天下人・徳川家康の人生10大決断「言うことを聞かない人をどうする?」

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大河ドラマ『どうする家康』で話題の天下人・徳川家康

 

歴史を紐解けば、頭が良く、運もよく、『健康オタク』でもあったといいます。

PRESIDENTでは平均寿命40歳の戦国時代を生き残り、75歳で大往生した家康の『知恵』を
人気の学者、作家、歴史ファンたちが日本一わかりやすく解説しています!

今回は徳川家康の人生10大決断についてピックアップします。

 

家康の一生

 

 

一つの決断ミスが命取りになる戦国乱世。

徳川家康は数々の『壁』を乗り越え、乱世の最終勝者となりました。

しかし、家康の名家の生まれでもなければ、決して才能に恵まれていたわけでもありませんでした。

 

家康は三河の岡崎城で城主・松平広忠の嫡男として生まれました。

幼少期を今川家の人質として過ごしますが、永禄3年の桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると
家康は今川家から独立しました。

 

家康は、抵抗する三河の武士たちを抑え、三河を平定。

しだいに戦国乱世の一人物としての存在感を強めていきます。

永禄5年には、尾張の織田信長と『清洲同盟』で手を組みますが、対武田信玄の壁として捨て石のように扱われます。

信玄が国力すべてを投じ、三河に攻め入った『西上作戦』では三方ヶ原の戦いで信玄の策略にはまり惨敗。

それでも、家康は信長との同盟を守り続け、ついに武田家を滅ぼしました。

その後家康は地盤を固め続けていましたが秀吉に臣従せざるをえなくなり
未開の地であった関東に移封を命じられ、江戸城に入ることに。

 

秀吉が死去すると、家康は各大名との外交に力を入れ、天下人になる準備を整えていきます。

元和元年に大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼすと江戸幕府の行く末を息子・秀忠に任し、
翌年、家康は駿府城で亡くなりました。

 

徳川家康の人生10大決断!
苦労しただけ人生は面白くなる!

 

桶狭間の戦い(19歳の壁)
【生き方】現状に甘んじるか、新たな一歩か

 

桶狭間の戦いで今川義元が戦死したことを知ると、家康は今川家からの独立を決断

三河の武士たちの抵抗もありましたが、今川氏真があまり優れた人物でないことや、
自分の実力を踏まえて判断しました。

 

三河平定(25歳の壁)
【人間関係力】言うことを聞かない人をどうする?

 

三河統一の中での最大の危機が三河一向一揆です。

家康は、織田信長のように一向宗門徒を皆殺しにすることもなく、
一向宗側についた三河武士たちを許し、再雇用しました。

再雇用せざるをえない勢力だった可能性もありますが、我慢する家康像が見えてきます。

 

三方ヶ原の戦い(31歳の壁)
【反省力】大失敗したら、どうする?

 

武田信玄が国力をべて投じて徳川領に侵攻した西上作戦の中で
信玄の策略にはまり家康は惨敗してしまう(三方ヶ原の戦い)。

家康の短期な側面が見えてきますが、家康は絶えず学ぶ人でした。

二度と同じ失敗をしないよう反省し、我慢強くなっていきました。

 


 

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