【大谷翔平にバトンを渡した男】野茂英雄・メジャーリーグに挑戦した足跡

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2023年12月9日、大谷翔平選手は自身のインスタグラムでドジャースへの移籍を表明し、
12月15日に入団の記者会見に臨み、世界中で話題となりました。

 

かつて、ドジャースに所属していた日本人選手というと、野茂英雄選手がいます。

週刊ポストでは、野茂選手について特集しています。

 

大バッシングからの船出だった

 

 

大谷翔平選手がドジャーズの一員となる29年前……。

 

当時26歳で海を渡った男の挑戦は、日本球界との訣別から始まりました。

 

「近鉄からの“任意引退”という方法を選んだことで、我々は大バッシングを受けた。それを覆すために、野茂君は『成績を残すしかない』と覚悟を決めたんです」

 

そう振り返るのは、野茂英雄選手の代理人を務めた団野村さんです。

 

野茂選手が近鉄を飛び出した94年オフは、メジャーに挑戦する方法が確立されていなかった時代。

後に石井一久選手、黒田博機選手、前田健太選手、そして大谷選手山本由伸選手
多くの日本人が加入するドジャースへの入団はまさに未知への挑戦でした。

団さんが述懐します。

 

「私は野茂君の口から『メジャーに行きたい』と聞いて、日米協定や日米の野球協定を調べ尽くしました。そこで、日本で“任意引退”となれば、米国ではFAと解釈されて移籍できることがわかった。NPBから『任意引退選手は海外でプレー可能』とする書面も取れたので、問題はどう任意引退にできるかでした」

 

野茂サイドは契約更改で『FAまでの6年間で24億円』の巨額契約を要求。

近鉄側が口にした「契約しないと任意引退にする」という台詞に素直に応じ、
メジャーリーガー野茂が誕生したのです。

 

晴れて95年、ドジャースに入団した野茂選手は鮮烈なデビューをかざりました。

 


 

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