1.
..00名城と武将たち 第6回新発田城 × 新発田重家[簑輪 諒]147フォークロア幕末維新 第12話ナマな世情が盛り込まれた幕末の里うた[坂本犬之介]136121 信長の独断 フルスロットル [..
2.
..ォークロア幕末維新 第12話ナマな世情が盛り込まれた幕末の里うた[坂本犬之介]136121 信長の独断 フルスロットル [大野信長]戦士の食卓 アメリカ海兵隊出撃前の食事ビーフステーキ[水梨由..
3.
..2図解 武器と甲冑 第四章 戦国時代�A持鑓と長柄鑓[樋口隆晴・ 渡辺信吾]114対馬要塞などと連携して対馬海峡東水道と壱岐水道を防衛した陸軍要塞壱岐要塞の全貌徹底取材&CG再現!縦横無尽! ..
4.
..出力レーザー兵器 【第二回】[有坂 純]26戦国の城 東だけでなく西側にも構えられていた城下町近江 佐和山城[中井 均]16104 負けじ魂、これぞ船乗り [勝目純也]81 戦場のミステリー ..
5.
..力レーザー兵器 【第二回】[有坂 純]26戦国の城 東だけでなく西側にも構えられていた城下町近江 佐和山城[中井 均]16104 負けじ魂、これぞ船乗り [勝目純也]81 戦場のミステリー [..
6.
..2 二つのイタリアと第二次大戦ムッソリーニと国王&バドリオ[山崎雅弘]137作戦分析植木・荻迫・木留の戦い�W田原坂�Wの直後に生起した知られざる大陣地戦[長南政義]105 太平洋戦争のアメリ..
7.
.. 二つのイタリアと第二次大戦ムッソリーニと国王&バドリオ[山崎雅弘]137作戦分析植木・荻迫・木留の戦い�W田原坂�Wの直後に生起した知られざる大陣地戦[長南政義]105 太平洋戦争のアメリカ..
8.
..[古峰文三]海軍三〇二空決戦録戦場伝説/翼をもつ魔女[吉原昌宏]169 Comic156 タラヴェラの会戦西洋戦史研究 ナポレオン戦争[PartXXX�T�T�T] 半島戦争(1809年)�A..
9.
..生]用兵思想と機械化部隊はどこまで整備されていたかソ連軍から見た独ソ開戦 に至る道[田村尚也]徹底取材&CG再現!対馬要塞などと連携して対馬海峡東水道と壱岐水道を防衛した陸軍要壱岐要塞巡洋戦艦『..
10.
..用兵思想と機械化部隊はどこまで整備されていたかソ連軍から見た独ソ開戦 に至る道[田村尚也]徹底取材&CG再現!対馬要塞などと連携して対馬海峡東水道と壱岐水道を防衛した陸軍要壱岐要塞巡洋戦艦『赤..
11.
..給弾薬室。艦載砲当時は給弾室・給薬室が二層に分かれていたが、改修で一層にまとめられている。その上が換装室、旋回盤で、地表に砲室が露出する。搭載砲身はいずれも呉工廠製で、右砲:呉5(大正8年6月..
12.
..時は給弾室・給薬室が二層に分かれていたが、改修で一層にまとめられている。その上が換装室、旋回盤で、地表に砲室が露出する。搭載砲身はいずれも呉工廠製で、右砲:呉5(大正8年6月、砲齢<既発射弾数..
13.
..が露出する。搭載砲身はいずれも呉工廠製で、右砲:呉5(大正8年6月、砲齢<既発射弾数>19)、左砲:呉4(大正8年5月、砲齢22)。なお、砲塔外面と砲身の迷彩は、残されたモノクロ写真の解析と黒..
14.
..砲塔外面と砲身の迷彩は、残されたモノクロ写真の解析と黒崎砲台跡各所に残る迷彩をもとに再現している。2*1=原 剛「対馬及び対馬海峡の防衛.幕末から太平洋戦争まで.」、新防衛論集、第一五巻第四号..
15.
..に再現している。2*1=原 剛「対馬及び対馬海峡の防衛.幕末から太平洋戦争まで.」、新防衛論集、第一五巻第四号、1988年九州の北方の玄界灘、福岡県と対馬(長崎県対馬市)のほぼ中間に壱い岐きの..
16.
..で.」、新防衛論集、第一五巻第四号、1988年九州の北方の玄界灘、福岡県と対馬(長崎県対馬市)のほぼ中間に壱い岐きの島しま(壱岐市)がある。古来、対馬とともに中国大陸・朝鮮半島と日本とを結ぶ「..
17.
..新防衛論集、第一五巻第四号、1988年九州の北方の玄界灘、福岡県と対馬(長崎県対馬市)のほぼ中間に壱い岐きの島しま(壱岐市)がある。古来、対馬とともに中国大陸・朝鮮半島と日本とを結ぶ「海の道」..
18.
..地であり、弥生時代には海上交易で王都が築かれるなど栄え、古代から烽の ろ火し 台や遠とお見み 番所が設置されるなど国防の最前線としても重要な役割を果たしてきた。この壱岐を拠点に、大正十三年(一..
19.
..に、大正十三年(一九二四)から昭和十三年(一九三八)にかけて陸軍によって構築された防衛施設が、壱岐要塞であった。壱岐要塞の建設は大正八年五月の「要塞整理要領」に基づき着手された。その設置目的は..
20.
..った。壱岐要塞の建設は大正八年五月の「要塞整理要領」に基づき着手された。その設置目的は、従来の対馬、鎮海湾要塞に下関要塞を加えた朝鮮海峡系要塞の一角として、海軍と連携しつつ対馬海峡東水道・壱岐..
21.
..された。その設置目的は、従来の対馬、鎮海湾要塞に下関要塞を加えた朝鮮海峡系要塞の一角として、海軍と連携しつつ対馬海峡東水道・壱岐水道を要塞火砲により制圧し、本土・大陸間の船舶航行の安全を確保す..
22.
..峡系要塞整備の背景には、当時の日本海軍の戦略転換も影響している*1。日露戦争及び第一次世界大戦の結果、日本海・東シナ海方面で脅威となる海軍力が消滅し、太平洋方面から勢力を伸ばすアメリカ海軍を重..
23.
..転換も影響している*1。日露戦争及び第一次世界大戦の結果、日本海・東シナ海方面で脅威となる海軍力が消滅し、太平洋方面から勢力を伸ばすアメリカ海軍を重要視することとなり、手薄となった朝鮮海峡方面..
24.
..る*1。日露戦争及び第一次世界大戦の結果、日本海・東シナ海方面で脅威となる海軍力が消滅し、太平洋方面から勢力を伸ばすアメリカ海軍を重要視することとなり、手薄となった朝鮮海峡方面では陸軍による沿..
25.
..なった朝鮮海峡方面では陸軍による沿岸要塞火砲での防備強化が図られたのである。大正十一年(一九二二)九月、壱岐郷ノ浦には陸軍築城部本部の臨時派出壱岐要塞の設置黒崎砲台の旧赤城一番「砲塔四十五口径..
26.
..る。大正十一年(一九二二)九月、壱岐郷ノ浦には陸軍築城部本部の臨時派出壱岐要塞の設置黒崎砲台の旧赤城一番「砲塔四十五口径四十糎加農第二号」が据付けられた砲塔井(ほうとうせい)の跡。「黒崎砲台設..
27.
..。大正十一年(一九二二)九月、壱岐郷ノ浦には陸軍築城部本部の臨時派出壱岐要塞の設置黒崎砲台の旧赤城一番「砲塔四十五口径四十糎加農第二号」が据付けられた砲塔井(ほうとうせい)の跡。「黒崎砲台設計..
28.
..)九月、壱岐郷ノ浦には陸軍築城部本部の臨時派出壱岐要塞の設置黒崎砲台の旧赤城一番「砲塔四十五口径四十糎加農第二号」が据付けられた砲塔井(ほうとうせい)の跡。「黒崎砲台設計図」によると上部の直径..
29.
..四十五口径四十糎加農第二号」が据付けられた砲塔井(ほうとうせい)の跡。「黒崎砲台設計図」によると上部の直径は約10.6m、深さは約13.6mであった。砲塔の動力源となった水圧蓄力機室の縦坑(水..
30.
..十五口径四十糎加農第二号」が据付けられた砲塔井(ほうとうせい)の跡。「黒崎砲台設計図」によると上部の直径は約10.6m、深さは約13.6mであった。砲塔の動力源となった水圧蓄力機室の縦坑(水圧..
31.
..」によると上部の直径は約10.6m、深さは約13.6mであった。砲塔の動力源となった水圧蓄力機室の縦坑(水圧蓄力機井、直径3.08m、深さ7.5m)。写真右側には75馬力重油発動機などが置かれ..
32.
..は約10.6m、深さは約13.6mであった。砲塔の動力源となった水圧蓄力機室の縦坑(水圧蓄力機井、直径3.08m、深さ7.5m)。写真右側には75馬力重油発動機などが置かれた機関室が続いていた..
33.
...5m)。写真右側には75馬力重油発動機などが置かれた機関室が続いていた。砲塔井につながる地下の空間。ここは砲塔を動かすためのディーゼル機関やポンプ等が配置された機関室や器具庫など5区画があっ..
34.
..がる地下の空間。ここは砲塔を動かすためのディーゼル機関やポンプ等が配置された機関室や器具庫など5区画があった。正面奥左が砲塔井の底、右には水圧蓄力機井が見える。3所が設置され、翌年四月、築城部..
35.
..左が砲塔井の底、右には水圧蓄力機井が見える。3所が設置され、翌年四月、築城部壱岐支部に改編。大正一五年(一九二六)八月には郷ノ浦の武む しょうず生水町に壱岐要塞司令部(現・長崎県壱岐振興局)が..
36.
..編。大正一五年(一九二六)八月には郷ノ浦の武む しょうず生水町に壱岐要塞司令部(現・長崎県壱岐振興局)が新設されている*2。当初、要塞の備砲には陸軍独自に三十六糎センチ加農砲を呉海軍工廠へ注文..
37.
..年(一九二六)八月には郷ノ浦の武む しょうず生水町に壱岐要塞司令部(現・長崎県壱岐振興局)が新設されている*2。当初、要塞の備砲には陸軍独自に三十六糎センチ加農砲を呉海軍工廠へ注文試作中であっ..
38.
..。当初、要塞の備砲には陸軍独自に三十六糎センチ加農砲を呉海軍工廠へ注文試作中であったが、大正十一年の海軍軍縮条約の結果、建造中止・廃艦となった主力艦用の各加農砲塔が充当されることになった。陸軍..
39.
..本部、陸軍省兵器局等は、これら海軍砲を陸上砲塔に改修して装備するほうが経済面、威力面でも効果的と判断し、海軍艦政本部との協議の末、砲塔の保管転換(移管)を受けている*3。壱岐要塞の黒崎砲台(壱..
40.
..市大島村的山戸田)には、砲塔四十五口径四十糎加農、同三十糎加農といった保転海軍砲塔が装備された。さらに昭和十年(一九三五)の「要塞再整理要領再修正計画」により、四砲台( 名ながらすじま烏島、小..
41.
..ろの島しま、渡わた良ら 大おお島しま、生いきつき月)に操縦軽快かつ発射速度の大きな中口径の十五糎加農砲が設置された。昭和期以降、航空機・潜水艦が発達し、ソ連がウラジオストクを根拠に潜水艦を急増..
42.
..させたため、壱岐要塞は敵巡洋戦艦『赤城』の四十糎連装砲を要塞砲に転用した砲塔砲台.砲室.弾庫.水圧蓄力機井.器具庫.機関室.排気孔.予備室.貯油庫.送風機室 ラジーエター室 冷却水槽(上)砲台..
43.
..り口。(下)同弾薬庫は奥行き30m、幅7m、高さ5mの内庫2連が連絡通路で連接。内面の銅板張りはすでになく、黒色の防水アスファルトが露出、通路は終戦直後の鉄筋の回収でかなり崩落している(私有地..
44.
..連接。内面の銅板張りはすでになく、黒色の防水アスファルトが露出、通路は終戦直後の鉄筋の回収でかなり崩落している(私有地、撮影協力:山川寛氏)。黒崎砲台入口。手前の道路は戦後拡幅したもので、冷却..
45.
..ファルトが露出、通路は終戦直後の鉄筋の回収でかなり崩落している(私有地、撮影協力:山川寛氏)。黒崎砲台入口。手前の道路は戦後拡幅したもので、冷却用貯水所があった。入口の解説図は、昭和20年に壱..
46.
..砲台入口。手前の道路は戦後拡幅したもので、冷却用貯水所があった。入口の解説図は、昭和20年に壱岐へ疎開、中学・高校時代を過ごしたイラストレーター・長岡秀星氏の作品を原画としている。CG = 案..
47.
..あった。入口の解説図は、昭和20年に壱岐へ疎開、中学・高校時代を過ごしたイラストレーター・長岡秀星氏の作品を原画としている。CG = 案堂画宇*2=横山 順「壱岐要塞」、『春一番』 第17号、..
48.
..要塞」、『春一番』 第17号、壱岐文化協会、1991年*3=菅 晴次(元陸軍中将)「保管転換海軍砲」、『砲兵沿革史』第三巻、1962年AB黒崎砲台12 435555 6879101174主力艦..
49.
..砲」、『砲兵沿革史』第三巻、1962年AB黒崎砲台12 435555 6879101174主力艦よりも潜水艦への対処を要求されたのである*1。また、太平洋戦争開戦直前、昭和十六年(一九四一)七..
50.
..要求されたのである*1。また、太平洋戦争開戦直前、昭和十六年(一九四一)七月の要塞警急戦備下令に伴い、壱岐南部の印いん通どう寺じ 、馬ま だ渡ら島じま(現・佐賀県鎮西町馬渡島)、的山大島には三..