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..2017年No.84ガーデンツーリズムを楽しむ5岐阜・浜松編バラを心ゆくまで楽しむ岐阜・浜松の旅失われつつあるバラを守るルベール家のバラ物語「佐倉草ぶえの丘バラ園」のあゆみと世界の著名なロザリ..
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..のものが混じります。花は、6~7月に黄緑色の小花を付け、果実は10月に成熟し、小球体の径5~7�oで外面に白粉を被った紫黒色で趣があります。また、落葉は特徴的で、まず葉身が落ち、次いで葉柄が落..
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..6~7月に黄緑色の小花を付け、果実は10月に成熟し、小球体の径5~7�oで外面に白粉を被った紫黒色で趣があります。また、落葉は特徴的で、まず葉身が落ち、次いで葉柄が落ちます。春の煌めく若葉、夏..
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..ン+クラブツーリズム花めぐりガーデンツーリズムを楽しむVol.5岐阜・浜松編バラを心ゆくまで楽しむ岐阜・浜松の旅構成・文/阿部民子旅行企画実施/クラブツーリズム��002山本富雄季節の花鳥風月..
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..ブツーリズム花めぐりガーデンツーリズムを楽しむVol.5岐阜・浜松編バラを心ゆくまで楽しむ岐阜・浜松の旅構成・文/阿部民子旅行企画実施/クラブツーリズム��002山本富雄季節の花鳥風月第3回つ..
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..風月第3回つた(蔦)花フェスタ記念公園040浜名湖ガーデンパーク048はままつフラワーパーク058016「佐倉草ぶえの丘バラ園」の魅力を探るー?「佐倉草ぶえの丘バラ園」のあゆみと世界の著名なロ..
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..著名な育種家(例えばデスメ、ヴィべール、ギヨなど)ごとに品種を選んでバラ図鑑的に紹介する企画を御巫さんと山内さんの協働でスタートすることになりました。「約3000種類の貴重なバラたちの保存を願..
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..D5665B852}12,ルベール家の故レイモンさんとテレーズさん、そして、あとを継ぐご子息のベルナールさんが大切に維持してこられたコレクションは、18世紀末から19世紀にかけてフランスで作出さ..
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..り、そしておそらくは花型でも人々を驚かせました。ナポレオン皇妃ジョゼフィーヌは19世紀初頭に、当時知られていたバラを世界中から、野生種も古い品種も手に入る限りすべてマルメゾン宮殿に蒐集しました..
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..の初めに登場するのはデスメ(Jacques-Louis Descemet 1761~1839)です。ジョゼフィーヌ皇妃のバラ蒐集で中心的役割を果たし、リュクサンブール宮殿のバラ園も作ったデュポ..
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..る見方もあります)。デスメが作った代表的な品種をあげるなら、やはり香りのよい‘クロリス’(Chloris1815以前、アルバ系統)でしょうか。デュポンの影響を受けてナーセリーを始めたのがヴィベ..
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..で、ヴィベールは後にデスメのナーセリーを買い取り、多くの新品種を作り出しました。ヴィベールのバラでいちばん好きなものを選ぶとしたら、‘ヨラン・ダラゴン’(Yolande d'Aragon184..
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..lanti1821、ガリカ系統)か、魅力的な品種がたくさん残っていて悩みます。ヴィベールについても今号で取り上げます。リュクサンブール庭園はデュポンからアルディ(Alexandre Hardy..
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..園はデュポンからアルディ(Alexandre Hardy 1787~1876)に引き継がれ、アルディはそこで‘マダム・アルディ’(Madame Hardy1831、ダマスク系統)などのバラを作..
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..)に引き継がれ、アルディはそこで‘マダム・アルディ’(Madame Hardy1831、ダマスク系統)などのバラを作出しました。アルディと、アルディのもとで助手として働き、後に独立したマルゴッ..
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..そこで‘マダム・アルディ’(Madame Hardy1831、ダマスク系統)などのバラを作出しました。アルディと、アルディのもとで助手として働き、後に独立したマルゴッタン(Jacques-Ju..
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..を作出しました。アルディと、アルディのもとで助手として働き、後に独立したマルゴッタン(Jacques-Julien Margottin 1817~1892)、それにアルディとほぼ同時代の育種家..
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..た。アルディと、アルディのもとで助手として働き、後に独立したマルゴッタン(Jacques-Julien Margottin 1817~1892)、それにアルディとほぼ同時代の育種家ラフェイ(J..
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..892)、それにアルディとほぼ同時代の育種家ラフェイ(Jean Laffay1794~1878)は、連載第2回に登場します。第3回以降にはさらに、モロー=ロベール、ノワゼット兄弟、ギヨなど著名..
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..ったと伝えられるR・ガリカ・オフィキナーリスは、初期の十字軍によって持ち帰られ、薬剤師により薬用植物として使用されました。「薬剤師のバラ」とも呼ばれています。葉は灰色がかった緑、花は半八重で深..
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..葉は灰色がかった緑、花は半八重で深紅です。15世紀のバラ戦争ではランカスター家の紋章となりました。かぐわしい香りを持ち、一季咲きです。かなり丈夫なので、ほとんどの種類の土壌で容易に栽培できます..
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..作出、濃淡のある赤色花のガリカ系統品種‘Manteau Pourpre’/Descemet 1823作出、ガリカ系統品種‘Le Grand Sultan’/Descemet 1815作出、ガリ..
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..、濃淡のある赤色花のガリカ系統品種‘Manteau Pourpre’/Descemet 1823作出、ガリカ系統品種‘Le Grand Sultan’/Descemet 1815作出、ガリカ系..
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..et 1823作出、ガリカ系統品種‘Le Grand Sultan’/Descemet 1815作出、ガリカ系統の品種の中で最も香りが強いデスメDescemet, 1761-1839ジャック=..
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..et 1815作出、ガリカ系統の品種の中で最も香りが強いデスメDescemet, 1761-1839ジャック=ルイ・デスメは、16世紀から続く園芸の旧家の出身で、彼の生家はパリで薬剤師会向けの..
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..の中で最も香りが強いデスメDescemet, 1761-1839ジャック=ルイ・デスメは、16世紀から続く園芸の旧家の出身で、彼の生家はパリで薬剤師会向けの薬草園を経営していました。彼の祖先の..
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..39ジャック=ルイ・デスメは、16世紀から続く園芸の旧家の出身で、彼の生家はパリで薬剤師会向けの薬草園を経営していました。彼の祖先の記録が文書で残されているのは17世紀末からです。彼の祖父は農..
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..ス(八重咲きのロサ・ガリカ)、ロサ・ルブラ・パリドール(白花のロサ・ガリカ)、ロサ・モスカータ・シンプリキフローラ(一重咲きのロサ・モスカータ)、ロサ・シルウェストリス(森のバラ、おそらくロサ..
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..ブラ・パリドール(白花のロサ・ガリカ)、ロサ・モスカータ・シンプリキフローラ(一重咲きのロサ・モスカータ)、ロサ・シルウェストリス(森のバラ、おそらくロサ・アルウェンシスかロサ・カニーナ)を栽..
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..ドール(白花のロサ・ガリカ)、ロサ・モスカータ・シンプリキフローラ(一重咲きのロサ・モスカータ)、ロサ・シルウェストリス(森のバラ、おそらくロサ・アルウェンシスかロサ・カニーナ)を栽培していた..
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..バラは今で言うロサ・ガリカ・オフィキナーリスで、当時栽培されていたこれらは、どれも薬として用いられるバラでした。ジャック=ルイ・デスメの父、ジャックが観賞用のバラの栽培を始めたのは、1768年..
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..た。ジャック=ルイ・デスメの父、ジャックが観賞用のバラの栽培を始めたのは、1768年になってからのことでした。1775年にジャック=ルイ・デスメが父からナーセリー経営を引き継いだとき、農園で栽..
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..年にジャック=ルイ・デスメが父からナーセリー経営を引き継いだとき、農園で栽培されていたのは以下のバラでした。ロサ・×ケンティフォリア、R・マヤーリス、R・アルバ・マキシマ、R・アルバ・セミプレ..
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..・フォエティダ、R・ガリカ・オフィキナーリス、R・ガリカ・ウェルシコロル、R・×ケンティフォリア・ムスコーサ、R・キネンシス・センペルフローレンスフランス革命によってジャック=ルイ・デスメの努..
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..フィキナーリス、R・ガリカ・ウェルシコロル、R・×ケンティフォリア・ムスコーサ、R・キネンシス・センペルフローレンスフランス革命によってジャック=ルイ・デスメの努力は水の泡となり、彼はパリの農..
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..ってジャック=ルイ・デスメの努力は水の泡となり、彼はパリの農園を離れ、パリ北部のサンドニで新たな農園を造りました。農園は雹や霜などのひどい災害に見舞われましたが、10年以上にわたる努力の末、そ..
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..ールが、1815年にデスメのバラを引き継ぎましたが、コレクションの破壊は、デスメ自身の破滅を意味しました。このような様々な悲劇の後、ロシアへの亡命の道を選んだデスメは当時はロシア帝国の一都市だ..
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..レクションの破壊は、デスメ自身の破滅を意味しました。このような様々な悲劇の後、ロシアへの亡命の道を選んだデスメは当時はロシア帝国の一都市だったクリミアのオデッサへと向かいます。そこは全てが園芸..
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..への亡命の道を選んだデスメは当時はロシア帝国の一都市だったクリミアのオデッサへと向かいます。そこは全てが園芸にとって好ましい環境でした。彼はロシア南部の帝国農業協会植物園の責任者となり、183..
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..この世を去りました。12",{9283DF4D-FE21-49DE-8624-E4C02DF02369}15,"13Rosa. gallica versicolor /別名:‘Rosa Mund..
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..出、雨を嫌う淡桃色のガリカ系統品種Rosa. gallica /花弁数は5~8枚NOM(S) COULEUR PARFUM OBTENTEUR DATE HAUT. TYPE品種名花色香り作出..
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..ョンのカタログより、デスメ作出品種一覧",{49710AC2-8441-4724-98D9-BA9E3B7C92D2}16,"‘Cosimo Ridolfi’/ Vibert 1842作出、紫..
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..2作出、紫色で強香のガリカ系統品種‘Cramoisi Picote’/ Vibert 1834作出、一季咲きのガリカ系統品種‘La Negresse’/Vibert 1842作出、濃赤バラに共..
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..34作出、一季咲きのガリカ系統品種‘La Negresse’/Vibert 1842作出、濃赤バラに共通の日陰をこのむヴィベールVibert, 1777-1866ジャン=ピエール・ヴィベールは..
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..あるジャック=ルイ・デスメのバラ農園を買い取ります。軍隊による度重なる農園の破壊がデスメの経済的困窮を招き、ロシアへ移住することになったようです。ヴィベールはその農園と、10,000株の植物お..
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..度重なる農園の破壊がデスメの経済的困窮を招き、ロシアへ移住することになったようです。ヴィベールはその農園と、10,000株の植物および育種に関する資料を購入しました。しかし1か月後に娘が亡くな..
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..入しました。しかし1か月後に娘が亡くなり、すぐ後に妻も亡くなってしまいます。そんな度重なる不幸にも負けず、彼は約545品種という数多くのバラを創り出しました。1827年に、彼はパリ園芸協会(現フ..
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..844)、‘ペルル・デ・パナシェ’(1844)、‘ウィエ・フラマン’(1845)、‘シドニー’(1847)、‘ペリソン・ムソー’(1857)などの品種が作られました。1851年に引退し、農園長..
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..839作出、縞緋色、ガリカ系統品種、樹高1mNOM(S)COULEURPARFUMOBTENTEURDATEHAUT.TYPE品種名花色香り作出者年樹高系統adele heupourpre n..
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..御巫由紀さん6:ヘルガ・ブリシェさん7:ヴィララガヴァンさんご夫妻8:上田善弘さん※3.4.6.7/本誌No65より、撮影:福岡将之1216,{1E85A7AC-0EA4-4C35-92FC-..