
この記事が掲載されている雑誌は、こちらからお読みいただけます。

テニスの4大大会で優勝4回を誇る大坂なおみさん。
彼女の母・環さんがサンデー毎日のインタビューに応じました。
昨夏の東京五輪で聖火リレーの最終ランナーを務め、世界ランキング1位復帰を目指す、
若き「日本スポーツ界の顔」は、いかに育てられたのかを語り尽くします。
ほんの数日間一緒に過ごすためにロスの家に来た
今回、リモートでインタビューに答えた環さん。
大坂選手は5月下旬より行われる全仏オープンで、
大坂選手は本格復帰を目指してトレーニングしている最中。
「今のなおみはとても意気込みが大きいだけに、かなりナーバスになっているところもあります。私が今回はパリに同行するかどうかまだ決めていないので、とりあえず、いつ終わるかわからない長い欧州遠征へと出発する前に、ほんの数日間を一緒に過ごすために、ロスのなおみの家に来ました。
でも、なおみが私を呼んだのは、本当はただ、一人でいたくなかったのと、私が作る大好物の牛のしっぽ、オックステールのシチューが食べたかっただけかもしれません」
北海道に生まれ育つも、家を出たいと思っていた毎日
環さんは4月26日に著書『トンネルの向こうへ「あと一日だけがんばる」無謀な夢を追い続けた日々』を刊行します。
そこでは自身の人生と、大坂選手がトッププロになるまでの道程を赤裸々に綴っています。
「私は北海道・根室に生まれました。父は実業家として成功していましたが、何事も自分の考えた正しいと主張する人で、そんな父と保守的な漁業の町で暮らすのは、もう息ができないと感じるほどの苦しさでした」
夫となるハイチ系米国人のマックスさん(本名レオナルド・フランソワ)と知り合ったのは
短大卒業後、金融期間に務めていた時でした。
マックスさんとはすぐに交際スタート。
環さんは5歳年上の黒人男性との交際を父に打ち明けると、烈火の如く怒られたそうです。
「私の思いを率直に話しましたが、父は臆せず物を言う人間を自分の周りから排除していたので、聞く耳を持たなかった。やがてマックスが大阪へと引っ越し、私はそこでの彼との暮らしを望むようになります」
彼と一緒にいたい、何よりも家から逃れたい、
たとえどんな人生になろうと、自分の将来は自分で選択したい…
そんな思いで、家を出たと話します。
厳父からの逃避行と「極貧生活」
環さんとマックスさんは1995年に結婚し、翌年4月に長女まりさん、
1年半後の97年10月16日になおみさんが誕生。
その後、環さん夫妻の人生を大きく揺り動かす出来事がおきました。
99年の全米オープンでウィリアムズ姉妹の登場に2人は希望の光を見つけます。
「夫は『自分たち家族が成功する道はこれしかない。娘をプロのテニスプレーヤーに育てよう』と言いました。私は娘たちが自分の足で立ち、生活できる女性になって欲しいと願っており、『テニス選手になれれば最高だな』と感じました」
当時、給料日前には食料にも困る生活でしたが、
テニススクールの代金とコートを借りるお金だけは捻出しつづけ、
やがて米国への移住を考えはじめます。
米国は週末にジュニアのテニス大会が多く開催され、公営のテニスコートも無料で借りられます。
そんな環境を求めて、マックスさんの実家があるニューヨークへ。
「市営のコートでマックスはウィリアムズ姉妹の父親を手本に、独自の理論で教えていました。手に入る限りの資料や動画を見て、練習方法を研究したのです。まりはスポーツに飛び抜けた才能を持っていましたが、なおみはどちらかというと努力の人。ただ、好きなことは驚くほどの集中力があったのは事実です」
移住してからマックスさんはコーチに専念し、一家の生計を立てるために働くのは環さんだったといいます。
「睡眠は毎日3時間、身体的にはもう何万回、限界だと思ったかわからないほど、とにかくもう働き通しでしたね」
本誌ではニューヨークでの大変な生活、そしてなおみさんがトッププレイヤーになるまでを語っています。
I LOVE MAGAZINES!キャンペーン2022

対象の雑誌が月額払い・年間購読が最大50%割引されたり、
定期購読で1,000円割引が適用されるギフト券コードを掲載中!
割引やプレゼント付きなど、700誌以上の雑誌が全てお得に購読できる大チャンスです♪
毎回ご自宅へお届けしますので外出の必要はございません。
この機会に、雑誌で楽しく充実したおうち時間を過ごしませんか?
『サンデー毎日』に関心のあるお客様へおすすめの『文芸誌、総合誌』はコチラにあります!
この記事が掲載されている雑誌は、こちらからお読みいただけます。






