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勝ち組起業家「オレのやり方」
アマゾンから富士山に転じた 定期購読サイトの開拓者

-富士山マガジンサービス社長 西野伸一郎(40)

文系出身、でも得意は理系 明治大学経営学部卒と、文系出身だが、「思考回路はむしろ理系」なのだという。そのため、大学受験も得意な数学で受験できる大学、学部に絞っていた。一方、中学の頃からギターやピアノなど楽器を奏で、作曲家志望だった時期もある。 「楽器はいまでも心地よい気分転換ツールで、スタジオでギター、キーボード、ベースを弾く機会もあるし、ポップス、ジャズ、ロック、リズム&ブルースといろいろ聴きます」

大学時代、休学して渡米していた頃にMBA(経営学修士)の存在を知り、MBA取得のための留学制度を用意している企業をターゲットに就職活動を始める。当初は外資系企業に関心があったこともあり、アンダーセンといったコンサルティング会社、あるいはシティバングやシェアソン・リーマン(現リーマン・ブラザーズ)といった投資銀行を就職先の候補に考えもした。が、「外資でも(MBA留学に)行く人はいるんですが、外資は給与水準がいいから自分で留学資金を貯めて行くんですね。当時はそういうことがわからなかったので、国内企業で留学プログラムが揃っているところを探したのです。で、当時(1987年頃)はKDDが国際的な仕事、NTTは国内の仕事みたいな感じでしたが、一見、ドメスティックなNTTが、実は一番MBA留学させている企業だったんです」

こうして88年にNTTに入社、志望どおり、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)などシステム系のコンサルティングの仕事に従事した。ちなみに当時のNTTは真藤恒社長時代。後にリクルート事件の収賄容疑で逮捕される、式場英・NTT取締役がシステムコンサルティング事業をリードし、「式場部隊」と言われるほど勢いがあった頃だ。西野氏は研修期間を終えた後、同部隊に配属になったのである。

その後、93年から95年にかけて、念願叶ってニューヨーク大学に留学、MTVジャパンの笹本裕社長とは同大の同窓生仲間だ。 「米国では当時、ネットスケープといったIT企業が華々しく登場してきた頃。渡米したことがインターネット事業に関わるきっかけになりましたが、当時はまだ、インターネットというよりマルチメディアと言われていた時代です」

その後、西野氏はNTT系の検索エンジン、ポータルサイトのgooの立ち上げに関わったり、シリコンバレーにあるITベンチャーの投資案件などを担当。同時に、MBAホルダーとなった西野氏には人脈の広がりも出てきた。

「グロービズの堀義人社長(89年~91年まで米国ハーバード・ビジネス・スクールに留学)が、MBA留学帰りの人を対象にベンチャー事業の勉強会を主宰していて、私も参加したんです。そこで、西川潔さん(ネットエイジ創業者)と出会いました。西川さんは当時、パソコンの授業をコツコツとやられていた。私のほうも当時、パソナさんとジョントベンチャーを作って、NTTのISDNを利用したパソコン塾を週末んにやっていたんです。で、西川さんと話をしていくうちに、どんどん引き込まれていった感じですかね」

こうして、98年のネットエイジの創業に社外取締役という形で関わった西野氏だが、結局、NTTには99年まで籍を置いていた。 「gooの仕事をしながら思っていたのは、検索エンジンの次は、必ずEコマースの時代が到来するだろうということ。そして当時は、Eコマースと言えば(米国のインターネット書店の)アマゾン・ドット・コム、みたいな時代だったのです」アマゾン本社に早速メールを送ると、西野氏のプレゼンテーションを聞く用意があると返事がきた。

「渡米したのは98年の秋だったと思いますが、ともかく、アマゾンのジェフ・ベゾスCEOに日本法人の立ち上げを提案しました」

「99年にアマゾンに転職し、実際にシアトルに住んで、アマゾンのことをみっちり勉強しました。提唱していたアマゾンジャパンの立ち上げが決まり、本格的に設立へと動き出したのは、その年の暮れ頃になってからです」 アマゾンジャパンは、その後約1年の準備期間を経て、2,000年の暮れにようやく稼動し始めた。日本ではITバブルが崩壊した後だが、アマゾンジャパンのサイトに関してはあまり影響はなかったという。

西野氏が富士山マガジンサービスを興したのは2002年7月、37歳のこと。アマゾンジャパンのスタートから約1年半後だが、その間の心の変化についてこう述懐する。

「当然と言えば当然なんですが、外資の日本法人ということは、いわば日本事業部。法人としては確かに日本にありましたけど、極端な話、BS(貸借対照表)は見る必要がなく、PL(損益計算書)だけ追いかければいい。それはそれでやり甲斐があったんですが、やはり、100%子会社と自分が考える会社像とでは明らかに違うな、というのがだんだん見えてきたんです」

競争無風だった「定期購読」 とはいえ、西野氏は「起業こそ我が道なり」と強く思っていたわけではないという。 「これまでは、自分の可能性を広げることを軸にビジネスをチョイスしてきたんですが、自分がやりたいことというのは、どこかの時期で明確にしなければいけない。そのひとつの区切りが35歳前後だと思うんです。たとえば、ある特定の花に栄養を行き渡らせるには、ほかの花を摘まなくてはいけない。それと同じです。それで、自分で事業を興することを自然体で考えるようになりました」

結局、アマゾンには足掛け4年ほど関わった西野氏、書籍関係の責任者だった頃から、より大きな雑誌のマーケット、それも日本には存在しない、定期購読に特化したサイトを開設する構想が次第に大きくなっていった。 こうして、前述したように02年7月に富士山マガジンサービスを設立。出版社との折衝など、準備期間を経て同年12月にサービスを開始した。いまでは500社ほどの出版社と契約し、2000誌を扱うまでに成長している。

ちなみに、社名に冠した富士山については、「日本を代表する山で、美しくカッコイイし覚えやすい。中には『ダサイ名前』って言う奴もいますけど、『文句あっか?』って感じです(笑)。あと『アマゾンが河だったから今度は山なのか』と言う人もいますけどね(笑)」

最近の、学生からすぐに起業する傾向については、功罪相半すると指摘する。 「それはそれでいいし、特にネット系は小資本で起業できる事業が多く、昔と違って東証マザーズとかナスダック(現ヘラクレス)といった新興市場もできて、エクイティファイナンスがしやすい環境になりましたしね。一番大事なのは、自分が一番やりたいタイミングで起業できるかどうかだと思います。

組織にいるのは善し悪しで、特に大企業だと、マネージする経験や組織の上に立つ経験が若いうちはなかなか得られない。 そういう経験はできるだけ早い時期からやったほうがいいに決まってます。人を動かせない状態で、ペーペーのまま組織に長くいるのはマイナス。逆に言えば、マネージ経験が早い段階でできる組織なら、むしろそこで経験を積んでから起業するほうが強いでしょう」

さて、富士山マガジンサービスは現在、社員が約30名。今後は雑誌に関連した商品のネット販売なども手がけ、「バイリンガルの社員も少なくないのに、いまウチの事業はコテコテのドメスティック(笑)。今後は国際化を睨んだ展開も視野に入れていきます」と言う。

西野氏自身の今後の人生は、日本、米国の西海岸、プラスアルファの三拠点を往来しながらの生活が理想だそうだ。ちなみに、同氏が個人的に定期購読している雑誌は、音楽、サイエンス系が多いとか。 「クルマを運転するのも嫌いじゃないけど、いいクルマに乗りたいとかっていう願望は、普通の人より希薄かもしれない。クルマはボロでもいいから、西海岸のフリーウェイで、あの独特の日差しの中で運転していたいんですよ」

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