第7回 Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)   編集長 田中杏子さん

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ハイエンドなファッション誌にもかかわらず、独自の読み物が充実していてユニーク地位を獲得しています。編集長の海外体験やキャラクターが上手に生かされ、いろんな角度から楽しめる雑誌になっています。

Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)表紙

■この雑誌の最新号■

Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)  表紙

定期購読バックナンバー

Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)
プレゼント付き
一冊定価:700円
発行間隔:月刊
発売日:1,2,3,4,5,7,8,9,10,11月の28日
出版社: 扶桑社
編集長プロフィール
扶桑社
ヌメロ・トウキョウ編集長 田中杏子さん
編集長写真
たなかあこ ミラノに渡りファッションを学んだ後、雑誌や広告などに携わる。帰国後はフリーランスのスタイリストとして多方面で活動。「エル・ジャポン」の契約スタイリストを経て、「ヴォーグ・ニッポン」創刊時より編集スタッフとして参加。また、広告やTV番組の司会、資生堂「Maquillage」のファッション・ディレクターなど多方面で活躍。2005年11月より 「ヌメロ・トウキョウ」編集長に就任し、2007年2月に創刊、現在に至る。

他紙との差別化オリジナリティを明確にすることで支持者を増やしていきます

――杏子(あこ)さんはイタリアに長く住んでおられたと聞きましたが。


東京湾が一望できるお洒落な編集部
東京湾が一望できるお洒落な編集部

はい、18歳から約6年、ミラノで暮らしていました。最初の3年間が学生で、デザイナー、パタンナーになるための勉強をしました。

私、中学生のころからスタイリストに憧れていたんです。だからファッション関係の仕事に就きたかった。それで父の勧めもあって、ファッションを学ぶのならイタリアだろう、と。

――粋なお父様ですね。

最初は語学留学でアメリカ・・・とも考えていたのですが、父は留学するならちゃんと身になることをしろ、と。語学なんてその場で暮らせば誰でも身につく、という考えだったんですね。

それに父はアパレル関係の仕事をしておりましたので、頻繁にイタリアには行ってたんですよ。だから私も父の後押しでイタリア、ということになったんです。

――そのころのイタリアのファッション業界はどうでしたか?

私が過ごした1980年代後半のファッション業界は、元気がありましたが、学校を出ても仕事を見つけるのは大変でした。私も3年間勉強をして、半年ほど職探しをしました。待っていても仕事は来ないので、自分でテストシュートをしてブックをつくって飛び込みでセールスに行くんです。作品がないと、仕事を依頼するほうもどんなテイストの仕事を出せばいいのかわからないですよね。だから私はまず写真家と知り合って、手伝ってもらいながらオリジナルブックをつくって営業したんです。

3件目くらいでラッキーにもスタイリストの仕事をもらえることになったのですが、最初に言われたのは「仕事はあるけどアシスタントだからノーギャラね」(笑)。でも私は、それでOKでした。とにかく自分のやりたい道の第一歩を踏み出せたわけですから。そして働き始めて1ヶ月経ったら、給料をくれるようになった。おまけに最初のノーギャラ月の分は、まわりの人たちが自分のポケットマネーを出し合って私にくれたんです。感動しましたね。

そこでアシスタントをしながら少しずつ自分自身の仕事ももらえるようになっていったんです。

――そのままイタリアに残って仕事を続けることは考えませんでした?

考えましたけど、やはりずっと海外に居続けることには不安が大きかったですね。もう日本に足場を失ってしまってイタリアから動けないような人もいましたから。

でもそれ以上に、そのころは東京ブームで、イタリアでも東京の話題が非常に多かったんです。私は大阪生まれで、東京を知らない。大阪とミラノしか知らなかったんです。そこで、これは東京を見ておかないといろんな意味でやばいかな、と思うようになったんです。

――それで東京進出ですね。


ヌメロ・トウキョウの
記事が読めます。
presented by MagMe

はい。でも知り合いなんかいない(笑)。ミラノ時代に知り合った人が2人いただけです。

細いコネを頼りに、あとはやはりミラノ時代の仕事をブックにまとめて営業しました。ショールームに電話してプレスの人たちに見てもらったりしながら、小まめに歩きました。「ではヨックモック前で待ち合わせね」とか言われても、そのヨックモックがわからない(笑)。まずは、地理を覚えて歩きながら自分の手帳を充実させていきました。最初は「流行通信」、それから「スプリング」「フィガロ」、それに広告の仕事・・・と少しずつ仕事の幅も広がっていったころに「エル」から誘われて、当時の森編集長から薫陶を受けました。

その後「ヴォーグ・ニッポン」からお誘いを受けたのですが、そのときは正社員になれといわれました。スタイリストは卒業して、ファッション・エディターになれと。これも何かのタイミングかな、と思い今度は編集者としての勉強を始めました。そのころの「ヴォーグ・ニッポン」は、まだ日本で出版が始まったばかりで、本国のチームが乗り込んできてあれこれ指示を出していました。かれらは雑誌の質を、それにかかわるクリエーターのランクで決めるんです。だから「ヴォーグ・ニッポン」にかかわるクリエーターは世界レベルのAランクでなきゃいけない。世界レベルのクリエーターはそれぞれ自分たちのチームをもっていますので、“スタイリスト田中杏子”では入り込めない部分も・・・ (次頁へ続く)

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