響きあう伝統――サンクトペテルブルクが「特別な音楽都市」である理由

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2021年の仙台国際音楽コンクールで優勝を果たしたサンクトペテルブルク出身のピアニスト、エリザヴェータ・ウクラインスカヤ氏による特別寄稿。

チャイコフスキーショスタコーヴィチを生み、リストら欧州の巨匠たちを魅了してきた「文化の首都」サンクトペテルブルク

ロシア独自の音楽言語はいかにして誕生し、花開いたのか。伝統を継承する新星が、音楽都市の豊かな歴史と特別な魅力を紐解きます。

 

巨匠たちが創作の場とした「文化の首都」

 

北のヴェネツィア、ヨーロッパへの窓、文化の首都――。

グリンカやムソルグスキー、チャイコフスキーが活動し、ショスタコーヴィチが生まれ育ち、創作の場とした故郷、それがサンクトペテルブルクです。

リストが旋風を巻き起こした19世紀

 

サンクトペテルブルクが音楽都市となったのは、19世紀のことでした。欧州文化への熱狂と賞賛が根底にありました。

 

貴族はみなフランス語を話し、劇場ではイタリアの歌手たちが歌い、偉大な外国の音楽家たちが訪れました。ベルリオーズ、ドヴォルザーク、マーラー、R・シュトラウス、ブゾーニ…。

とりわけ注目を集めたのは、シューマンでした。

 

リストが1842年と43年に行った公演は、旋風を巻き起こしました。3千人以上が詰めかけたといいます。ホール中央の円形ステージに、長髪のリストが現れ、勢いよく手袋を客席へと投げ込みます。
ステージには、壊れた時の予備のために2台のグランドピアノが置かれました。

 

演奏は、邸で室内楽を楽しむそれまでの音楽会を一変させました。

 

「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世も弾き振りを行い、貴族たちがワルツを踊りました。
サンクトペテルブルクは、欧州の都市だったのです。では、どのように独自の顔を持つようになったのでしょうか?

 

グリンカが独自の音楽言語を創出

「音楽は私の魂である」――ミハイル・グリンカはこう語りました。

 

私たちが今愛聴するロシア音楽は、グリンカなしには存在しません。ラテン語やペルシア語を含む8言語に通じ、鳥愛好家でもありました(自宅に20羽の鳴き鳥を飼う本格的な鳥小屋を設け、その鳥たちのさえずりに包まれながら作曲することを好みました)。

新しいことにも心を開いていました。

 

ゲーテがドイツ方言を集め、『ファウスト』に取り込んで統一言語を確立したように、グリンカもまた、ロシア初のオペラ<皇帝にささげた命>を作曲したことで唯一無二の音楽言語を創り出しました。ロシアの芸術音楽の歴史が始まりました

 


 

ゲーテがドイツ方言を集め、『ファウスト』に取り込んで統一言語を確立したように、グリンカもまた、ロシア初のオペラ<皇帝にささげた命>を作曲したことで唯一無二の音楽言語を創り出しました。ロシアの芸術音楽の歴史が始まりました。

ロシア音楽の黄金期へ――継承される伝統と、サンクトペテルブルクの未来

 

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