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死者500人を超えた能登半島地震。
発生から1年以上が経過しましたが、復旧・復興は道半ばです。
そんな中、工場被災などの苦難を乗り越え、経営者は前を向いて歩み出しています。
優しく、そして、たくましく。
そんな能登の地元企業の取り組みを日経ビジネス電子版では特集しています。
元祖カニカマ企業『スギヨ』
スピード復旧の軌跡
2024年1月1日夕方、自宅にいた練り製品大手スギヨ(石川県七尾市)社長の杉野哲也氏(73)は、これまで経験したことがない大きな揺れに思わず身をかがめました。
そして後先考えず、車に飛び乗ります。
経営する会社が心配になったのです。
スギヨ本社がある七尾市は能登半島中央部東側にあり、天然の良港として知られる七尾湾に面しています。
爆発的なヒットとなった『カニカマ』は1972年にスギヨが開発しました。
本物のカニと同様の味と風味を追求したカニカマは以来ロングセラー商品です。
スギヨは石川県内に関連企業を含めて3カ所の工場を構えます。
杉野氏は通行可能な道路を何とか見つけ、会社にたどり着いたのは翌2日でした。
人手不足と水の確保が壁に
「これはひどいな」
杉野氏が目にしたのは想像以上の被害を受けた工場の姿でした。
七尾市内にあるカニカマを製造する主力工場(商業団地工場)は、生産ラインがズタズタになり天井が崩落していました。
トラック搬入口は40cm以上も道路が陥落して全く使えない状況でした。
ですが、杉野氏はすぐに気持ちを切り替えました。
「起きたことを嘆いても仕方ない。一日も早く復旧させることに集中しよう」
幸いにもスギヨの従業員は全員無事でした。
杉野氏は主力のカニカマ製造工場を1月に復旧し、4月末に全工場を完全復旧する目標を捧げました。
業者の工事費見積もりを待っていては遅いです。
数億円規模の頭金を用意し、「細かいことは後でいい。とにかく今すぐ工事に取りかかってほしい」、そう業者に頼み込んで復旧を急ぎました。
杉野氏が復旧を急いだのは、顧客離れが起きてしまうという危機感からです。
全国から多くの建設業者が応援に来てくれたこともあり、復旧工事は順調に進み、2月末に主力向上を復旧。
カニカマ生産再開にこぎ着け、3月には商品が店頭に並びました。
ですが、残る2工場の完全稼働には時間がかかりました。
「人が集まらない」
地震発生から時間がたつにつれ、復旧工事を請け負う建設業者の作業員が不足するようになったのです。
七尾市内の宿泊施設は多くが被災して営業できず、多くの作業員が車で往復3時間前後かかる金沢市や富山県から工場に通っていました。
特に損傷が大きかったのが、カニカマと並ぶスギヨの看板商品『ビタミンちくわ』を生産する北陸工場です。
スケソウダラのすり身と調味料を合わせて焼き上げるビタミンちくわは、特に長野県で絶大な人気を誇ります。
ビタミンちくわはスギヨの原点であり、北陸工場は同社にとって特別な場所でした。
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