2017年7/15号

Pen(ペン)

独自の宗教観を生んだ、幾万の祈りの楽園。

独自の宗教観を生んだ、幾万の祈りの楽園。

【バリ島】インドネシア

タナ・ロット寺院(Pura Tanah lot)

16世紀に建立。バリ・ヒンドゥー教を島民に伝えたジャワ島の高僧ニラルタがこの地を訪れ、神が降臨するのにふさわしい景観として村人に寺の創設を薦めたのが始まり。バリ島6大寺院のひとつで、海の守護神を祀る。
●Jl. Raya Tanah Lot, Beraban, Kediri, Tabanan, 80123 Bali Indonesia

バリ島はインドネシアの他の島々と比べると決して大きくはないが、きわめて美しい自然に恵まれている。海を紅に染めながら水平線に沈む夕陽、古代より大噴火を起こしてきた東西に連なる神宿る活火山群。その火山灰と熱帯のスコールとが肥沃な土地をつくり、風光明媚な景観を生んだ。

しかし、我々を最も魅了するのは、島民の大部分を占めるバリ・ヒンドゥー教徒により今日までかたくなに守られてきた、島に息づく尊い精神だ。その根幹にあるのは、ジャワ島を経て伝わったヒンドゥー教と、巧みに融合されたバリ島土着のアニミズム、そして複雑な歴史にある。

侵略者にも屈しない、気高い精神と美意識。

バリにヒンドゥー教がもたらされたのは8世紀頃といわれる。最狭部で幅わずか3㎞の海峡で隔てられたジャワ島から、ヒンドゥー文化が到来した。以後、バリ島は長らくジャワ島代々の王朝に干渉され続けることになる。しかし16世紀、ジャワ島の強大なマジャパヒト王朝がイスラム勢力の侵入によって衰えると、僧侶や文化人たちが一斉にバリ島へ逃れた。結果、歌舞劇や影絵芝居、彫刻や音楽など、現代に継承されている文化が完成し、黄金時代を迎える。また、地域ごとの土着神や家系の祖霊、さまざまな物体に宿る霊魂に対する崇拝も盛んで、それらがヒンドゥー文化と融合し、今日の独自の宗教観を築き上げることとなった。

やがて19世紀に事態は一変。1846年にオランダ軍がバリ島北部に侵攻したのだ。以後、島民との間に一世紀以上にわたる戦いが繰り広げられることに。いまでも語り草となっているのが、1906年、バドゥン王国の都デンパサールでの悲惨な玉砕だ。圧倒的なオランダの武力を前に、華麗に着飾った王と王族が先頭に立ち、短剣を手にした臣下とともに敵の砲撃に勇敢に立ち向かった。名誉の死を覚悟したこの行進は、王国時代のバリの人々の誇り高い精神を象徴する。傷跡残る先人の歴史こそが、バリの島民を数多の祈りへと向かわせている。

ングラ・ライ国際空港から、南西部のタナ・ロット寺院まではクルマで約90分。ブサキを中心とした東部や北部エリアまではクルマで約3時間。

バリ・ヒンドゥーを代表する、由緒正しき4つの寺院。

バリ・ヒンドゥーを代表する、由緒正しき4つの寺院。

〝神々の島〟と呼ばれるバリ島では、人口の約90%がバリ・ヒンドゥー教を信仰している。これはインドのヒンドゥー教とは異なり、精霊信仰や先祖崇拝、海や森に棲む悪霊などの土着のアニミズムと融合し、独特の性格をもつ。

またバリ島東部には古来、神々と祖霊とが住むとして崇拝されてきた標高3142mのアグン山がそびえるが、その中腹に立つブサキ寺院こそ、バリ・ヒンドゥー教の総本山。島民の生活といまも昔も深く結びついている。

バリ島には、このブサキを頂点に数万以上ともいわれる数多の寺院がある。なかでもアニミズム信仰とも結びつく活火山の麓や、バリ島を代表する湖周辺に立つ寺院、かつての王族が建立した寺は特別な存在とされ、毎日多くの人々が参拝する。それぞれ祀る神の性格は異なるが、境内のレイアウトは似ている。寺院の外から「割れ門」と呼ばれる第一ゲートを潜ると、日本の仏教寺院と似た鐘楼と東屋とが配置されている。最奥は最も神聖な場所とされ、バリ・ヒンドゥー教の唯一神サンヒャン・ウィディの台座や、山に見立てた「メル」と呼ばれる重層屋根の形状をした塔が鎮座する。ここで紹介する主要な寺院は、いずれも神聖な方角とされる山側と、山に向かって右側に位置し、独特の宗教観に基づく。

人々の生活のすみずみに根付くバリ・ヒンドゥー教。その神髄に触れるならば、一度はこの4つの寺院のいずれかを訪れてほしい。

ブサキ寺院(Pura Besakih)

バリ島東部の標高900mに位置し、大小三十余りの寺院の集合からなるバリ・ヒンドゥー教の総本山。8世紀頃に東ジャワの僧侶がここに建てた寺院が起源。かつては重要な修行の場であり、15世紀にはゲルゲル王朝の国寺として栄えた。20世紀になると、植民地政府から島のシンボルとして位置づけられた。
●Desa Besakih, Rendang, Karangas em, 80863 Bali Indonesia

ウルン・ダヌ・ブラタン寺院(Pura Ulun Danu Bratan)

標高1200mのブラタン湖のほとり、チャンディ・クニン公園内に立つ。1633年にこの地を治めるメングウィ王が建立し、湖の女神デウィ・ダヌを祀る。湖の小島に造られた11層と3層のメル(多重塔)は、雨季になると水面上昇により湖上に浮かぶかのように見える。11層のメルは、湖を囲む山々を象徴的に表現している。
●Desa Candikuning,Baturiti, Tabanan, 82191 Bali Indonesia

ウルン・ダヌ・バトゥール寺院(Pura Ulun Danu Batur)

1926年の聖なるバトゥール山の噴火により、火口原から現在の高台に移設。麓のバトゥール湖の守護神である、イダ・バタリ・デウィ・ウルン・ダヌを祀る。ブサキ寺院に次ぐ重要な寺院とされ、建立は11世紀と歴史は古い。付近からバトゥール湖を望む景観は見事のひと言。島内でも特に風光明媚なスポット。
●Jalan. Kintamani,Batur Selatan,Kintamani, Bangli,80652 Bali Indonesia

タマン・アユン寺院(Pura Taman Ayun)

「美しい公園」を意味し、1634年にメングウィ王国の国家寺院として建立された。寺院は19世紀後半から王国の滅亡とともに一時期、荒廃するが、1937年に修復。境内にはバリ島の聖なる山々の象徴といわれる10基のメルが整然と立ち並ぶ。他の寺院にはない2層のメルは王家の先祖を祀り、11層のメルが4基ある。●Jalan. Ayodya, Mengwi, Badung,80351 Bali Indonesia

祈りの姿に、神と人との深い絆を見る。

祈りの姿に、神と人との深い絆を見る。

バリにいる人は毎日、神に祈りを捧げる。それは古代から繰り返され、精霊崇拝ともに結びつく。 祈りは神との絆を想起させ、見る者の心を浄化する。


祈りに欠かせないのが、「バンタン」と呼ばれる供物。火を点けた線香と一緒に、椰子の葉の器と、花、米、スパイス、果物、肉などが供えられる。

参拝時、男は頭にウダンと呼ばれる頭巾を巻き、サロン(腰布)を当てる。女はサロンの他に、スレンダンという帯を腰に巻くのが習わし。

湧水は聖水とされ、病気を治癒する不思議な力が宿るとされてきた。沐浴場では、身体を清めながら熱心に祈る人の姿が絶えない。

境内では朝から司祭が儀礼を執り行い、供えの儀礼とともに神への祈りを捧げる。司祭の指示に従い、参拝者は一同揃って3度、祈りを捧げる。

疫病などが起こった時に催される、魔を祓う儀礼をルーツにもつ「ケチャ」。観光客の間で人気が高い、代表的なバリ島の芸能でもある。

美しい田園風景を育む、三位一体の調和。

美しい田園風景を育む、三位一体の調和ハーモニー

2012年に世界文化遺産登録を果たした、バリ島の水利組合「スバック」。900年以上前から続く、伝統の農耕文化を生み出した背景とは?


バリ中部のジャティルイには、美しいライステラスが広がる。熱帯特有のスコールがもたらす恵みの雨が、この地に豊饒な稲作地帯を育んだ。

バリ島中部は、インドネシア有数の米どころである。なかでも北方にはアグン山やバトゥカル山など峻厳な火山があるため、肥沃な土壌に恵まれている。一帯はゆるやかな斜面を埋め尽くすライステラスで世界的に知られ、山からの命の水は「スバック」と呼ばれる水利組合で分配される。

この独自システムから生まれたジャティルイの棚田は、2012年に「バトゥカル山保護地区スバック景観」として世界遺産に登録された。スバックこそ、まさに神・人・自然の調和を意味するバリ・ヒンドゥー哲学「トリ・ヒタ・カラナ」の象徴なのだ。

稲作の伝統を支える、調和を重んじる精神性。

「スバックが水利組合として現在のような形で機能し始めたのは1072年からです。その歴史は古いのですが、実は道具を除く基本的なシステムは、今日までほとんど変わっていません」と語るのはスバック博物館の館長、イダ・アユ・ニョマン・ラトナ・パウィトラニさん。スバックはひとつの用水路を複数のコミュニティで分け合うユニークな形式をとる。しかし、これまで村人の間で水をめぐる争いはなかったのだろうか。「歴史上、争いは一度もありません。古代からスバックには自治会があり、定期的に集会を行います。規律違反をしたり、共同作業や祭祀の儀礼に参加しないと、謝罪と罰金という重い代償を払うことになります。またこのコミュニティには、バリ・ヒンドゥー教独自の多様性を認め合う精神性が大きく影響しています。争うのではなく、互いを認め平等に分け合うことを、自然な考えとして皆がもっているのです」

稲作が盛んなジャワ島やその他の地域でもスバックは注目され研究されているが、いまだバリ島のような成功例はないという。神と人と自然との調和を育むバリ・ヒンドゥー教の教えが、困難を可能にしてきたのだ。

スバックとは、「流水の分配」を意味し、水の供給源をシェアする水田のことを指す。用水路近くには、田んぼの女神「デヴィ・スリ」が祀られている。

イダ・アユ・ニョマン・ラトナ・パウィトラニ(Ida Alu Nyoman Raina Pawitrani )/スバック博物館 館長

●1969年、タバナン出身。出身地にあるスバック博物館の館長。同館では農耕具、スバック会議の様子などを写真で展示。スバック哲学を世界に広げたいと語る。

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