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山と溪谷では、写真家の佐藤孝三氏が撮影した由布岳、別名『豊後富士』の写真を特集しています。
佐藤氏の撮影した写真たちとともに、コラムも掲載されています。
大分県の名峰として知られる由布岳は別名『豊後富士』

文:佐藤孝三
寒の戻りの冷え込んだ朝だった。
夜明け前、湯布院盆地を霧が包み、その底に静かな湯の里がひっそりと息づいていた。
背景には我がふるさとの名峰由布岳が霞み、辺りは静寂に包まれていた。
陽が昇ると霧の海は光と影に翻弄され、うねり漂いながらやがて徐々に力を失っていった。
早朝の幻想曲はひとときの儚い夢のように。
私は大型カメラにモノクロ微粒子フィルムをセットして、しっとりとその情景を焼き付けた。
それは今から半世紀以上も前、1972年4月10日のことで、私が写真家を夢見て上京する4日前のことである。

それから数十年の時が流れ、フリー写真家になった私は2014年の『山と溪谷』の表紙を1年間託された。
題材に選んだのが、かねてから撮りたかった「ふるさと富士」で、もちろん由布岳は当初から決めていた。
古くから大分県の名峰として知られる由布岳は別名『豊後富士』と呼ばれる人気のふるさと富士である。
湯布院盆地北東に裾野を広げる美しい双耳峰で、初めて登ったのは小学6年の夏休みだった。
強い日射と爽快な風、夏風邪のにおい、今も鮮やかに甦るその日の夏。
それから四季折々幾度となく登った。
最後にこの山を撮って実に42年後、表紙で撮る機会が訪れた。
静だった湯布院は人気の観光地へと大変身を遂げ、夏休みで中心街は観光客であふれていた。
でも、変わらぬ姿の豊後富士とクマゼミの大合唱が迎えてくれた。
この年、表紙に選んだ富士は最北端の利尻富士から最南端の薩摩富士まで列島縦断の強行軍だった。
そんなハードな撮影に1年間明け暮れたが、撮り終えて次のライフワークにふるさと富士を選んだ。
そして翌年から本格的に始動し現在に至っている。
その後不定期連載ではあるが、『山と溪谷』の巻頭グラフで北から順に紹介し今回の掲載となった。
表紙撮影の翌年から遠い記憶を頼りに青写真を描き、現在の豊後富士撮影に臨んだ。
だが長い年月で周辺の環境は激変していた。
それを補うには地道にロケハンを繰り返し、光を読み、撮影を重ねた。
ふるさと富士のある風景、それはいつまでも残しておきたい郷土の原風景である。
全国には400以上のふるさと富士と呼ばれる山があり、
地元の富士が一番だと譲らない熱い思いを何度も聞かされた。
ならば私も我が心の山へ賛美を贈ろう。
豊後富士が一番だぜ!
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