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東京のおしゃれタウンに突如現れるオリエンタルな建物は
祈りの場であると同時に存在自体が街であり、異国街でした。
男の隠れ家では、オスマン朝の美意識を宿す日本最大のモスク『東京ジャーミイ』を特集しています。
ロシア革命から逃れた
タタール人のコミュニティ
代々木上原は、山手線の高級住宅街を抱えながら、
クリエイティブ系のオフィスや、隠れ家的カフェ・レストランが集まります。
感度の高い東京人を刺激し続けるこの街は、
自分らしいライフスタイルを謳歌しようとする人たちの自由な空気であふれています。
小田急線の高架をくぐり井の頭通りの坂道を登った先に、突如、エキゾチックな建物が現れます。
高さ23.3mのドーム型の建物と41.5mの尖塔をもつ
イスラム教の礼拝所『東京ジャーミイ・ディヤーナト トルコ文化センター』(以下、東京ジャーミイ)です。
その名の通り、伝統的なオスマン様式のデザインを踏襲した異国情緒たっぷりの建造物。
東京ジャーミイ広報担当の下山茂さんはこう話します。
「現在の東京ジャーミイは、平成12年(2000)6月に完成しました。もともとは昭和13年(1938)に、日本で3番目に建てられた『東京回教礼拝堂』が前身です」
話は106年前、大正6年(1917)に起きたロシア革命までに遡ります。
ロシアに住んでいたイスラム教徒(ムスリム)たちは、迫害を受け、同国外に避難することになりました。
その中でロシア西部のカザン州に住んでいたタタール人たちには、
中央アジアを経て満州に移り済み、さらに韓国や日本など東アジアに逃れた人たちもいました。
東京に大正11年(1912)にマハッレ・イスラミイエ協会が設立されコミュニティが形成されると、
その5年後にタタール人の子どもたちのための学校を渋谷区富ヶ谷に設立。
同校が昭和10年(1935)に渋谷区大山町に移転した後、隣接して東京回教礼拝堂ができました。
「東京回教礼拝堂は老朽化によって昭和61年(1986)に取り壊され、その跡地に再建されたのが東京ジャーミイというわけです」
1日5回の礼拝
厳格さの中にある寛容さ
昼12時になると、東京ジャーミイの2階にある礼拝堂にムスリムたちが集まってきます。
正午の礼拝、ズフルをするためです。
堂内に入って気付くのは、キリスト教の教会や、
仏教の仏堂にあるような礼拝の対象になる像や絵がないことでしょう。
イスラム教が偶像崇拝を禁じているためで、代わりに幾何学紋様や植物紋様のほか、
クルアーン(コーラン)などから引用されたカリグラフィで堂内は装飾されています。
6基の半ドームに支えられた大ドームの東京ジャーミイ独特の天井は、
小さな宇宙のように私たちを包み込みます。
集まった人々は、イマーム(指導者)の先導のもと、
聖地マッカのカアバ神殿の方向を示すミフラーブ(壁の窪み)に向かい
肩をピタリと寄せ合って横一列に並んで礼拝します。
礼拝の後方の列に小さな男の子がいました。
礼拝に飽きてしまったのか、途中から立ち上がってフラフラと歩きはじめました。
この男の子に「座りなさい」と注意する親も大人もいませんでした。
「イスラム教は、子どもに宗教を教えるとき、絶対に強制することはありません」
と下山さんは言います。
イスラム教は、1日5回の礼拝のほか、ラマダンと呼ばれる断食の月もあります。
ハラール(神が許した)の食事しか食べないほか、
女性は、肌を見せない格好をするなど禁則が多く厳格に感じます。
一方で、神が禁じること以外は寛容で、礼拝堂内の写真を撮ることもできます。
服装も自由で、MLBのベースボールキャップをかぶって礼拝をする若いムスリムの姿もありました。
ムスリム以外でも礼拝中の堂内に入ることもできます。
入口には、女性の髪や肌を覆うためのスカーフやガウンも用意されており、
開かれた礼拝堂であることを感じさせます。
近年は若い女性たちが『インスタ映え』を求めて訪れており、新しい旅の目的地になっています。
本誌では、東京ジャーミイについてさらに詳しい話や装飾についても掲載されています。
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