【徳川家康の一生がわかる】6歳から19歳まで織田・今川の人質として過ごす

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月刊NEWSがわかるの特別編として発売された『徳川家康がわかる』では、
徳川家康の一生を1冊に、イラストとふりがなのついた文章で、お子さんでもわかりやすくまとめています!

今回はその中から、一部をピックアップして紹介します。

 

チャンスを待つ男
徳川家康・天下人への歩み

 

 

(1)長かった人質時代

 

6歳から織田家の人質、8歳から19歳は今川家の人質でした。

 

(2)今川家からの独立

 

織田軍と今川軍が激突!

そして織田信長の味方になる。

 

(3)戦と悲劇、試練の時

 

織田軍として合戦の日々。

長男と妻を失う……

 

(4)5カ国の大名に

 

『本能寺の変』で自害した信長に代わり羽柴(豊臣)秀吉が権力を握る。

仕方なく秀吉の家臣に。

 

(5)悲願の天下人へ

 

関ヶ原の戦いに勝利!

将軍となって江戸幕府を開く。

 

(6)大御所時代

 

将軍職を息子・秀忠にゆずり、大阪の陣で天下統一の総仕上げへ。

そして家康は265年も続く『天下泰平の世』を残しました。

 

長かった人質時代

 

 

家康が生まれた頃の松平家の立場

 

家康の実家は、三河(愛知県東部)の武家・松平家です。

松平家は、家康の祖父である清康の時代には三河を統一するほど力を持っていましたが、
清康が亡くなり、息子の広忠が10歳で家を継いでから一気に弱体化しました。

 

しかも三河の東隣は有力大名である遠江・駿河の今川家、西隣は尾張で勢力を急拡大していた織田家。

二つの強い大名に挟まれた松平家はいつ占領されてもおかしくない状況で生き残るために
仕方なく今川義元の家臣になり、三河を守ってもらっていました。

 

織田・今川の人質として過ごす

 

松平家の後継として岡崎城で生まれた家康。

幼い頃は竹千代という名前でした。

父は松平広忠、母は水野忠政という大名の娘、於大の方です。

 

竹千代は6歳の時、父が今川義元から支援を受ける見返りに今川家へ人質に出されますが、
その途中、家来の裏切りで織田家へ連れさられます。

2年後に今川と織田の間で人質の交換が行われ、
今度は8歳から19歳まで今川の人質として駿府(静岡県)で過ごしました。

人質といっても、臨済寺僧侶の太原雪斎からさまざまな教育を受けるなど、大切に扱われました。

 


 

本誌では、耐え忍んだ半生から、大都市江戸を作るまでの人生を細かく解説しています。

漢字にふりがなもついているので、お子さんでもお読みいただけます。

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