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日米開戦から80年、キャスターとして戦争を伝えてきた櫻井翔さん。
独自の取材と調査で書き下ろした特別企画で、海軍士官として戦没した大祖父と『短現』の記憶を追っています。
「なぜ戦争の取材を続けるのか」
これまで多くの人に問い掛けられてきたという櫻井さん。
「おまえは本当に戦争の話が好きだな」
国の内外に旅行するたび、必ず戦争資料館に付き合わされる友人にもそう言われてきたそうです。
「そこまでいろいろ調べるのは翔ちゃんくらいだね」
家族や親族にも言われてきました。
なぜ櫻井さんは、戦争について取材をし、伝えなければならないと思っているのでしょうか。
それは、『私が遺族だからです』。
2012年、初頭。
TBSのドラマ『ブラックボード~時代と戦った教師たち~』に出演し、
戦時中に国史の教師をしていたため、戦後に苦悩する人物を演じることになった櫻井さん。
「御国のために」「鬼畜米英」と生徒たちに教育を施し、自身の出征時には「大日本帝国万歳!」と生徒たちに見送られる。
それが戦争が終わり、外地から戻ると景色も価値観も様変わり。
クラス会を開くも、自分が送り出した生徒の何人かは戦地に散っていた……。
信じ、支えにしてきた価値観は失われ、かつての生徒たちからは「あんたが級友を殺したんだ」と責められる。
そんな人物の27歳から30歳を、当時30歳の櫻井さんが演じることに。
さまざまな資料に目を通すなか、遺族の方が書かれた文章にもいくつか触れていた。どれほど読んだときのことだろうか、ふと、頭をよぎるものがあった。
遺族……。
櫻井さんに突如浮かんできた景色は、幼少期に夏休みやお正月を毎年過ごしてきた、群馬の祖父母宅。
両親とともに布団を敷いて寝ていた畳の部屋。
頭を枕に乗せたその先に、必ず目に入る表彰状のようなもの。
それは額に入れ飾られ、額縁の丈夫に菊の紋章があり、下部に靖国神社の文字。
中央に靖国神社の全景と、学ランのようなものをまとった人物の白黒写真。
そして次の文字。
故 海軍主計少佐 櫻井次男
昭和20年3月29日東支那海にて戦死
櫻井さんの理解では、その方は他界した祖父・櫻井三男の亡くなった兄ということしか知らなかったそうです。
私は自問した。
あの人の遺族は誰なのか。
私が遺族でなかったら、あの人の「家族」とは誰なのか。
あの人は何のために亡くなったのか。亡くならなければならなかったのか。
なぜ亡き祖父は、戦没した兄の遺影をずっと和室に飾り続けていたのだろう。
直後、自分の中に一つの結論めいたものが生まれた。
「私も遺族かもしれない」
櫻井さんは、一度も会ったことのない、亡き親族の1人を突如『身内』に感じました。
学級文庫で、図書室で、幼少期から見続けていた白黒写真やモノクロフィルムの中の『戦争』。
今の景色とは違う、自分とは関係のない『遠いいつかの時代』。
そんな白黒の世界が、たちまち色鮮やかなカラーとなり、自分の正面に『ドンッ』と置かれる感覚を覚えたそうです。
そして「あの人のこと、何も知らない」との思いに襲われたとも。
この日から、折を見て調べ、時々得てきた断片的な情報は、点としていくつか脳内にあり、
この浅く、小さな点を、深く大きな線で結びたいと思った櫻井さん。
本誌では、独自の取材と調査で得た情報を櫻井さん書き下ろしている記事が掲載されています。
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