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..」篆刻96般若心経を書く52山崎秀?が教えるデザイン書道の極意60素晴らしき文房四宝の世界69書の古典を知る84全国の書道用品店初心者にもおすすめ112書をたしなむなら知っておきたい日本の書道展..
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..ぐ隣に置いて書ばかり書いていたんです。ですから翔子は揺りかごの中から、私が書を書いているのを見て、自然と筆の正しい持ち方を身に着けたのでしょう」││教えていなかったのですか。泰子さん「はい。孤独..
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..ごの中から、私が書を書いているのを見て、自然と筆の正しい持ち方を身に着けたのでしょう」││教えていなかったのですか。泰子さん「はい。孤独で苦しい時間をしのぐために、翔子と二人で一緒に書いてきただ..
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..、翔子と二人で一緒に書いてきただけなんです」││お母さんから教わることなく、翔子さんの書はどうして上達していったのですか。泰子さん「翔子は知的障害で、全てとは言わないけれども教えたことは身につき..
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..のぞいて8時間くらい書いていましたね。一行書いては休むのを繰り返して、4日でひとつを完成させていました」││そのときも厳しく?泰子さん「どうしても叱ってしまうわけですよ。だけど翔子は『辞めたい』..
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..いていましたね。一行書いては休むのを繰り返して、4日でひとつを完成させていました」││そのときも厳しく?泰子さん「どうしても叱ってしまうわけですよ。だけど翔子は『辞めたい』とは言わないで、私の言..
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..こぼす。それでも一行書いた後、私に『ありがとうございます』と言ってくれるの。その言葉につられて、さらに般若翔子の書が上達したのは、私を喜ばせるため金澤泰子1962年、明治大学に入学。柳田泰雲、泰..
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..さんが10歳のときに書いた『涙の般若心経』。紙のところどころに涙の跡が残り、その懸命さが見るものの胸を打つ,{8C5EAF7B-4B1A-46E8-A281-36FC65A79B84}10,10..
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..ころどころに涙の跡が残り、その懸命さが見るものの胸を打つ,{8C5EAF7B-4B1A-46E8-A281-36FC65A79B84}10,10心経を書くのを続けて」││泣きながら書いたから『涙..
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..9B84}10,10心経を書くのを続けて」││泣きながら書いたから『涙の般若心経』と呼ばれるようになったのですね。この作品が世に出たきっかけは?泰子さん「当時、書道センターの方が家に出入りして..
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..4}10,10心経を書くのを続けて」││泣きながら書いたから『涙の般若心経』と呼ばれるようになったのですね。この作品が世に出たきっかけは?泰子さん「当時、書道センターの方が家に出入りしていたんで..
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..けて」││泣きながら書いたから『涙の般若心経』と呼ばれるようになったのですね。この作品が世に出たきっかけは?泰子さん「当時、書道センターの方が家に出入りしていたんですよ。翔子が書いた般若心経をそ..
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..いたんですよ。翔子が書いた般若心経をその方が見て、すごくいいからひとつ欲しいと。10年後、翔子が初の個展を開いたときに、その方が『この般若心経も飾ってはどうですか』と持ってきてくださったの。私は..
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..気持ちの結晶が、人の心に届いたのかもしれません。上手さでいったら、たいしたことはないんですよ。近所の子供に同じ時間を費やせたら、もっと上手に書けたと思います。だけど、何かが詰まっていたのでしょ..
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..│そこまでして楷書を書かせたのは、基本だからですか?泰子さん「基本中の基本ですよね。書は楷書から始まって楷書に終わると言われます。書は字だから、形がある程度わからなければだめ。出来あがった字があ..
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..ると言われます。書は字だから、形がある程度わからなければだめ。出来あがった字があるわけですから、きちっと臨書を重ねること。自分の個性が出てくるのはそれからだと思います」││翔子さんにも楷書の臨..
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..ばだめ。出来あがった字があるわけですから、きちっと臨書を重ねること。自分の個性が出てくるのはそれからだと思います」││翔子さんにも楷書の臨書はやらせたんですか?泰子さん「臨書というか、私も翔子..
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..と伝えられている)の字を、ずいぶんとやりました」││翔子さんは欧陽詢がお好きだったんですか?泰子さん「夢中で書いていましたね。欧陽詢って1400年前の人ですけど、それ以降、楷書で欧陽詢を超える..
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..か?泰子さん「夢中で書いていましたね。欧陽詢って1400年前の人ですけど、それ以降、楷書で欧陽詢を超える字を書いた人がいないんですよ。それを柳田流の泰雲先生あたりから研究して、泰山先生が今、確立..
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..楷書で欧陽詢を超える字を書いた人がいないんですよ。それを柳田流の泰雲先生あたりから研究して、泰山先生が今、確立させたわけ。だから欧陽詢の字は、泰山先生が一番上手いですよ」││翔子さんに楷書を徹..
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..で欧陽詢を超える字を書いた人がいないんですよ。それを柳田流の泰雲先生あたりから研究して、泰山先生が今、確立させたわけ。だから欧陽詢の字は、泰山先生が一番上手いですよ」││翔子さんに楷書を徹底して..
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..わけ。だから欧陽詢の字は、泰山先生が一番上手いですよ」││翔子さんに楷書を徹底して習わせたのは正解でしたか。泰子さん「はい。般若心経を書いたときに、叱られながらも体に染み込ませていったものが楷..
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..ん「はい。般若心経を書いたときに、叱られながらも体に染み込ませていったものが楷書だったから良かった。楷書ができれば、後はどうにでもなりますから」無心で無欲だからこそ何かが降りてくる││翔子さんが..
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..私が使っていたもので書いてます。たまに行書を長鋒で書きたいなんて言いますけど、筆は太さ、大きさでしか選びません。岩手の草野心平記念文学館では、ほうきで書を書いたこともありましたね。手違いがあった..
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..。たまに行書を長鋒で書きたいなんて言いますけど、筆は太さ、大きさでしか選びません。岩手の草野心平記念文学館では、ほうきで書を書いたこともありましたね。手違いがあったのか、席上揮毫があると知らなか..
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..びません。岩手の草野心平記念文学館では、ほうきで書を書いたこともありましたね。手違いがあったのか、席上揮毫があると知らなかったんです。当然、大筆は持ってきていません。なので、ほうきを切ったもの..
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..館では、ほうきで書を書いたこともありましたね。手違いがあったのか、席上揮毫があると知らなかったんです。当然、大筆は持ってきていません。なので、ほうきを切ったもので書いたんです」││見方を変えれば..
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..ほうきを切ったもので書いたんです」││見方を変えれば、筆を選ばない書家ということですね。泰子さん「そうですね、ほうきでも書けちゃうくらいですから、選ばない。だけど、道具を選ばないのは、書家とは言..
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..や硯は自分で選ぶし、書く文言も自ら決める。でも、翔子は辞書も引けないから、書くものは私が決めているんです。一人前の書家ではないから『ダウン症の書家』としているんです。ダウン症を利用していると言小..
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..辞書も引けないから、書くものは私が決めているんです。一人前の書家ではないから『ダウン症の書家』としているんです。ダウン症を利用していると言小さい体ながら大きな筆を豪快に操る翔子さん。紙と相対する..
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..しく無心。その純粋な心が、人を感動させる書を作り上げる『涙の般若心経』は、私と翔子の気持ちの結晶です,{78E6DF4F-3F7A-4BC9-94E9-2E058BBB3DFC}11,11われ..
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..配置に、風神、雷神と書きました」││まさに降りてきた瞬間ですね。泰子さん「ええ。その話には実は後日談があるんです。翔子に宗達の絵を見せたあとに書かせてみたんですけど、全然だめ。見てしまうとそっち..
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..達の絵を見せたあとに書かせてみたんですけど、全然だめ。見てしまうとそっちに寄せてしまうから、面白くない。最初に書いた『風神雷神』に秀でるものは、もうできない。降りてきたものに対しての2度目を書け..
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..、面白くない。最初に書いた『風神雷神』に秀でるものは、もうできない。降りてきたものに対しての2度目を書けといっても無理ですよね」││なぜ、翔子さんには降りてくるのでしょうか。泰子さん「翔子はお金..
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..のに対しての2度目を書けといっても無理ですよね」││なぜ、翔子さんには降りてくるのでしょうか。泰子さん「翔子はお金のことも、出世のこともわからない。本当に世俗の欲望がないわけ。心にあるのは、人に..
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..俗の欲望がないわけ。心にあるのは、人に喜んでもらいたいという愛だけなんですね。そういう無心で書く人には、降りてくるんでしょうね」東日本大震災にショックを受けた翔子さんは、被災者を応援したい、共..
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..すね。そういう無心で書く人には、降りてくるんでしょうね」東日本大震災にショックを受けた翔子さんは、被災者を応援したい、共にありたいという気持ちから「共に生きる」という書を書いたインタビューにも出..
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..に生きる」という書を書いたインタビューにも出てくる『風神雷神』。力強い筆運びが一瞬の迷いも感じさせないこの書は、建仁寺で宗達の屏風と並び保管されているダウン症の天才書家・金澤翔子の書,{5B02..
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..人・岡麓による看板が残っている。店内には天龍寺管長による「喫茶去」という筆もある。大正14年築の店舗も趣がある。竹葉亭本店篆刻家による老舗すき焼店の看板岡本太郎の祖父による筆歌人・書家の岡麓によ..
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..人・書家の岡麓による名作取材・文/松本裕貴写真/都築大輔14,{9CA3D860-B0CA-48D9-A381-0066391AC133}15,15富岡鉄斎の好物でもあった柚餅鶴屋??信京都で2..
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..崎節堂にお願いをして書いてもらったそうだ。2014年秋に看板を新調。もちろん文字は以前のままである。東京都中央区日本橋人形町1-14-1016,{23770DE4-5661-4A18-B1A7-..
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..ような筆使いで連綿を書くのが特徴だ。流れるように美しい文字を書けるようになるには、やはり子どものころからの修練が必要なのか?すると先生は「そんなことはないですよ、50歳を過ぎてから始めても遅いと..
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..、いつも両親と文字を書いていて、とても身近なところに書道があったんです」家で両親から学んだ書道がルーツとなっている先生だが、書道の面白さがわからなくなった時期もあったらしい。「小学生のころは、お..
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..手本通り正しく整えて書くということが求められますよね。上手く書ければマルをもらえるので、それが楽しくて書いていました。でも、そのうちお手本を真似て書くことに面白さが見出せなくなってきたんです。そ..
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..ので、それが楽しくて書いていました。でも、そのうちお手本を真似て書くことに面白さが見出せなくなってきたんです。それで、いったん書道から離れました」そう語る先生が、書道の面白さを知ったのは大学時代..
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..のうちお手本を真似て書くことに面白さが見出せなくなってきたんです。それで、いったん書道から離れました」そう語る先生が、書道の面白さを知ったのは大学時代のこと。「大学時代、日比野五鳳門であった父の..
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..たね。そのうち文字を書くことは紙の上に景色を作っていくことだと思い、芸術的で多様な表現ができるのが書道の楽しみだと気づきました」書道の世界に足を踏み入れた先生が「かな」、を選んだのはどうしてなの..
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..の読みを当てて文字を書いていましたよね。それを略したり崩したりして今のかなが出来ていくんですが、平安時代の人たちは、これでいろんな形の歌を書いていたんです。同じ歌でも人によって使う文字も違うし、..
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..れでいろんな形の歌を書いていたんです。同じ歌でも人によって使う文字も違うし、文字の散らし方も違います。表現の幅がとても広いんですよ。文字から湧いてくるイメージで自由に形を変えたり、墨の濃さを変え..
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..するのも面白さだし、書く題材に合った料紙を選ぶという楽しみもあ文字を書くということは紙の上に景色を作っていくこと多様な表現に魅せられてかなの世界へ入った,{43FE84BC-1016-4FDB-..