ゲーム産業の成熟期をどう越える?プレステ『30周年』の曲がり角

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経営陣の交代を皮切りにビジネスモデルを転換。

ゲーム市場で生き残るために選んだ道とは。

週刊東洋経済にて特集されている、プレステ『30周年』の曲がり角をピックアップします。

 

ゲーム産業の成熟期をどう越える?
プレステ『30周年』の曲がり角

 

「コンピューターを使って、新しいドメイン(領域)をみんなと一緒につくっていきたいというのがわれわれの夢だった」

 

9月26日、東京ゲームショウの基調講演に登壇したPlayStationの生みの親、久夛良木健氏は、
開発初期をこう振り返りました。

 

1994年12月3日に発売された初代プレイステーション。

発売当初に掲げたのは「全てのゲームは、ここに集まる」「いくぜ、100万台」という野心的なキャッチコピーでした。

 

初期には「社内外から『100%失敗する』と言われた」というプレイステーションですが、
発売から2年後には世界出荷台数1000万台を突破、
任天堂の『ファミリーコンピューター』向けに提供されていた人気ゲームソフト
『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』といった大人気タイトルも、
やがてプレイステーションが独占しました。

 

2000年3月に発売された『プレイステーション2』にもその流れは引き継がれ、
最新技術を投入したハードウェアと人気ソフトウェアの相乗効果でゲーム業界を席巻。

シリーズの累計販売台数は約6億台に達するなど、プレイステーションはまさにゲーム業界の革命児でした。

 

久夛良木氏は、『プレイステーション3』の発売を見届けて、07年に経営の第一線から身を引いた。

その後は「親はなくとも子は育つ」と語り、プレイステーションビジネスからは完全に距離を置くこととなりました。

 

異例の役員人事で大ナタ

 

そして発売30周年を迎えるプレイステーションは、すっかり“大人”になりました。

業界やソニーグループ内における立ち位置は、大きな転換期を迎えています。

 

ターニングポイントは昨年9月でした。

翌10月からゲーム事業会社のソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)の会長に、
ソニーグループ社長の十時裕樹氏が就任すると発表。

同時にSIEの古参メンバーで当時CEOだったジム・ライアン氏が、24年3月で退任することも明らかにしました。

こうしたマネジメントの交代を境に、ビジネスモデル全体が変わり始めました。

 

この異例の人事は、
「独立心が強く、ともすればソニー本体を『敵』ぐらいに思っていたSIEに対する、『もっとこちらを向いて仕事をしろ』という十時さんからの強烈なメッセージ」(金融関係者)
と受け止められていました。

 

まず着手したのは、20年11月に発売された『プレイステーション5(PS5)』のテコ入れでした。

年末商戦では23年10月に発売したばかりだった『Marvel’s Spiderman 2』との同梱版を、
PS5単体と同じ価格で国内外に展開。

海外では本体の値引きも行いました。

 

こうしたキャンペーンは、ソニーが5月の時点で発表していた24年3月期の出荷台数計画の2500万台を達成するためでした。

一定の成果は出たものの、今年2月に目標を2100万台まで下方修正し、5月末に発表した出荷実績は2080万台でした。

 

コスト削減にも大ナタを振るいました。

2月にはSIE全体の8%に当たる900人を全世界で解雇すると発表。

ゲームスタジオの開発人員や間接部門が対象になりました。

 

22年に買収したゲームスタジオの米バンジーでも年初から段階的に人員削減を実施。

7月にはゲーム開発に直接関わらない間接部門を中心に、220人の解雇を発表しました。

同時にSIE本体との機能統合も進めています。

 


 

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