【心の琴線に触れる音楽】坂本龍一の人物像と深淵なる世界

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坂本龍一の音楽は、なぜ心の琴線に触れるのでしょうか。

そして深く胸を打つのでしょうか。

 

坂本を代表する映画音楽『Merry Christmas Mr.Lawrence』。

その旋律は非常に情緒的で、東洋的な美さえ感じます。

 

生と死を描いた名作にそっと寄り添う音の調べ。

シンセサイザーという電子楽器を駆使した先進性と反骨精神。

自然の音をそのまま録音するという新しい挑戦。

 

その音楽は、本質的な「音」の探究へと深化していきました。

 

音楽家・坂本龍一。

男の隠れ家では、その人物像と深淵なる世界に迫っています。

 

【1952年】坂本龍一、誕生
ピアノとの出合いと作曲

 

 

3歳からピアノに触れ、やがてドビュッシーに傾倒

 

坂本龍一さんの音楽について語るにはYMOを起点にするのではいけません。

その根幹は幼少期から培われたものであることは明らかです。

彼の人生の物語を、そこから始めていきましょう。

 

坂本龍一さんは1952年に東京都中野区で生まれました。

父は文芸編集者として知られた坂本一亀さん、母の敬子さんはデザイナーでした。

 

リベラルな考え方を持つ母は、息子が通う幼稚園に自由学園系の園を選びました。

3歳から入園した坂本さんは世田谷の幼稚園までバスと電車を乗り継いで一人で通っていたといいます。

現在では考えられないことですが、50年代当時の世間はそういうものだったそう。

 

その幼稚園は毎週、子どもたち全員がピアノを弾く時間が設けられていました。

そこで坂本さんは初めてピアノという楽器に触れます。

作曲をしたのは4、5歳のときです。

夏休みに世話係をしたウサギのことを曲にせよ、との課題でした。

作ったのは『ウサちゃんのうた』。

気持ちを歌詞やメロディにするのは、彼にとって強烈な体験だったのではないでしょうか。

 

当時、家にはピアノがありませんでした。

ですが近くに住む叔父が音楽好きで多くのクラシックレコードを集めており、ピアノも持っていました。

坂本さんは、始終遊びに行っては、レコードを聴き、鍵盤を叩いていました。

 

小学校に上がると徳山寿子の教室でピアノを習い始めます。

家にアップライトピアノも入りました。

熱心に練習するような子どもではありませんでしたが、バッハを好きになりました。

また小学5年生からは徳山先生の勧めで、松本民之助の作曲の教室にも併行して通うことになりました。

 

もちろん同時代のポップスも聴いていました。

中学生になると、叔父の家でクラシックに親しみつつ、ローリング・ストーンズやビートルズのレコードも買いました。

ストーンズの衝撃は大きかったといいます。

下手なのにかっこいい、ということに。

 

しっかりとした音楽教育を受けてきた耳には、音がずれているのになぜ良いのかが謎でした。

またビートルズのハーモニーの不思議さにも惹かれました。

同時にドビュッシーにも深く傾倒します。

好きだったバッハともベートーヴェンとも違う。

夢中で聴き込み、大きな影響を受けました。

また、デカルトバタイユなどの哲学者の本を読み始めたのもこの頃だそう。

 

新宿高校に入ってからジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク、フルクサスなど前衛的な音楽や表現にはまり、
フリージャズなども試みていました。

新宿駅から高校への道すがらには当時、いくつものジャズ喫茶や名曲喫茶がありました。

授業をさぼってそこにたむろする日常です。

マルクスレーニンを読み、熱く議論も重ねました。

1年生の夏合宿では、同級生に声をかけて前衛演劇も自作しました。

ドビュッシーにもストーンズにも通じる、何か異端的、前衛的なものへの共感があったのでしょう。

それは生涯を通じて、坂本の心の根底に流れ続けていたものともいえます。

 

将来なりたいものは小学生時代から何もなかった。

10年20年先の自分を想像することもありませんでした。

 


 

本誌では坂本龍一さんの特集の続きをお読みいただけます。

 

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