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明治から昭和初期に技術的な最盛期を迎えた和風建築。
なかでも旅館建築は実用性に重きを置いた住宅建築とは異なり、
数奇屋造りから書院造りまで幅広く、様式にとらわれません。
優雅さ、素朴さ、遊び心、もてなしの心。
旅館ごとに趣が異なり、造る側の創意工夫にあふれています。
時代ごとの建築の枠が集められた旅館建築。
その素晴らしさは実際に見て、触れられること、そして、その空間で非日常を過ごすことができることでしょう。
今、ここに起こる旅館建築は我々にとっても大切な財産です。
文化財を守ることは、時間的にも金銭的にも苦労が大きいです。
美しい木造旅館建築を次の世代にも引き継いでいくために、できることなら今こそ足を運び宿泊したいですね。
男の隠れ家にて紹介されている、文化財の宿をピックアップします。
山間の温泉にそびえる木造四階建ての重層建築の宿
『歴史の宿 金具屋』
屋内なのに屋外のような独特な空間の斉月楼
大正から昭和初期にかけて、戦前の日本は鉄道網の発展や乗合自動車の普及などを背景として
急速に観光熱が高まっていました。
同時に日本各地で観光ホテルや観光旅館が続々と誕生することになったのです。
そうした時代の息吹を今に生き生きと伝えるのが
昭和11年(1936)に完成した『金具屋』の木造四階建擬洋風建築の『斉月楼』と木造宴会場『大広間』です。
いずれも当時の造形の規範になっている建物として、平成15年(2003)に国の登録有形文化財に指定されています。
金具屋が建つ渋温泉の開湯は奈良時代に遡り、
金具屋が創業した江戸時代には善光寺詣りの帰り客を集める湯治場として栄えました。
昭和初年に湯田中駅が開業すると、渋温泉にもだんだんと観光客が増加していきました。
そこにいち早く着目したのが、金具屋6代目当主の西山平四郎でした。
「これからは『観光旅館』の時代になると考えた6代目は最高級の旅館を建てることを志し、地元の宮大工とともに全国各地の名建築を視察して回ったそうです。その成果を形にしたのが『斉月楼』です」
そう話すのは9代目当主の西山和樹さん。
棟梁を務めたのは北信地方の社寺建築で活躍し、『昭和の名工』と呼ばれた小布施の宮大工・三田清助。
三田の下に集まった宮大工たちの匠の技が、西洋文化と日本文化が織りなす独特な建築を生み出したのです。
そんな金具屋をめざして渋温泉の温泉街をたどると、
戦後に増築された『神明の館』の後ろに軒反りの強い屋根を重ねた斉月楼が顔をのぞかせます。
各層で異なる軒裏の構造や外壁の意匠などの外観をじっくり眺めたのち、
江戸時代の蔵の部材を生かした重厚な玄関をくぐります。
帳場のある広間を抜ければ、そこは斉月楼。
屋内にいながら、屋外を歩いているような不思議な世界が広がっていました。
その独特な空間は一階の廊下から始まります。
軒を連ねた廊下には提灯が下がり、商店街の路地を歩いているような光景です。
見上げると軒の間に青く塗られた天井がのぞき、夕暮れ時の空のように見えます。
階段を上がると、広い廊下と飾り窓のある紅殻塗りの壁、玄関引戸に囲まれた空間に出ます。
ぐるりと見渡せば、盛り場の路地に立っているような感覚になります。
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