武士だけの特権じゃなかった!庶民が名字を手にした意外な理由

  • 更新日
  • 有効期限 2025.03.05

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普段何気なく使っている「名字」。
かつては武士や貴族だけの特権だったことをご存じでしょうか?

しかし、戦乱の時代が長く続いたことで、庶民も名字を名乗るようになりました。

下剋上が当たり前となった時代背景の中で、どのように名字が広がり、身分制度が揺らいでいったのか…。

今号の歴史群像の特集「根っこからわかる!日本史の基礎講座」では歴史の流れとともに、庶民が名字を手に入れた経緯を詳しく紐解きます。

 

戦乱期、名字を持ちはじめた庶民

 

江戸時代の庶民である百姓や町人は苗字を持っていなかった印象があります。時代劇でも苗字無しで、〇右衛門とか、△兵衛と呼ばれています。

厳しい身分制度のため、職業選択の自由もなく、武士以外の者は苗字帯刀を禁じられていたと考えられています。

しかし、古代のヤマト王権期でも、庶民は「公民」に位置づけられて、漢音で「百姓」(いろいろな姓を持つ公民。呉音は「ひゃくしょう」)と呼ばれるほど、すべての人々が何らかの氏に属して、姓を持っていました。

それは「部」(大王や豪族に属した労働集団)に所在地の支配者や職能を冠した「姓」(蘇我部や土師部など)という形でした。

たとえば、「万葉集」の詠み手にも庶民がおり、防人の「生玉部足国」とか、女性の「椋椅部刀自売」などが見えます。

ところが、鎌倉時代以後、武士は被支配身分の一般庶民を「地下人」とか「凡下」と呼び、名字を名乗るのを禁じていきます

両者を身分的に分かつ指標のひとつが名字の有無でした。

しかし、南北朝内乱の戦乱のなか、貴重な戦力になる郎党(上級武士に仕える軽輩。家人とも)たちの地位が高くなり、なかには騎乗する者も現れたばかりか、名字も名乗るようになっていきます

さらに室町時代になると、経済的に富裕になった百姓や町人のなかからも名字を名乗る者が現れます。

文明十五年(一四八三)、京都南郊の東寺の僧侶たちはそのような風潮を苦々しく思い、次のような評決をしています。

「近年、境内の地下人などが雅意(我意)に任せ、名字を名乗っている。先代未聞のことである。このうえは今後名字の名乗りを停止させ、万一従わない族は堅く罪科に処すべきことを【治定(決定)した】」

この頃は日本中を戦乱に巻き込んだ応仁・文明の乱の時期です。
身分秩序も崩壊する傾向にあり、いわゆる下剋上の時代でもありました。

戦乱のなかから実力で台頭した庶民のなかには、名字を名乗ったばかりか、系図買いをして尊貴な家柄に飾る者まで登場しているのです


 

本誌ではさらに、どのように苗字統制が行われはじめ、江戸時代の「苗字」へ展開していったのかを紹介しています。

 

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