ丼を提供すると、お皿が空っぽになったという。

「新しいジャンルを、 本物の味で切り拓いていきたい」と話す吉崎さん。日本の味を大切にしつつ、さまざまな方法でオランダ人を食の“未知の世界”に引き込んでいる。

PHOTO: ATSUSHI HARADA

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条件がどうであれ、海外で起業するのは簡単なことではない。けれどまずは飛び込んで努力を重ね、心をオープンにしておくことが、オランダで成功する秘訣なのかもしれない。

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