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2019年、NASAがとあるプロジェクトの実施について発表した。それがアポロ以来となる友人月探査計画「アルテミス」。
主導こそアメリカ(NASA)だが、日本やヨーロッパなど多くの国々、企業、団体が関わる一大プロジェクトである。
だが、光がまばゆいほど生じる闇も濃い。輝かしいアルテミス計画に潜む「闇」とはいったい何か?
今記事では、アポロ計画に潜む謎をひも解き、それが現代のアルテミス計画にどう繋がっていくのかを紹介。
「アポロ計画」は謎と疑惑にまみれていた?!

1961年5月25日、アポロ計画は「10年以内に人間を月に送り込み、安全に地球に帰還させる」というJFKの号令によって正式なプロジェクトとして発足。
無人探査機による月面着陸と月周回を経て、予定通り「アポロ計画」に突入。
その後、幾多の事故や障害を乗り越えて1968年12月21日、3人の宇宙飛行士を乗せたアポロ8号が、人類初の月軌道周回に成功する。
このアポロ8号が月の裏側に突入した直後のことだ。
テキサス州ヒューストンにある管制センターとの交信が途絶えた後、再び表側に出てきた際、乗組員のジム・ラベル飛行士が「サンタクロースがいる!」と謎めいた第一声を伝えたのだ。
NASAの記録に見られる不可解な謎
ところで月面着陸は、もちろん人類の歴史に燦然と輝く偉業だ。
だが、俯瞰してみると、アポロ計画は実に疑惑と謎に満ちた計画だったことがわかる。
まず挙げられるのは、莫大な費用を投じた割には、その目的が不明確であることだ。月の地質調査やサンプルの採取なら、無人探査機でも事足りるはず。
危険を冒してまで、人類を送り込む必要があったのか?
次いで、NASAが公開した月に関する情報量の不自然なほどの少なさだ。レインジャー計画からアポロ計画の終了までに公開された月面の写真は約14万枚。
これは総撮影枚数のわずか3.5パーセントにすぎない。残りの96.5パーセント、つまりはNASAの活動記録のほとんどが未公開で、実際に乗組員が何をしていたのか、皆目見当がつかないのだ。
そして、それ以上に不可解なのは、財政逼迫を理由に挙げたアポロ計画の終結である。実は17号の後、さらに10回もの月探査が予定されていたのだ。18、19号にいたっては、ロケット購入代金も支払い済み、乗組員の訓練も終了しており、いつでも打ち上げ可能な状態にあったという。
それにもかかわらず、中止が唐突に決定された。いったいなぜなのか?
実はアポロ計画には、当初から不自然さがつきまとっていた。たとえばアメリカは、JFKによる「国家優先計画」発言から、わずか8年で人類を月に送り込んだ。
この異常なほどの開発スピードと巨額資金、そして膨大な人員を擁したアポロ計画は、単なる科学調査やアメリカと旧ソ連の宇宙競争という域を逸脱していた。
そして、旧ソ連もあれほど宇宙開発に熱心だったにもかかわらず、結局は月に人間を送り込むまでにいたっていない。1966年に有人月探査計画があったが、ロケット主任設計者の急死によって頓挫したまま、現在にいたっているのだ。
いずれにせよ、2国とも軌を一にしての月探査計画中止は、それまでの異様ともいえる計画の進行速度を考えると、決して偶然とは思えない。
少なくとも2国間には、超高度レベルでの合意があったことは確かだろう。アメリカと旧ソ連……。
両者の月探査計画中止の真相とはいったい何だったのか?
いや、そもそもアメリカの場合、アポロ計画自体が、実は別の目的のために行われたのではないか?
「アポロ計画」で露呈した“不都合な真実”に続きます。
本誌ではさらに、月探査「アルテミス計画」に秘されたNASAの陰謀に迫ります。
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