日本最大級の雑誌数 定期購読者100万人以上!

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ネット雑誌の定期販売を展開
富士山マガジンサービス 代表取締役社長 西野伸一郎 髭ををたくわえ、ラフな格好の西野伸一郎(42)はIT企業の代表取締役というよりは、ミュージシャンやアーティストのような風貌だ。実際、大学の頃まで は音楽漬けの日々。「就職なんてこれっぽっちも考えていなかった」という。学生時代、アメリカで初めてビジネスの現場を知る。それは日本のビールをアメリ カ市場で売ろうと試行錯誤している真摯なビジネスマンたちの姿だった。 あれ、ビジネスっておもしろそうだな」。それは音楽しか知らなかった若者がビジネスに興味を持ち始めた瞬間だった。それから20年経った現在、西野氏はイ ンターネットで雑誌の定期販売をする富士山マガジンサービスを運営している。「goo」や「アマゾン」の立ち上げに関わり、インターネットの歴史とともに 歩み続けてきた西野社長は、今後どのような歩みを見せてくれるのだろうか。 (取材と文 井上英樹) ずっと音楽漬けの日々だった ●どんな少年時代を過ごしましたか? いまの職業柄よく聞かれるのですが、雑誌やマンガとはあまり縁のない生活でしたね。当時はルパン三世が大好きで、ルパンになるにはどうすればいいかを毎日 考えていました。柔道や剣道などを習い、ルパンになろうと努力していました(笑)。小学校高学年の頃から作曲をするようになって、大学の頃までずっとバン ドの日々。音楽の道以外は何も考えませんでしたね。 ●しかし、明治大学の経営学部に。 音楽活動には時間が必要でした。文系なら時間がつくれるかなと思い、経営学部に入った。3年の頃、「就職は棺桶に片足を突っ込んだような感じだな」と思 い、休学してロサンジェルスに行きました。音楽をやっていくには是非英語の歌詞を理解し、英語で曲を作りたいという思いがあったんです。 ●向こうでは必死に勉強を? いえ、留学というより遊学(笑)。家事手伝いをすればホームステイさせてくれる金持ちの家が多いんですよ。そのほかに、弁当売り、掃除、ウェイターなど、 いろんなアルバイトをしましたね。やがて日本のビール会社の事務所でマーケティングアシスタントとして働くようになった。新しい市場に挑戦する姿を見て 「ビジネスって面白いな」と感じました。現地法人の社長は、働きながらMBAを取っていて、「そういうのもアリなんだな」と。 ●それでNTTに? NTTに入社後、93年にMBA取得のためニューヨーク大学に留学しました。人生で初めて勉強したって感じでしたね(笑)。ちょうどインターネットが普及 する頃でした。大学ではすでにインターネットは繋がっていたし、メールもできる。ニューヨーク大学でインフォメーション・マネージメント・ソサエティとい うサークルをやっていたんだけど、そこにはコンピュータオタクみたいな奴らがたくさん出入りしていまして、当時から「インターネットでビジネスやりたい !」って奴らがいっぱい周りにいました。

日本で働いている頃もITには興味があったけれど、まだパソコン通信の時代。マルチメディアとかって呼ばれていたころですね。 ●アマゾンとの出会いはその頃? 最初は「ふーん、インターネットで本が買えるんだ」くらいの感想でした。だけど、カスタマーレビューを見た時に、一般の人がレビューを出せたり、評価でき ることに衝撃を受けた。僕はバンドマンなんで、そこにすごくロックを感じた。これこそジョン・レノンの『Power to the People』の世界だとね。「パワーは民衆にシフトしていく」とアルビン・トフラーは『パワーシフト』に書いていますが、インターネットの世界の何が好 きかというと、そこなんです。コンシューマー(消費者)からプロシューマー(生産者)になっていく。情報がパワーになっていく。アマゾンのカスタマーレ ビューは民衆に力を与えたと思う。いま思えば ウェブ2.0なんてとっくにアマゾンがやっていたんですね。その後にできたアフィリエイトプログラムは物申すだけでなく、お金も入ってくる。この形は今後 も進んでいくと思いますね。そういうことをやっていたアマゾンっていうのを「こいつら格好いいなあ」って思っていたことを憶えています。 じゃあ、俺たちでアマゾンやる? ●帰国後、どのような経緯でアマゾンの立ち上げを? 帰国後、NTTでマルチメディアビジネス開発部ができ、gooの立ち上げや、シリコンバレーのベンチャーへの投資をやっていました。面白かったですよ。 だって、MBAの教材がそのまんま仕事に活かされてるような感じでしたから。周囲は「ネットの時代来るよね」って言い始めていたのだけど、当時の日本のイ ンターネットを取り巻く環境はアメリカで見たことと全然違っていた。その頃、ネットエイジの立ち上げを始める。NTTの規定では他の会社で働くことはダメ だったけれど、経営はダメじゃないだろうって。 当時はひたすら、アメリカのネットビジネスを紹介していた。そんな頃、「オンラインの本屋をやりたい」という人と出会うんです。僕はアマゾンの可能性をと ても感じていたから「じゃあ、俺たちでアマゾンの社長のベゾスにメールしない?」って話になりました。メールを送るとアマゾンから「飛行機代金は出せない けど、ホテル代は出す」っていう返事が届きました。最初は「じゃあ会って、記念写真とサインもらってくるか」って感じでしたね(笑)。

プレゼンをしたら、「お前たち面白い、ぜひやろう」ってなったけど、なかなか話は進みませんでした。実は商品を増やすのか、ほかの国に広げていくのかを議 論していた時期だったんですね。僕はシアトルのアマゾンに勤めながら日本進出の準備をし、2000年11月にスタートしました。 ●その後、富士山マガジンサービスを始めますね。御社の業務内容を聞かせてください。 富士山マガジンサービスは雑誌定期購読の日本初の定期購読エージェントです。雑誌の定期購読をアマゾンの頃からなぜやらないのかな?と思っていた。日本は 雑誌大国。雑誌市場は書籍よりも大きい。取次の力も大きく、だからこそ雑誌市場が残されていたのでしょう。 ただ僕たちは雑誌の定期購読だけを考えているのではありません。雑誌ほど人々の趣味趣向を如実に反映するメディアはないと思う。釣り雑誌を取っている人に 新しいルアーを見せたら買う確立は高いでしょう。いまこうやって話している間にも雑誌はコツコツと買われ、購入時の手数料以外にも、お客様情報のプラット フォームがつくられていく。たとえば、ファッション誌の読者がモデルのメガネがほしいかもしれない。釣り雑誌の読者が新しいルアーをほしがるようにね。僕 たちはそれを「マガジン」と「eコマース」とかけ合わせて「マガコマース」と呼んでいる。デジタル雑誌が増えていけば、「マガコマース」は大きな可能性に 繋がると思います。 雑誌は紙にこだわる必要はない ●今後の富士山マガジンサービスは? 雑誌のニーズはライフスタイルから記事ベースまでさまざまなグラデーションがある。今後は1誌単位で販売し、次は記事単位を展開する。たとえば、デジタル で目次、記事情報があれb、どうしても必要であれば記事単位で買うでしょう。要するに「デジタル版大宅壮一文庫」ですよ。紙の雑誌はデジタル化しないと検 索もできないので見えない情報がいっぱいある。雑誌のデジタル化は早急に必要でしょう。雑誌業界は古い業界です。ですから変化が遅い。あんまり変化が遅い と、進化論ではないけれど種が絶えてしまう。もう、富士山マガジンサービスでは『ニューズウィーク』や『R25』などのデジタル雑誌がスタートしていま す。これは今後もドンドン増えていくでしょう。 ●紙媒体がどんどん減っていく? もちろん、紙の雑誌はまったく否定していない。だけど、出版社は決して紙だけにこだわる必要はないと思う。雑誌はプロ編集者やライターが面白いものを見つ け出し、時間をかけてつくり出しているのだから非常に価値がある。だけど、このまま紙のままではどんどん人の目に触れる機会は減っていく。世間のユーザー は、信頼できる情報をできるだけ知りたいのです。デジタル化の仕組み、販売や検索の機能は富士山マガジンサービスがするから、僕たちをうまく使ってほし い。僕はそんな風に思っています。 ●では最後に。10年後の西野社長は何をやっていますか? うーん、10年後ねぇ…。ブルーノートで渋いミュージシャンが来日したときに、端っこのほうでいいからハモらせてもらえないかなあ?メインじゃなくていい からさ、邪魔しないから、ちょこっといい感じでハモらせてもらえるそんな存在になりたいなぁ(笑)。