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..正法眼蔵』の周辺編集本の種類と発刊の歴史/「眼蔵家」と『正法眼蔵』の注釈書/西洋哲学と『正法眼蔵』/臨済宗から見た『正法眼蔵』?『正法眼蔵』に学ぶ『修証義』から入る『正法眼蔵』/『正法眼蔵』現..
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..〉じっくり読み解く『般若心経』|千葉公慈10 DAIHORIN2019Octoberわかる道元『正法眼蔵』読み方月の王宮西田俊英ガイド,{BE842975-38CC-42AC-AE60-7C8B7C..
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..019Octoberわかる道元『正法眼蔵』読み方月の王宮西田俊英ガイド,{BE842975-38CC-42AC-AE60-7C8B7C06BB04}2,92019年10,{7A580EF1-2C8..
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..}4,特集=これならわかる道元『正法眼蔵』読み方ガイド道元禅師の主要著書『正法眼蔵』に対して、「難しい内容だけど、いつか読破してみたい」と思っている人は多いようです。今回の特集は、そのような人のた..
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..6じっくり読み解く『般若心経』〈その七〉…養老渓谷宝林寺山主千葉公慈150鉄笛○死から生を学ぶ…………………………………………………………浦上哲也○仏教とお酒……………………………………………………..
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..辻口雄一郎112編集本の種類と発刊の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・角田泰隆118「眼蔵家」と『正法眼蔵』の注釈書・・・・曹洞宗総合研究センタ..
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..け内うち整せい一いちわからない人と生きていく私の専門は倫理学で、とくに日本人の倫理思想について研究しています。倫理学とは、人と人との関わりを考える学問です。たとえば、私と私の女房の関わりについて考..
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..やはり最後のところはわかりません。日本の昔話には、女房が鶴だったとか狐だったとかいう話もありますが、この目の前の女の言うことはだいたいわかるなどと思ったら、もうその人は、もう自分にとっては生きた存..
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..の言うことはだいたいわかるなどと思ったら、もうその人は、もう自分にとっては生きた存在ではなくなってしまいます。そ鎌倉女子大学教授東京大学名誉教授──とりかえのきかない個別と、大いなる普遍との矛盾と..
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..は必要ありません。「わからない」ということは、必ずしも否定的な意味ではありません。そういうわからない人と共に生きていくところに面白さも難しさもあり、倫理が求められるわけです。そのわからなさはどこか..
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..ありません。そういうわからない人と共に生きていくところに面白さも難しさもあり、倫理が求められるわけです。そのわからなさはどこから来るのか、単なるルールとして考えられた倫理学では解けない問題がそこに..
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..られるわけです。そのわからなさはどこから来るのか、単なるルールとして考えられた倫理学では解けない問題がそこにはあります。十数年前に仏教学者の末すえ木き文ふ美み士ひこさんが『仏教VS.倫理』(ちくま..
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..くま学芸文庫)という本を出されました。その本で、末木さんは、仏教と倫理は違う。倫理ごときはせいぜい人間の間のルールを扱っているだけで、仏教あるいは宗教というのはもっと深いブラックボックスの問題..
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..を出されました。その本で、末木さんは、仏教と倫理は違う。倫理ごときはせいぜい人間の間のルールを扱っているだけで、仏教あるいは宗教というのはもっと深いブラックボックスの問題を含めて人間や世界を考..
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..。末木さんとは、この本が出たときにもシンポジウムで議論しましたが、私はむしろ末木さんの主張と重なるかたちで、まさに目の前の女房こそがブラックボックスを背負っているのであって、そうした存在との関..
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..「直葬」という言葉をよく聞きます。人が亡くなった後に通夜や告別式といった儀式を行わず、火葬のみで死者を見送る仕方です。最近のNHKの調査では、関西ではそれほど広まっていないようですが、東京を中心..
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..。この作品は、主演の本もと木き雅まさ弘ひろさんが『納棺夫日記』を書いた青あお木き新しん門もんさんに懇願して企画されたものと聴いています。しかし、東京大学で開かれたシンポジウムで青木さんとご一緒..
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..身が霊魂というものがよくわかっているわけではありません。わからないままに、そのブラックボックスを背負いながら、ともあれ一緒に考えていただきたいと思ってまいりました。「あの世」を信じる人が四割統計..
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..霊魂というものがよくわかっているわけではありません。わからないままに、そのブラックボックスを背負いながら、ともあれ一緒に考えていただきたいと思ってまいりました。「あの世」を信じる人が四割統計数理研..
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..わけではありません。わからないままに、そのブラックボックスを背負いながら、ともあれ一緒に考えていただきたいと思ってまいりました。「あの世」を信じる人が四割統計数理研究所というところが日本人の国民性..
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..えず、霊魂と呼んでもよいかと思います。霊魂があるかないかではないあらためてこの「あの世」が《ある》《信じる》という問題を、思想としてあるいは学問としてどう考えたらいいのでしょう。実はこれは時代や..
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..章の言っていることはよくわかります。あるかないかというより、感じるか感じないか、なのです。そのことをどう思想の言葉にできるかということです。動物ではなく、人間の話を見てみますと、曹洞宗の僧侶、南..
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..言っていることはよくわかります。あるかないかというより、感じるか感じないか、なのです。そのことをどう思想の言葉にできるかということです。動物ではなく、人間の話を見てみますと、曹洞宗の僧侶、南みなみ..
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..際の、柳田の危機感がよく現れています。いちばん身近な共同体としての家をどうしたらいいか考えることは、否応なしに霊魂の問題、あるいはそれに対する生者の心の奥の考え方が試される、それは「百代にわたっ..
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..らといって昔のままでよいわけではない。それを踏まえて「あらためる」必要がある、ということです。将棋の羽は生ぶ善よし治はるさんが、「長考」のときに何を考えているのかという質問に対して、自分が初手か..
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..此この動物に都合の能よい論説を並べ立てゝ、非論理極まる、非哲学極まる囈げい語ごを発することに成る。(中江兆民『続一年有半』)この世界のすべてのものは、本質的に、若干数の元素がくっついたり離れたり..
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..唯物論ですが、ただ『般若心経』でいわれているような「不増不減・不生不滅」,{9F36418A-10A3-47EB-8841-1E3883C21F96}27,25│大法輪2019・10といった、何かし..
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..、哲学者の三み木ききよし清の以下のような考え方です。私にとって死の恐怖は如何にして薄らいでいったか。自分の親しかった者と死別することが次第に多くなったためである。もし私が彼等と再会することができ..
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..の行方です。私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、さう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから..
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..れていたということがわかります。だから我々を見守っていて、盆や正月には戻ってきてくれるという信仰にもなりえたわけです。しかし、ここで仏教の思想と衝突することになります。よく知られた「いろは歌」では..
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..あります。そのひとりよがりのむなしい歩みが、今となって人間の魂をこんなに寂しくしたのではありませんでしょうか。……魂という言葉は天地万物を流れる力の一つの形容詞に過ぎないのではありますまいか。..
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..品」と名づけられてもよいでしょう。けれども鳩く摩ま羅ら什じゅう三蔵(三四四?四一三)の訳された『妙みょう法ほう蓮れん華げ経きょう』では、「陀羅尼品」と命名され、鳩摩の一切の鬼神の母なり。又十羅刹..
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..が拠よっている梵ぼん本ぽん(サンスクリット語の原本)が存在していないので、原語が確定せず、したがって原意も明らかにすることができない」(前掲書・一一〇九頁)と指摘されています。また塚本啓祥先生..
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..「八人です」徳山、「よし、みな一度につれてまいれ!わしがその罪過を確かめてやろう」師問曰、「維那、今日幾箇新到?」対曰、「有八箇」。師曰、「一時令来、生案過却」。師〔徳山〕問うて曰く、「維那、今..
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..「生案過却」の字義はよく解りませんが、『景けい徳とく伝でん灯とう録ろく』巻15徳山章では最後の一句が「将ひき来きたれ!一時に生案著せん」と記されており、禅文化研究所訓注本『景徳伝灯録』五の注はこ..
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..り、禅文化研究所訓注本『景徳伝灯録』五の注はこれを「罪過を立件する」意と推定しています(頁四五五)。ここもおそらくそうだと思われますが、さて、そうだとすると、ただ行脚して来ただけの新到僧たちに..
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..山、「何だ?」僧、「わかりません」仰山、「おまえにも拠るべき根本が無い。茫々たる業識だけでの話ではない」。?山はこれを聞いて感嘆した。「うむ、師し子しの乳ちち一滴でロバの乳六ろっ斛こくを吹き飛ばす..
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..生、但有忙忙業識、無本可拠�%�云何答?」仰山〈云〉驀呼於学人名、学人応諾。仰山問、「是什摩物?」学人答云、「不会」。仰云、「汝亦無本可拠、非但忙忙業識」。?山云、「此是師子一滴乳、六斛驢乳一..
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..会」。仰云、「汝亦無本可拠、非但忙忙業識」。?山云、「此是師子一滴乳、六斛驢乳一時迸散」。?山又た云く、「忽もし人有り��一切衆生は但ただ忙ぼう忙ぼう〔茫々〕たる業ごつ識しきのみ有りて、本もと..
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..つ識しきのみ有りて、本もとの拠よる可べき無なし�≠ニ問わば、汝、云いか何にか答えん?」仰山、驀だしぬけに学がく人にんの名を呼ぶ。学人応おう諾だくす。仰山問う、「是れ什なにもの摩物ぞ?」学人答え..
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..。仰云く、「汝亦また本の拠る可き無し、但ただに忙忙たる業識のみに非ず」。?山云く、「此は是れ師し子しの一滴の乳にて、六斛こくの驢乳、一時に迸とび散ちれるなり」。「一切衆生は但ただ忙ぼう忙ぼう〔..
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..つ識しきのみ有りて、本もとの拠よる可べき無なし」。同様の句は『祖堂集』南なん陽よう慧え忠ちゅう章や『景徳伝灯録』玄げん沙しゃ章にも見えます。すべての衆生は埒らちもなく広がる迷妄の意識におおわれ..
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..す(禅文化研究所訓注本『景徳伝灯録』三—頁一八七注参照)。この話で仰山は「忙忙〔茫々〕たる業識」の他に別に「拠る可き本」が有るのではない、有るのは衆生自身の活きた身心のはたらきのみであり、それ..
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..の他に別に「拠る可き本」が有るのではない、有るのは衆生自身の活きた身心のはたらきのみであり、それを仏性として自覚すれば「拠る可き本」であり、自覚しなければ「忙忙〔茫々〕たる業識」に過ぎぬ、とい..
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..自覚すれば「拠る可き本」であり、自覚しなければ「忙忙〔茫々〕たる業識」に過ぎぬ、というのでしょう。その趣旨を、かつて馬祖が次のように説いています。「即そく心しん是ぜ仏ぶつ」の意味が「了わからな..
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..仏ぶつ」の意味が「了わからない」と訴えた汾ふん州しゅう無む業ごうへの説示です。即ほかならぬ汝なんじの了りょうぜざる所の心〔了わからないというこの「心」〕こそ即ち是れ〔「仏」〕なり、更に別べつの物も..
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..ょうぜざる所の心〔了わからないというこの「心」〕こそ即ち是れ〔「仏」〕なり、更に別べつの物もの無し。了ぜざる時は即ち是れ迷い、了ぜる時は即ち是れ悟り。迷わば即ち是れ衆生、悟れば即ち是れ仏ぶつ道どう..
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..し、僧にはその趣旨がわかりません。そこで仰山はこれこそが「但だ忙忙〔茫々〕たる業識のみ有りて、本の拠る可き無」き衆生の姿だと言い、?山がそれに舌を巻いたという話です。「獅子の乳はただ一滴で、六斛の..
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..たる業識のみ有りて、本の拠る可き無」き衆生の姿だと言い、?山がそれに舌を巻いたという話です。「獅子の乳はただ一滴で、六斛の驢馬の乳を吹き飛ばす」、?山が語ったこの感嘆の語は、わずか一滴の菩ぼ提..
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..」(禅文化研究所訓注本、頁三六五)。「わしがここに住持してから、真に「無ありのまま事」でいる者が一人もやって来たことがない。おぬしら、近ちこうよらぬか」。そこで一人の僧がツッと進み出たところへ..