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..つ鈴すず木き鷹たか夫お佞ね武ぶ多た去るくれなゐが去る総て去る,{8D8F5A7F-C17F-47A0-BC0E-E316A10A46CE}8,刃に触れて罅ひび走りたる西すい瓜かな長は谷せ川がわ..
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..も消ゆ森もり澄すみ雄お,{82BEA3BA-2077-41FE-B87D-DF35CEF0D748}10,8,{6F5E242E-908C-4B39-915D-1BDE56501385}11,..
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..の仲間に、奄あま美みおおしま大島や沖縄本島周辺に生息するオオシマゼミという種がいます。消防車の鎮火警鐘のように「カーンカーン」と鳴くんですよ。同じような腹部構造なのにどうしてこんな音色になるの..
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..仲間に、奄あま美みおおしま大島や沖縄本島周辺に生息するオオシマゼミという種がいます。消防車の鎮火警鐘のように「カーンカーン」と鳴くんですよ。同じような腹部構造なのにどうしてこんな音色になるのか..
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..弟の夭よう折せつ、大おお種たね田だの没落等の(山頭火自身の言う)不幸な境きょう涯がいを知った時、人間山頭火を遠い存在とは思えないということ。乞こつ食じきをしながらぎりぎりのところで生き、その証..
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..の夭よう折せつ、大おお種たね田だの没落等の(山頭火自身の言う)不幸な境きょう涯がいを知った時、人間山頭火を遠い存在とは思えないということ。乞こつ食じきをしながらぎりぎりのところで生き、その証の..
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..像を配す。邪気の無いお顔に心が和む。ここより急な細道を下り又登って、最後の「古ふる園ぞの石仏」へ。中尊の第一如来像は切れ長の目、引き締まった口元など端正で気品に満ちる。以前は落ちた仏頭が台座の..
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..杵城は一五五六年、大おお友とも義よし鎮しげ(後の宗そう麟りん)によって臼杵湾の丹に生ふ嶋じまに築かれたとされている。「臼杵の城」とイエズス会宣教師達がローマに報告したこの城は、豊後大友氏が最も..
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..城は一五五六年、大おお友とも義よし鎮しげ(後の宗そう麟りん)によって臼杵湾の丹に生ふ嶋じまに築かれたとされている。「臼杵の城」とイエズス会宣教師達がローマに報告したこの城は、豊後大友氏が最も華..
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..、福ふく原はら氏、太おお田た氏が相次いで城主を務めた後、関せきヶが原はら合戦直後の一六〇〇年からは美み濃のから入封した稲いな葉ば氏が、廃藩置県まで十五代に亘わたってこの城を居城とした。城跡に登..
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..福ふく原はら氏、太おお田た氏が相次いで城主を務めた後、関せきヶが原はら合戦直後の一六〇〇年からは美み濃のから入封した稲いな葉ば氏が、廃藩置県まで十五代に亘わたってこの城を居城とした。城跡に登っ..
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..られた。すぐに車で岡おか城じょう址し(12ページ参照)へ。岡城は一一五八年に緒お方がた三さぶ郎ろう惟これ栄よしが、源みなもとの義よし経つねを迎える為に築城したと言われている。大手門への坂には全..
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..崖仏旅の終りは豊後大おお野のの普ふ光こう寺じへ。寺の真向かいの巨大な岸壁の二つの洞窟には比較的小さな磨崖仏群が。その横の壁に彫られてあるのが日本最大級の磨崖仏で高さは十一メートル。大らかで無邪..
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..仏旅の終りは豊後大おお野のの普ふ光こう寺じへ。寺の真向かいの巨大な岸壁の二つの洞窟には比較的小さな磨崖仏群が。その横の壁に彫られてあるのが日本最大級の磨崖仏で高さは十一メートル。大らかで無邪気..
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..)のエッセイを隔月でお届けします。表紙絵:秋山花物音は一個にひとつ秋はじめ藤ふじ田た湘しょう子し宇多喜代子選・鑑賞表紙の一句と絵生命力旺おう盛せいな夏が過ぎ、あたりに秋が訪れると、ものみな澄ん..
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..ころから始まります。お寝坊ですので起床が早かったり遅かったりでなかなか定時観測はできないのですが、それでも毎日の朝の空模様観測は、私のその日の気象現象の目安になっています。気象についての素しろ..
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..おきたいものです。大おお夕ゆ立だち来るらし由ゆ布ふのかき曇り高たか浜はま虚きょ子し大事なのはこの「来るらし」の予測と、夕立という雨はかならず短時間で止む、ということを呑のみこんでおくことです。..
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..きたいものです。大おお夕ゆ立だち来るらし由ゆ布ふのかき曇り高たか浜はま虚きょ子し大事なのはこの「来るらし」の予測と、夕立という雨はかならず短時間で止む、ということを呑のみこんでおくことです。こ..
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..,22選者の一句遠とお嶺ねみな雲にかしづく厄日かな上うえ田だ五ご千せん石ごく「厄日」とは、立春から数えて「二百十日」目になる日、「二百二十日」目になる日をさすことばです。この頃、野山や田畑や家..
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..紺濃き二百十日かな大おお屋や達たつ治はる台風の足跡を濃くとどめるのが河川の水の量や色などです。川水の色の深まりの伝わる句です。晩夏から秋にかけて免まぬかれがたく来る暴風雨。ただただことなきを祈..
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..濃き二百十日かな大おお屋や達たつ治はる台風の足跡を濃くとどめるのが河川の水の量や色などです。川水の色の深まりの伝わる句です。晩夏から秋にかけて免まぬかれがたく来る暴風雨。ただただことなきを祈る..
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..す。二に百ひゃく十とお日か/二百二は十つ日か厄やく日び9月の兼題宇多喜代子投句締め切り7月25日必着棒とその影をたしかに夕ゆ立だちあと喜代子このご飯を食べたあと、笊にご飯粒が残ります。これを水..
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..りと参らせん正まさ岡おか子し規き水飯を顎あごかつ??と食とうべけり高たか浜はま虚きょ子しこの水飯は、残ったご飯を茶漬けならぬ水漬けで出したものでしょう。ことほどさように、空模様から飯の饐え加減..
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..飯はここが限度、この豆とう腐ふは夕ゆう餉げまでは大丈夫、そんな賞味期限を自らで判断することが当り前でした。空を見る能力と同じく、この能力も生きもの・人間の大事ではないかと思います。生きものとし..
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..今年もや儀式のごとく豆ご飯上かみ五ごの「今年もや」という凝ったいい方には「おお、今年もですか」というささやかな感動があって悪くはないのですが、ここは平凡な「今年また」でいいのではないでしょうか..
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..今年また儀式のごとく豆ご飯───────・───────原句ボストンの息子のメールや豆の飯このままでもいいかとも思われますが、やはり声にして読むときに中なか七しちの「や」が余計のようです。「や..
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..トンの息子のメールや豆の飯このままでもいいかとも思われますが、やはり声にして読むときに中なか七しちの「や」が余計のようです。「や」がなくても句意は通じます。この句の場合、「ボストンの息子のメー..
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..が届いたこと、時節が豆飯のおいしい初夏であることなどが十分に伝わりますので、「や」という詠えい嘆たんをこめた切きれ字じは用いずに、むしろ「メール」で切るほうがいいでしょう。すると、切れのあとの..
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..ると、切れのあとの「豆の飯」のもつ広がり、たとえば異国にいるあの子にもこの豆飯を食べさせたいな、というような気分が効果的に伝わります。添削句ボストンの息子のメール豆の飯───────・────..
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..にいるあの子にもこの豆飯を食べさせたいな、というような気分が効果的に伝わります。添削句ボストンの息子のメール豆の飯───────・───────この句にかぎらず、中七に「や」を置いた句がご投句..
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..ストンの息子のメール豆の飯───────・───────この句にかぎらず、中七に「や」を置いた句がご投句の中によく見られます。中七を「や」で切る方法は俳句の大事ではありますが、ときに字数を補う..
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..隆りゅう寺じ正まさ岡おか子し規き俳句で「柿」といえばこの句が思い出されます。あまりにも多くに愛あい誦しょうされたことで、子規の代表作になってしまいました。言うまでもなく、子規のこの柿は甘柿です..
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..か村むら草くさ田た男お渋柿は渋をぬいて食べるほか、干柿にします。秋に皮を?むいて干した柿は冬においしくなります。ことにお正月の縁起物として重宝されます。春の「柿若葉」にはじまり、「青柿、熟じゅ..
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..中を駆け巡る漫画『美お味いしんぼ』、吉よし本もとばななの小説では、遠くの恋人にカツ丼を届けるためだけに長距離タクシーを飛ばしていた。今みるとおおげさな表現だが、当時それを笑っ昭和47年生まれ。..
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..らないように思う。小お澤ざわ實みのる著『名句の所以』には子し規き以後のさまざまな俳人の句が綿密に紹介されていて読み応えがある。そこには平成の若手の句や、昭和五、六十年代の句集からの句も選ばれて..
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..語で作句したいよーとお思いだった皆さん、お待たせしました。皆さんが大好きな自然の生物ですよ!……あれ、なんか反応が鈍い気がするな。インドア派の僕が熟知する数少ない生物の季語が竈馬だ。熟知してる..
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..お思いだった皆さん、お待たせしました。皆さんが大好きな自然の生物ですよ!……あれ、なんか反応が鈍い気がするな。インドア派の僕が熟知する数少ない生物の季語が竈馬だ。熟知してるが気味の悪い虫で、嫌..
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..高たか浜はま年とし尾お今年の立秋は八月八日。その前日の七日から四日間、京都東山の六道珍ちん皇のう寺で、盆の精しょう霊りょう迎えが行われます。ここで人々は迎むかえ鐘がねを撞ついて、亡き人を手て篤..
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..道まいり」にちなむ小お野のの篁たかむらの伝承があります。境内の小堂に閻えん魔ま大王や弘法大師とともに、小野篁の像が祀まつられているのです。小野篁は平安時代初期に嵯さ峨が天皇などに仕えた有能な官..
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..か村むら草くさ田た男お追かけてことづて頼む爽やかに星ほし野の立たつ子こ草田男は「いただきます」という、日常何気なく使っている言葉の「響」に、立子は「ことづて」を頼む様子に「爽やか」さを発見。こ..
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..ポイント、すっきりとお詠よみください。爽そう涼りょう/さやけし/さやか爽さわやか9月の兼題井上弘美選者の一句流燈のことにも嬰ややを照らし行く弘美投句締め切り8月10日必着流燈や一つにはかにさか..
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..夫して「青」は「蒼あお」に。「蒼き海ある茅の輪」とまとめるとすっきりし、風景も鮮明に見えます。添削例★青き海見えぬ茅の輪をくぐるとき添削例★★真まっ向こうに蒼き海ある茅の輪かな───────・..
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..合った紅葉など鮮明にお詠みください。なお、動詞の「もみづ」(上二段動詞)は紅葉するの意で、「もみづれり」「もみづれる」は誤用なので注意しましょう。,{2985B596-A6C6-4B76-B2..
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..』、又また吉よし直なお樹きとの共著『芸人と俳人』、穂ほ村むら弘ひろしとの共著『短歌と俳句の五十番勝負』等。人間を詠よむ?高野素十堀ほり本もと裕ゆう樹き,{E2779FCF-D3E6-4317-..
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..る鈴すず木き鷹たか夫お大型の灯とう籠ろうであるねぶたは、武将の姿などを描いた勇壮なもので、いまでは精せい緻ちな構造となっている。灯をともしたねぶたが街の中を引き回される様子は壮観であり、全国か..
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..に罅が走る。それは美お味いしさの象徴といってもよいだろう。この句は「刃に触れて」に臨場感がある。西瓜が喜んで、みずから割れようとしたかのようだ。食べ物の俳句は美味しそうに詠よむのが鉄則。『果か..
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..も消ゆ森もり澄すみ雄お京都の送り火である大文字はよく知られる。如にょ意いヶ岳たけ西側にある大文字山の「大」、左京区松ヶ崎の西山・東山の「妙」「法」、西にし賀か茂もの船山の帆柱船形、大北山の左大..
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..立つ。真ま菰こも、苧お殻がら、蓮はすの葉、みそ萩はぎなどが並べられるが、いずれも軽い。あれこれ買ってきたつもりなのに、ひとまとめにすると頼りないほどの軽さである。死者のためのものであるからと思..
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..に」というのが、このお悩みのポイントです。俳句における「散文的」とはどういうことか、教官に無理やり定義を求めると、「同じ内容を詠よんでいても、声に出したり耳で聞いたりしたとき、歯切れのよさ、気..
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..。〈院長や朝寝十分大おお股またに森夢筆〉。たしかに「や」でなく「は」だったら、ふつうの文章です。切字に直した句が、高たか浜はま虚きょ子しにも多くあるそうです。虚子の推すい敲こう例を続けて挙げて..