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今年も、ブルータス年末にかけての人気企画『理想の本棚』特集の季節がやってきました。
昨年に続き、『理想の本棚』というテーマのもと、作家、アーティスト、写真家、映画監督などさまざまな方の本棚を訪ね、『本棚と本』にまつわるたくさんのことを聞いています。
読書から手に入れた知識がその人を作る血や肉とするならば、本棚はさしずめ人生を映し出す鏡のようなものと言えるかもしれません。
本棚とそこに収められた本の話に耳を傾けていると、まるで人生そのものの話を聞いているよう。
今回は、作家・画家・音楽家・建築家の坂口恭平さんの本棚を紹介します。
本は理解するものじゃなくて“使う”ためにある
年間4~5冊ものペースで本を出版し続け、今年の年末で著作が45冊になるという坂口恭平さんのアトリエには、立派な書棚が1台あり、哲学書や全集が並んでいます。
しかし、彼は開口一番「読書ができない」と言います。
本は作りたい、だけど読めない、坂口流の読書とは。
「読書に関しては、昔からコンプレックスがあった。本が読めないんだけど、本を書きたい、作りたいという気持ちは強い、という不思議な感じだった」
坂口さんは幼い頃から何かを「作る」ことに興味がありました。
そして、本という紙が綴られた束にも憧れと興味を持ち続けていました。
本が好きで手には取るのですが、神経の過敏さゆえ集中して読み続けることができません。
すぐに本を読むのをやめて、紙を前に書き始めてしまう。
現在編集者をしているという本好きな弟が本の世界に没頭する様子を、すごいなあと思いながら見ていました。
「本という存在はすごく好きで、気になるし読みたい。でも、落ち着いて文学を味わったり、ほかの誰かの考えを頭に入れたりすることがどうしてもできなかった。でも、自分がやりたいことをすぐに行動に移すのは昔から変わっていなくて。小学校1年生くらいから自分で本を作っていました。本を解体して、構造を確認したら、すぐにコピー用紙にコマを書き込んで、即興で漫画を描いて、ホチキスで留めて冊子を作っていた」
読書ができない、だけど本を書きたい、何かを作りたいという気持ちは高校時代も変わらなかったそう。
「建築と文学が常に混ざっている感じ、それはボブ・ディランだと思う」と坂口さんは言います。
音楽を聴き、将来について考えていた坂口さんは、高校の図書館で、後の師となる建築家の石山修武と出会います。
「建築をやりたいけどどこの大学に行ったらいいかわからないし、先生に聞いても偏差値だけを見て大学を薦められてしまう。だから自分で先生を見つけようと思って、図書館で雑誌『GA』のバックナンバーを片っ端から見ていた。当時の建築雑誌では高度成長の名残のような華々しい建築群ばかりが載るなかで、シャッターの出入り口で窓が一つもない石山修武の〈ドラキュラの家〉に衝撃を受けた。この人はなんだと思って著書の『バラック浄土』(相模書房/絶版)を借りてきて読んだ。そこでバックミンスター・フラーやヘンリー・デイヴィッド・ソローを知って。その後、ビートニクの作家たちがソローから影響を受けていたことや、ソローは鴨長明から影響を受けていたことを知って、どんどん興味の点が線につながってきた」
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