日本最大級の雑誌数 定期購読者100万人以上!

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経営者が選んだ名言


「未来を予測する最善の方法は
自らそれを創りだすことである」

-富士山マガジンサービス社長 西野伸一郎

大学を卒業して10年間、早くからインターネットビジネスに携わっていた僕は、「日本にも近い将来、必ずIT時代が来る」―そう確信し、独自ビジネスを展開することを堂々模索していた。

そして98年、転機はやってきた。オンライン書店の黎明期、「日本にもアマゾンを」と考えた僕と友人は、米国にいるCEO、J・ベソス氏に1通のメールを送った。それをきっかけに米国アマゾンに1年間在籍した後、書籍部門の責任者として日本語サイトのオープンにこぎつけた。この経験が、現在の雑誌講読ビジネスの起業へとつながっていく。

いまでこそ広く国内に普及したネットも当時は一般的ではなかった。ましてや全国で書店が減少し、出版業界全体が厳しい状況で、「なぜネットで雑誌を売るの?」と疑問視する声が圧倒的だった。

しかし、雑誌市場は書籍の1.5倍もあるのに、ネットと雑誌というキーワードでは、当時誰もビジネスを始めていなかった。ネットが広がれば新しいビジネスにつながるはず。これを逃す手はない。行動に移すとき、僕の背中を押したのが、A・ケイ氏のこの言葉だった。

ケイ氏は、ダイナブック構想を生み出したことで有名な米国ゼロックスのパロアルト研究所の中心的人物。教育者でもある。僕の仕事を助けてくれている松山太河氏が『最高の報酬』(英知出版)という本の中の著名人の名言の1つとして紹介していたのを見たのが最初だった。ケイ氏のオリジナルは「invent it」で、忠実に訳せば「発明する」だが、僕としてはむしろ「create it=創り上げる、創りだす」のほうがしっくりくる。だから、ケイ氏の思いとは違うかもしれないが、ちょっとアレンジして使っている。

未来は待つものではなく、自分の力で創るもの。そして大切なのは、日々、未来につながることをやり続けるということ。かつての夢が叶ったいま、僕は、すでに次なる夢に向けて歩きだしている。

※経営者会報のバックナンバーはこちら <!— 日本で「アマゾン・ドット・コム」の立ち上げにかかわった男がインターネットを使った新たなる書店ビジネスに挑んでいる。雑誌の定期購読申し込みサイトを運営する富士山マガジンサービス(東京・渋谷)の社長、西野伸一郎(39)だ。米国では当たり前の雑誌定期購読を日本でも根付かせることができるのか。自称「出版流通の突然変異」に業界の注目が集まる。

「本当にビジネスになるの」。富士山を立ち上げた2002年12月、知人らはそろって首をかしげた。ネット上で雑誌の定期購読を個人や会社から募るという、これまで日本には例がないビジネス。しかし、知人らの心配をよそに、富士山のサイト(http://www.fujisan.co.jp/)は月間80万人が訪れるまでに成長。

国内で定期的に出版されている雑誌は約3500タイトル。富士山ではこのうち、約300の出版社の900タイトルが申し込める。月300契約を獲得する雑誌もある。購読履歴をもとに顧客ニーズを把握。メールで新たな雑誌を薦めたりもする。

申し込みをうけたら、各出版社に注文を流す。購読の更新管理や決済を請け負っており、出版社は発送するだけ。購読打ち切りの際の返金などの手間のかかる事務処理にも対応しており、経営の効率化につながる。

定期購読がふえれば返品リスクが減るだけでなく、読者一人ひとりの顔が見えるためマーケティング戦略を立てやすくなる。出版社側が富士山に支払う手数料は原則、販売価格の35%だ。利用者のメリットも大きい。店頭ではお目にかかれない小規模出版社が発行する専門性や趣味性の高い雑誌が簡単に見つけられる。複雑の雑誌を購入する際、富士山のサイト上で申し込みから決済まで一括して済ませられるため、法人利用もほぼ半数を占める。定期購読読者向けの割引サービスも一目りょう然だ。

富士山ではキーワード検索などサイトの使い勝手を向上させるため、シリコンバレーに近いサンフランシスコ近郊に開発部隊を常駐させている。「1年たって、やっと格好がついてきた」と西野は胸を張る。 西野が抱く「成功への自信」は世界最大のネットストア、アマゾン・ドット・コムの日本法人を立ち上げた実績に裏打ちされている。

西野は1988年にNTTに入社。93年には会社派遣の留学生として渡米し、米ニューヨーク大学で経営学修士(MBA)を取得した。米国では当時、ネットを使った様々なビジネスが起こりつつあり「将来、ネットが世界を変えると予感した」。帰国後はマルチメディアビジネス開発部で、シリコンバレーのベンチャー企業などと連携に奔走した。

アマゾンの日本誘致を夢見て動き始めたのは98年9月。NTTに勤務しながら、友人の西川潔(47)ら3人と同年2月、ネットエイジ(東京・渋谷)を設立した。西川は渋谷を日本のシリコンバレーに見立てた「ビットバレー」構想の提唱者。設立したネットエイジは、ネットを応用したビジネスを育成、投資するインキュベーターの先駆け的な存在だ。「NTTの就業規則では副業は禁止されていたが、企業を禁じる項目はなかった」と、西野は笑う。

西野や西川の夢は「ネット業界で最も輝いているアマゾンを日本に移植する」ことだった。アマゾンのCEO(最高経営責任者)であるジェフ・ベゾスは、来日してアマゾン利用者に本を直接手渡すというパフォーマンスを繰り広げるなど「日本進出を狙っているように思えた」。

そこで「私たちの提案を聴いてください」という電子メールを直接、ベゾスに送ることにした。 「ぜひ渡米してください。費用は出しませんが……」。返事は数日で来た。「駄目でもともと、あこがれの男に会いに行こう」。西野ら3人は早速、アマゾン本社のあるシアトル行きの飛行機に飛び乗った。

「日本でもいち早く事業を始めたいんだ」。初めて会うベゾスの第一声だ。すでに商社や出版社など多数の日本企業が、アマゾンと提携話を持ちかけていた。西野らは「自分たちがアマゾンの追及する顧客第一主義を一番理解している」と、売り込んだ。アマゾンが日本進出で選んだ方法は提携ではなく独自展開。ベゾスは「アマゾンの遺伝子を伝えられる最適な日本人」として西野らをパートナーに選んだ。

西野は99年春、12年間勤めたNTTを退社、3人の代表としてシアトルと東京を往復する生活が始まった。2000年11月にアマゾンが日本で開業するまで、ベゾスのもとで、生き馬の目を抜く米ネット業界について学んだ。

オフィスの机など自分たちの使うものには極力お金をかけず、顧客の使い勝手を上げるシステム開発に大量の資金を投入する。購入した書籍の売り上げランキングが瞬時に上がったり、利用者が書評を書き込んだり……。「ネット上では消費者が主役」ということを肌で感じ取った。 ただ書籍・出版の世界は全くの素人。営業に訪れた出版社から「どこの馬の骨だ」と、追い返されたこともしばしば。そんな努力が蓑ってベゾスは西野に「ジャパン ファウンダー」(日本の創業者)という肩書きを与えたほどだ。

「人にはそれぞれ役割がある」。経営経験のない西野は書籍事業部長としてアマゾンの日本法人をとりまとめることになる。日本法人設立からわずか3年で、アマゾンは年間200万人が利用する巨大オンラインストアになった。

西野は02年9月までアマゾンに席を置いたが、在籍中に疑問に思い始めたのが雑誌だ。国内の雑誌の市場規模は約1兆3000億円で書籍の1.3倍を占める。ただ、急な購読打ち切りなど顧客管理が難しいため、アマゾンではなかなか手を付けることができなかったという。

「この市場を自分の手で開拓したい」。ベゾスに思いを打ち明けると「同じ企業家として応援するよ」といったメッセージが返ってきた。西野はアマゾンを離れ、自ら起業する決断をする。

米国では雑誌の80%が定期購読で売られているが、日本では10%程度にすぎない。ネット書店の浸透で変わり始めた書籍流通と違い「雑誌は今でも取次会社ががっちりと流通を押さえている」。約30%といわれる返品率を下げるため、流通量を絞り込み、これ以上チャンネルを広げたくないとの思惑があるからだ。

「従来の流通システムそのものが、雑誌を売れないようにしている」ように西野の目には映った。だから、ニーズはあっても読みたい雑誌が書店の棚に並ばないという需給のズレが発生する。

西野は「我々は業界の突然異変。生き残れるかどうかは、消費者が決めることです」ときっぱり言う。 今では、自前の定期購読申し込みシステムを持つ出版社も富士山に参加し始めた。「自分たちの雑誌の存在を知ってもらう新たな場としての価値がある」(マガジンハウス)。自ら新たな販売チャネルを築くより、コストが抑えられる点にメリットを見いだす。

「将来は、国内で発行されているすべての雑誌を扱いたい」。富士山に刺激されてか、大手取次のトーハンも定期購読推進に動き始めた。「ライバルが増えれば市場も活性化する」。今でもメールなどで意見交換をしているベゾスが応援してくれている、との重いが励みになる。

二年後に雑誌市場の約1%に当たる年商100億円にするのが目標。出版市場が年々縮小し、街の著店の経営は厳しさを増すなかで「変化はチャンス」と確信する。突然異変の挑戦が出版市場を運び動かそうとしている。 —>