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..agazine自由を生きる人、自給で生きる家族、その想いと暮らし。?2020年2月1日発行?編集発行HAJ(株)北海道アルバイト情報社TAKE FREE vol.10,{3A14E1A0-815F..
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..由を生きる人、自給で生きる家族、その想いと暮らし。?2020年2月1日発行?編集発行HAJ(株)北海道アルバイト情報社TAKE FREE vol.10,{3A14E1A0-815F-4EFD-82..
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..るんです」照美さんの言葉に正昭さんがうなずいた。取材終わりに一緒に畑を歩いてみた。互いを気遣い時に冗談を言い合う二人は、夫婦というより強い絆で結ばれた同志に映る。当初の目的でもある地域の農の再生..
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..人は、夫婦というより強い絆で結ばれた同志に映る。当初の目的でもある地域の農の再生は道半ばだけれど、悲嘆に暮れるそぶりは微塵もない。と、突然正昭さんが伸びをしながら声を上げた。「しっかしさ、俺たち..
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..経った。ハーブという言葉が雑誌やテレビに登場するようになると、遠巻きに眺めていた客も手を出し始める。北海道ハーブのパイオニアの名は全道の市場に知れ渡り、卸やバイヤーから声がかかるようになっていっ..
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..振り始めた。健さんが言葉を継ぐ。「スズメバチです。ああやって突然やって来て、ほんの数匹でミツバチたちをたちどころに噛み殺してしまう」これまでもいく度となくスズメバチの襲来があった。その度に二人は..
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..さんがさらりと言う。言葉や態度の、その先にある父の思い。歳治さんと納屋の椅子に腰をかけた。作業がありますからと健さんは裏の畑へと消えていった。歳治さんに気になっていたことを尋ねる、なぜ息子さんに..
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..んなことがあったって生きていけるよ」自分もそうだったしね、歳治さんがポツリと言う。教えないこと、無為に手を差し伸べないこと。一見冷淡に映る歳治さんのふるまいは、実は限りなく深い思慮と果てしなく広..
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..愛情で覆われている。言葉や態度を超えた慈愛が親子の絆を培っているのだ。そして多分、健さんもそれに気づいているのだろう。開け放たれた窓からやさしいハーブの香りが漂った気がした。山崎親子お手製のハチ..
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..る、任せておけ」その言葉通り親方は、誠さんが八雲での研修中に見つけ、ここにしたいと思った野田生という集落の土地の仲介をしてくれた。さらに研修中に用水路の管理や野田生公園の草刈りなど、地域の行事に..
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..育むためだ。生命力の強い野菜が健康な心と身体をつくる。誠さんは非常に理論的だ。生産者としてはもちろん経営者や技術者さらに科学者の観点からも農に向き合い、行動し推論し結論を導いていく。例えば最も大..
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..厳しい環境に適した、強い生命力を持つ品種を育てていきます。自然との調和の中で生命力の強い野菜をつくり人々の健康な心と身体の力になること、これが自分たちのテーマなんです」食べたものが人をつくる。な..
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..の調和の中で生命力の強い野菜をつくり人々の健康な心と身体の力になること、これが自分たちのテーマなんです」食べたものが人をつくる。ならば感謝して命をいただき、意識した消費をし、人と自然のつながりと..
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..言った。厳しい風土が生きる力を育むのだと。この二人にも同じことが言えるだろう。需要と供給のバランスによって決まる価格、野田生の農家たちとの絆、顧客たちの感謝の言葉。時に厳しく時に温かなこの八雲の環..
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..絆、顧客たちの感謝の言葉。時に厳しく時に温かなこの八雲の環境が、二人の明日を生き抜く力を培っている。あと何年かすれば、二人は正真正銘の八雲の農業人になっているに違いない。目前で屈託なく笑い合う二..
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..らす人々。つながりの強さと温かさに心打たれたっけ…。2農場が一枚の\キャンバスに!/右も左も分からない農の世界へ!農業の知識は全然なかったあのころ。それでも温かく取材を受け入れてくれたみなさん..
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..らす人々。つながりの強さと温かさに心打たれたっけ…。2農場が一枚の\キャンバスに!/右も左も分からない農の世界へ!農業の知識は全然なかったあのころ。それでも温かく取材を受け入れてくれたみなさん..
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..すル!を自然のままに生きる野生牛。9未来は子どもたちの中にある。特集は子どもたちのかわいさに心がキュンキュンした農的子育て。50歳から自然栽培を始めた山本さん。農村空間の大切さを教えてくれた仲野さ..
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..l.10農10自由を生きる人、自給で生きる家族、その想いと暮らし。ISSUE50歳から始めた自然栽培山本さん。21グルルルル…(子牛に手を出したら\許さないわよ) /しゃしん、\とって~/おじさん..
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..由を生きる人、自給で生きる家族、その想いと暮らし。ISSUE50歳から始めた自然栽培山本さん。21グルルルル…(子牛に手を出したら\許さないわよ) /しゃしん、\とって~/おじさん、一番面白かった..
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..トマトの話になると、言葉が熱を帯びる。ハットをかぶるキャラクター。もちろんモデルは健太郎さんだ。25自由を愛する生き方。,{9C33A70E-8314-4663-9918-D2AA77F288B..
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..は何一つ変わらない。生きたいように生きてるだけ。これが私の選択、私の求める自由なんです。熊崎農園占冠村シムカップ地区自由を貫くと言葉も生き方も、シンプルになるね。話を伺ったカボチャ畑も、急峻な山..
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..ない。生きたいように生きてるだけ。これが私の選択、私の求める自由なんです。熊崎農園占冠村シムカップ地区自由を貫くと言葉も生き方も、シンプルになるね。話を伺ったカボチャ畑も、急峻な山々が連なる白亜..
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..ップ地区自由を貫くと言葉も生き方も、シンプルになるね。話を伺ったカボチャ畑も、急峻な山々が連なる白亜の世界も、彼女の仕事場。異空間を往来する人的な、近寄りがたさが微塵もない。はるみさんはそんな人..
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..61D0}32,は、生きるのに何の不安もない実家に住んでいるから。だったら、強制的に離れればいいんだと住み込みの働き先を探したんです。それも、できるだけ遠くの。そうして目に飛び込んできたのが別海の..
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..うなら、毎日のように生き死にを目の当たりにするからです」命と向き合う酪農は、目配りを怠るとあっという間に死につながる仕事。有り体に言えば大変な分だけ手応えが大きく、変化に満ちているところが胸を打..
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..暮らしの退屈さを表す言葉で締めくくられた。一カ月ほど前のメッセージには、お父さんと働く彼の写真が添えられていた。「ホームページに使う写真、ダサいだろ」。よく見ると額が少し後退している。服は着古さ..
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..之さん。北海道和種馬ドサンコの自然放牧での繁殖育成を、��たった一人”で手掛けてきた方である。農家の経営を助けたドサンコ飼育。まだ8月中盤だというのに牧場の空気は秋の気配をまとっている。川原さ..
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..。農家の経営を助けたドサンコ飼育。まだ8月中盤だというのに牧場の空気は秋の気配をまとっている。川原さんに導かれたログハウスの中では早くも薪ストーブが焚かれていた。川原さんのご出身は大正村(現帯..
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..や釧路に勤務した。「ドサンコに出会ったのは30代半ば。浜中町の漁師が原野に放し飼いしていたのを見た。これだと思った」当時の農業普及員の重要な任務は、農家の経営の安定化に資すること。笹を食べるド..
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..すること。笹を食べるドサンコは荒地の開発に役立つだけでなく、その食肉は農家の新たな収入源になる。経営難に嘆く農家の手助けになればと、川原さんはドサンコの導入を啓蒙していった。「乳牛や養鶏ほど手..
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..なればと、川原さんはドサンコの導入を啓蒙していった。「乳牛や養鶏ほど手がかからないし、性格も温厚。効率のよい経済動物として方々で導入したいという声が上がったよ」各地にドサンコ生産組合が結成され..
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..が上がったよ」各地にドサンコ生産組合が結成され、食肉の流通ルートも確立されるようになった。当の川原さんも55歳で普及員を退職。芽室町で生産組合を結成し『剣山どさんこ牧』の代表となった。「計画受..
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..った。当の川原さんも55歳で普及員を退職。芽室町で生産組合を結成し『剣山どさんこ牧』の代表となった。「計画受胎させたり高価な飼料を仕入れたりと合理的に頭数を増やしたよ。まるで牛のように飼育も徹底..
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..辞められなかったよ。ドサンコの飼育は自分が描いた農の施策だったし、生産者が心血を注いだ馬肉の評価が地に落ちたことにも納得がいかなかやさしく声をかけ、威厳を持って叱る。ドサンコの信頼感を培うのは..
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..、威厳を持って叱る。ドサンコの信頼感を培うのは筋の通った接し方だ。37どさんこの母として、父として。,{B66F4DC0-5678-4759-8BA1-6CE44C08B26F}38,ったし」..
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..原さんだが、何頭ものドサンコを飼育してきた牧場主の心には、開拓の相棒であり宿命を背負った産業動物でもあるドサンコへの慈しみの念が湧いていたはずだ。身を挺してもドサンコを継承したかったよという川..
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..った産業動物でもあるドサンコへの慈しみの念が湧いていたはずだ。身を挺してもドサンコを継承したかったよという川原さんの思いは痛いほど分かる。残った馬は数十頭。資金はとうに底をつき牧場を続けるため..
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..はずだ。身を挺してもドサンコを継承したかったよという川原さんの思いは痛いほど分かる。残った馬は数十頭。資金はとうに底をつき牧場を続けるための人は雇えなかった。かといって還暦を超えていた川原さん..
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..を疾走するたくましいドサンコの姿が蘇った。川原さんが選んだのはこれまでとは正反対の、完全自然放牧による飼育だった。人の都合を捨て、馬と共に生きる。ドサンコを継承すると決めたその日から、馬たちは..
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..都合を捨て、馬と共に生きる。ドサンコを継承すると決めたその日から、馬たちは年中放牧地に放たれることになった。濃厚飼料を与えられなくなった馬は夏は青々と育った草を食み、冬は雪の下の枯草や樹木の幹に齧..
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..て、馬と共に生きる。ドサンコを継承すると決めたその日から、馬たちは年中放牧地に放たれることになった。濃厚飼料を与えられなくなった馬は夏は青々と育った草を食み、冬は雪の下の枯草や樹木の幹に齧りつ..
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..ために沢を駆け下り、生きるために斜面を蹴上がる。どの馬も体躯は一層たくましくなり、瞳には野生の鋭さを宿した。人為的な種付けも止めた。あれほど注意を払っていた出産の介助でさえ一切行わないことにした。..
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..が、それは違う。馬は生きるために自然の中で学び続けるんだ。牧場とドサンコの種を存続させることができるのは馬たちの自活力だけ。人間のその場限りの薄っぺらな助けなど必要ないんだよ」家族になれば、理解し..
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..び続けるんだ。牧場とドサンコの種を存続させることができるのは馬たちの自活力だけ。人間のその場限りの薄っぺらな助けなど必要ないんだよ」家族になれば、理解し合える。食肉の生産からも退いた。代わりに..
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..わりに取り組んだのがドサンコ乗馬。馬を一から調教し観光客にトレッキングや探索を楽しんでもらおうと考えたのだ。自然放牧であっても幾ばくかの金は必要だった。しかしその調教は難を極めた。いつまでたっ..
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..た。いつまでたってもドサンコが川原さんに慣れなかったからだ。追いかければ逃げられ追い込めば蹴飛ばされた。仔馬を捕まえた川原さん38,{0F6FE4F8-91E2-4CD2-BFAF-3FDC1..
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..牧場は北海道で唯一のドサンコ牧場として賑わいを見せた。今日も牧場に立つ理由。川原さんが牧柵を越えると、丘の中腹で草を食んでいた馬たちが一斉に近づいてきた。その一頭一頭に触れ、目を覗き込み、言葉..
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..触れ、目を覗き込み、言葉をかける。その様は慈しみに満ちた母のようでもあり、威厳を保つ父のようでもある。「馬も人と同じ。親と子は身を寄せ、社会に守られて生きてるんだよ」川原さんの取り組み、さらに応..
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..寄せ、社会に守られて生きてるんだよ」川原さんの取り組み、さらに応援してくれた人々の尽力もあり、ドサンコは今道内で1100頭ほど飼育されるまでに至っている。最近はドサンコの乗馬施設も道内各地にでき..