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言わずもがなですが、人はなぜ温泉に魅了されるのでしょうか。
最も身近で、最も究極的な癒しといっても過言ではない温泉。
それは四季折々の街を通して、自然の恵である湯に浸かるぜいたく。
男の隠れ家では、秋冬の秘湯案内を特集しています。
もうおうと温泉蒸気が包む
往時の温泉文化を色濃く残す街

鉄輪温泉/大分県別府市
昔ながらの温泉街の風情が残る街、鉄輪温泉。
共同温泉、貸間旅館、地獄蒸し、地獄めぐり。
坂道を歩きながら、別府の温泉が育んできた温泉文化の真髄に触れてみたいところ。
出湯と人々の温かさ
鉄輪の温泉文化を温ねる
文:阿部文枝
鉄輪温泉を見下ろす高台から温泉街を眺めた。
建物が密集する街のあちらこちらから、白い湯けむりが空に向かって高く立ち昇っている。
古くから知られている、鉄輪温泉でしか見られない風景だ。
温泉の蒸気は地の底から湧いて地上へと噴出する。
その激しさにしばし見惚れた。
ゆっくりと坂道を下って温泉街に入ると、湯けむりは身近な所からも吹き出していた。
旅館の源泉から、道端の排水溝から、湯けむりが昇り、風にたなびいている。
鉄輪の街の温泉の恩恵を受けて、古くから長い歴史を紡いできた。
温泉街は、いくつもの坂道に沿って形成されている。
いでゆ坂を下っていくと、温泉山永福寺があった。
さらに下ると、鉄輪湯けむり広場に、「鉄輪むし湯」がある。
ここは鉄輪温泉の発祥の地。
まずは鉄輪温泉の原点である、鉄輪むし湯に入ってみよう。
別府温泉の歴史を遡ると、8世紀の前半に作成された『豊後国風土記』に、
現在の鉄輪・亀川地区についての記述がある。
古くから鉄輪温泉では温泉の蒸気、噴出口を「地獄」と呼び習わしていた。
現在のように温泉に入り、蒸気を利用することのない時代には、
100度を超える温泉や蒸気は恐ろしい地獄としか思えなかったのだろう。
温泉が利用されるようになったのは中世以降だ。
鎌倉時代に時宗の開祖で踊り念仏を行った一遍上人が始めたとされる。
「当時このあたりでは、至る所で、地面から温泉の蒸気が湧き出していました。一遍上人はそこに、石菖という薬草を敷いてむし湯を作りました。昔の寺にはむし湯があり、体を清めてから修行したそうです。一遍上人は村人のために、むし湯の方法をこの地に伝えたのです」
と鉄輪観光交流センター長の安波照夫さんが語る。
伝統的な入浴法であるむし湯は独特の形式で、木戸を開けて、約8畳の石室の中に入る。
内部は温泉で温められた床の上に、石菖が敷き詰められている。
その上に人が横たわる。
石菖は清流沿いにしか群生しないといわれ、香りが非常に良い。
入ってみると内部は暗く、最初は閉塞感があるが、
温泉の温かさと薬草の香りによって、次第に気持ちよくなっていく。
温かさでつい眠くなりそうだが、制限時間は8~10分。
それから浴場で汗を流す。
「老廃物を排出するデトックス効果があります」
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