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日本のポップス界を開き、数々の音楽を生み出し、日本中を音楽で魅了した歌手・山下達郎さん。
50年に及ぶ音楽活動について、BRUTUSでクリス松村さんと対談しています。
山下達郎、50年を語る。
山下達郎さんのキャリアを振り返るロングインタビュー。
今回は豊富な知識と音楽愛で数々のラジオやライナーノーツを担当し、
随一の山下達郎マニアでもあるクリス松村さんがインタビューを進行しています。
まずは、自主制作盤をきっかけにコーラスの仕事が始まっていく話。
クリス松村:最初のお仕事はコーラスなんですね。
山下達郎:そうです。
当時はロック系のコーラスができる人間がいなかった。特に男性コーラスは皆無だった。女性も大瀧(詠一)さんが目を付けたシンガーズ・スリー(3人組の女声コーラス・グループ)くらい。
クリス松村:達郎さんはファルセットが出たから、特に需要があった?
山下達郎:今はみんな裏声で歌っているけど、当時は裏声で歌う男の若い歌手なんて、ほとんどいなかったから。
クリス松村:亀渕友香さんや沢チエさんの曲に参加されていますね。
山下達郎:2人とも、編曲を矢野誠さんがなさっていたんです。
矢野誠さんはその少し前から大貫妙子さんの面倒を見ていて。大貫さんはポリドールから三輪車っていうフォークグループでデビューの予定だったんだけど、結局レコーディングはされなかったんです。
それで、矢野さんのところで預かってほしいと。今、〈四谷いーぐる〉というジャズ喫茶になっている場所が、当時は〈ディスクチャート〉というロック喫茶で、そこで深夜に行われていたセッションに、矢野さんの紹介で大貫さんが参加することになったそうです。
そこには山本コウタローさんや徳武(弘文)さんといったメンバーがいました。
クリス松村:山本コウタローさんはウィークエンドになる前の?
山下達郎:ソルティー・シュガーを解散したばかりで、ウィークエンドはまだずっと先です。当時1972年頃は、ビーチ・ボーイズの人気は最底辺で、ロック喫茶でかかることなんてありませんでした。ところが〈ディスクチャート〉ではビーチ・ボーイズのアルバムがかかっていた。
僕の友達が「『Surf’s Up』がかかってる!」と興奮して知らせに来て、それを聞いて僕も店に行ったんです。その友達が、僕の自主制作の『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を店に持って行って、そこから店員だった長門くんと僕が知り合うことになったんです。
クリス松村:『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』は、ちょうど今年で50年ですね。
山下達郎:いやですねえ(笑)。
話を戻して、最初に僕をスタジオコーラスに使ってくれたのは矢野誠さんでした。その縁で彼の関わるライブにも何度か参加しました。
本誌ではこちらでまとめきれないくらいのロングインタビューが掲載されています。
山下達郎さんの音楽を聴きながら、50年の振り返りを読んでみるとより深く感じることができそうです。
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