「トレイルラン」の扉を開けたパイオニア、石川弘樹の19年!

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RUN+TRAIL (ランプラストレイル)

「トレイルラン」

その名を日本に伝えたランナーが石川弘樹。

そしてその扉が開かれたのが19年前。

    彼のこの19年はトレイルランに生き、 またトレイルランも彼によって日本での幅を広げました。   彼の生い立ちや、トレイルランに関わり始めた頃から今まで どんな思いを持って伝えてきたのかを尋ねました。  
トレイルランを始めるきっかけは東京・三宿のクラブ
    小学生の頃からサッカーに熱心だった石川は 実業団でプレーしようと思っていたほどでしたが、 怪我を機に趣味に打ち込むように。   その時ハマっていたのが音楽。 いろんな音楽を聴き、レコードを集め、MIXテープを作っては 周りに配っていたといいます。 そのうち、クラブでバイトをするようになり、 そこにきたお客さんが彼を社会人サッカーチームの助っ人に呼びました。 そのチームの中に、当時最も過酷といわれていたアドベンチャーレースに 出場している人がいて、レースの話を聞くうちに すごく始めたい!と思ったそう。   それから彼は誘いを受けて樹海を走ったり、 アドベンチャーレースに挑戦するようになります。   そして2001年、まだトレイルランというものが 世の中に知れ渡っていない頃、石川はプロ宣言しました。  
当時はまだ山岳マラソンや登山競争、 トレイルランが入り混じった状態でした。 プロになる前後はかなり模索していましたね。
  当時プロとして食べていこうとは思っていなかったそうですが 現在の彼は日本でトレイルランを語る上で避けられない人物。   それではなぜ19年もトレイルランを続け、 いつでも高みを目指してきたのでしょうか。 その内容が本誌に掲載されています! ]]>