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いくつになっても心のどこかで頼りにしている母という存在。
いつか別れの日が来ると知っていても、いざそのときを迎えると
喪失感にうちのめされてしまう人も少なくありません。
ゆうゆうでは、そんな『母ロス』の悲しみからどんなふうに立ち上がったのか、母を見送った人たちに伺っています。
今回はキャスター、ジャーナリストの長野智子さんのインタビューをピックアップします。
枯れ枝のようになって理想的に天寿を全うした母
2021年11月25日、ジャーナリスト・長野智子さんの母・敏子さんは、自宅でその92年の生涯を閉じました。
倒れて1ヶ月余り、それは無理な延命措置を取らない、自然に任せた最後だったといいます。
「今思うことはパパと幸せにやってるかなってことでしょうか。あとは、見守っててね。生前、『私が死んだら、あなたのことをそばで見守る』と言っていたので(笑)」
『ママがいなくなったら生きていけない』
と思っていた毎日
明るい笑顔で話す長野さんですが、7歳のときに父を病気で失って以来、
母を失くすというのは考えるだけで恐ろしいことでした。
「父を失った瞬間から、『この人がいなくなったらどうしよう』とずっと思っていました。子どもの頃は、生存していけなくなる危機感というのもありましたけど、大人になってからは、一番近くて大切な存在として、『ママがいなくなったら生きていけない』と毎日思っていました」
それでも今、穏やかに振り返ることができるのは、
母だけに集中して過ごしたあの最後の1ヶ月があったからだと言います。
母が倒れた日
敏子さんが倒れたのは11月の1週目のこと。
その2週間前までは、多少食は細くなっていたものの、長野さんと一緒に外食して元気にうなぎを食べたりしていました。
長野さんは、同じマンションの別室に暮らす敏子さんに朝電話をし、
体調がよければ一緒に散歩に行くことを習慣にしていました。
しかし、その朝は電話に出ない。
合鍵でドアを開けて、そこに敏子さんが倒れているのを発見しました。
「意識はあったんですけど、パニック状態になっていて『このまま死なせて』と言うばかりなんです。近所の病院にいくつか電話してみたけれども、どこも往診はしていない。救急車を呼ぶしかないかなと思ったんですけど、元気なときから『延命治療はするな』と強く言われていたので悩みました」
そのときふと頭に浮かんだのが、9月に母が腰を痛めて介護申請をしたときに相談に乗ってくれた、
地域包括支援センターの人だった。
「連絡をしてみたところ、『それはお困りですね』と言って、訪問診療をしてくださるお医者さんにつなげてくださったんです。その先生が夕方には来てくださって、『これは老衰で、もって1ヶ月ないかもしれません』と。急に言われて戸惑いましたが、『どうされますか。入院されますか』というお尋ねには、『いえ、母がそれだけはやめてくれとずっと言っていたので、私が介護します』と思わず答えていました」
母に寄り添った1ヶ月間
その日から長野さんの介護の日々が始まります。
敏子さんの枕元でパソコンを広げて仕事をし、やむをえず外出するときは夫に代わってもらいました。
「もうその時期は何より母を最優先にして集中的に介護しました。最初は食事もしていたのが、食べられない食べたくないと拒絶するようになり、次に飲まないとなって、どんどん一つひとつ人間として生きるための行動をシャットアウトしていく。たかだか1ヶ月でしたけど、その姿を見て、ああ、寿命ってそういうことなんだなと思いましたね」
最終的には体の全ての水分を出し切って枯れ枝のような状態になって亡くなりました。
医師からは理想的な天寿の全うの仕方だと言われたそう。
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