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2024-05-02 発売号 (2024年6月号)
日本海で行われた日本海海戦。
この詳しい内容が、歴史群像で特集。
『史料と最新研究が明かす「日本海海戦」』の内容をピックアップしてみました。
精緻な計略と幸運が呼び寄せた勝利。
極東までの回航を勇断するも不運な状況に艦隊の足を引っ張られるロジェストヴェンスキー。
迷いながらも敵来航の場所への確信を深める東郷。
そして練りに練った戦策でその瞬間を待つ参謀たち…
日本海軍、計算づくの勝利はこうしてもたらされました!
東郷平八郎、明治天皇の「撃滅」を誓う

明治三十七年(一九〇四)十二月三十日のことです。
ロシア太平洋艦隊主力の旅順艦隊がほぼ全滅したことを受け、命により東京に戻った聯合艦隊司令長官の東郷平八郎が、明治天皇に拝謁し戦況を上奏しました。
東郷は来るべき海戦において、バルチック艦隊を「撃滅」することを天皇に誓ったのです。
本稿では、史料を基に最新研究の知見も反映させて、日本海海戦の背景と経過、そしてその意義を分析してみたいと思います。
日露両海軍の戦略と状況
十九世紀末から二十世紀初頭は、戦艦が艦種として確立した、海軍史史上特別な時代です。
海軍力は国力の指標でもありました。
ただし、戦艦の威力を証明する海戦がいまだ生起していなかったため、建造費に見合う価値があるのかや、戦艦の主砲で重装甲の戦艦を撃沈できるのかといった命題は、実証されていない未知の問題となっていました。
日露戦争勃発前の日露両国は、海軍の増強に努めていました。
日清戦争終結以降の日本の海軍戦略は、仮想敵国との戦力均衡を基礎として立案されていました。
そのため、海軍力均衡の崩壊予測が、日本がロシアとの開戦を決断した理由の一つとなりました。
日本海軍の戦略と初期作戦
日露戦争開戦時の両国の海軍戦力は、日本の総保有トン数が約二六万トンなのに対し、ロシアは約八〇万トンと、日本の約三倍の規模を有していました。
日本海軍の対露戦略はこの欠点を衝くものでありました。
作戦の実行と難しさ

聯合艦隊は、ヴィトゲフトを戦死させ海戦に勝利こそしたものの、戦艦を一隻も沈めることができず敵艦隊の撃滅に失敗し、旅順艦隊の大部分が旅順港に逃げ帰るのを許してしまいます。
しかも、第三軍による八月の第一回と十月の第二回旅順総攻撃が失敗したことで、太平洋艦隊撃滅のための作戦は長期化することとなりました。
まだまだ、海戦の戦況などが続きます。ぜひ、本誌でご覧ください。
本誌では他にも、「機動戦」の視点で読み解く第四次中東戦争などを、紹介されています。
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