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<2024-02-06 発売号>
1980年代末から90年代初めにかけて、いわゆる「団塊ジュニア」が受験期を迎え、大学進学者数は右肩上がりになりました。
「昭和」から「平成」へと時代が切り替わる中で「東大合格者高校別ランキング」は、変化していく社会の有様をどのように映し出してきたのか。
今号のサンデー毎日では、その点を駿台予備校・石原賢一氏、教育ジャーナリスト・小林哲夫氏、大学通信・井沢秀氏との対談を通じて、紹介しています。
始まった開成の「王朝」
まずはランキングを一つ紹介します。
(1)開成、灘14人(3)ラ・サール13人(4)筑波大付駒場12人(5)学芸大付、桐朋、麻布10人(8)桐蔭学園9人…(以下略)。
ある年の東大合格者数の順位と思われるでしょうか。
ただそれにしては数が少ないでしょう。
実は本誌こと『サンデー毎日』1992年4月26日号が掲載した「東大『留年者』高校別ランキング」です。
同年4月、教養学部(1~2年)から専門の学部(3年~)に進学しなかった学生の出身高校を学内サークルが調べ上げたのです。
要領だけの受験エリートが東大合格後に壁に突き当たった結果だと記事は分析します。
その当否はおくとして、彼らが入学した90年の合格者ランキングを見ると「留年者ランキング」とほぼ同じ顔ぶれです。
少なくとも中高一貫校からの“大量合格”の固定化が生み出した一現象ではあるでしょう。
神話へと導いた鉄路
開成躍進を支えた「西日暮里駅」開業
中でもこの10年は、82年から40年以上トップを守る開成がその地歩を固めていった時期だといえます。
—―開成の強さは一体、どこにあるのでしょう。
小林 私は学校史を読むのが趣味で、それをもとに先生に取材をするのですが、開成の躍進は開成自身の分析として理由が三つ挙げられます。
一つは74年に高校から入学する生徒の定員を大幅に増やしたこと。もう一つは学校群制度で、それまで日比谷に行っていたはずの優秀な生徒が流れてきた。そしてもう一つとして最寄り駅である西日暮里駅の開設があります。
ー69年、地下鉄千代田線の北千住~大手町間が開通して西日暮里駅が置かれ、71年には当時国鉄だったJR山手線・京浜東北線に西日暮里駅ができました。
小林 千代田線がいろんな路線に乗り入れたので、千葉や埼玉、茨城、神奈川から優秀な生徒が集まった。そういうことが学校史にちゃんと書いてあるんです。
実際、国鉄駅ができた71年に開成中に入学した生徒が高校卒業する77年、開成は東大合格者124人で初めてトップになっています。
本誌ではさらに、記事の続きや東大合格者数ランキングのトップ層に躍り出た関西勢の高校や女子校の台頭などを紹介しています。
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