――入社されてからずっとコミックの編集に関わってこられたのですか。

編集長机脇のバックナンバー資料
そうですね。「モーニング」「ヤングマガジン」とやって、「週刊少年マガジン」には編集長としてやってきました。それからもう編集長を7年。名編集長といわれた内田勝さんの6年の記録を抜いてしまって、いいのか悪いのか(笑)。
講談社は入社試験や配属の時に一応希望部署を訊かれます。僕はもともと書籍編集を希望していました。本が好きでしたし、形として残るじゃないですか。それが、いつのまにやらコミック編集一筋25年。ほかの仕事はなんにも知らない。これもいいのか悪いのか(笑)。
――コミックの編集者って、作家に作品を頼みにいってもなかなか描いてもらえず、シメキリもギリギリで、胃が痛くなるようなイメージで語られたりしますが、これはもう古いですよね。
そうですね、いまは違います。とても締め切りに間に合わないとなると、編集が早めに編成から落とします(笑)。だから編成表は常に変化してますよ。そりゃなかには二晩徹夜して仕上げる作家の方もいますが、昔より時間管理はしっかりしていますし、編集部の仕事の回し方は昔よりはスムーズなんじゃないでしょうか。
いまのうちの作家でいうと森川ジョージさん(「はじめの一歩」を連載中)が一番遅いかな。この場を借りて、もうちょっと早く上げてほしいとお願いしたいくらい。
――一時は500万部近くまでいった「週刊少年マガジン」ですが、いまは3分の1くらいだといいます。編集長としてはアタマが痛いところかもしれませんが、対策などはあるのでしょうか。
いまコミック誌はどこもだいたい全盛期の3分の1くらいまで部数が落ちているのではないでしょうか。もちろん、相当いろんなことを考えて対策は打っていますよ。でも「買う」「買わない」これだけは読者が決めることですから。
漫画市場では全体的に、雑誌部数は落ち込み、単行本が伸びています。うちでも今年になって単行本の売上が雑誌を上回ってきました。収益の構造も完全に変化してきたということでしょうね。同じ編集部で「別冊少年マガジン」という増刊を出しているんですが、その部数はたかが知れてます。ところが、そこからミリオンセラーになる単行本が生まれたりする。
ただ、本誌である「週刊少年マガジン」の部数はなんとしても死守しなきゃなりません。本誌でも単行本さえ売れりゃいいんだよなんてことになると、漫画文化そのものが死んじゃうような予感すらします。僕が編集長であるあいだは、それは許さない。単行本は売れなくてもいいから、雑誌上で1位人気をとってくれと部員に言い続けてます。
――雑誌のクオリティを守るということでしょうが、具体的にどのようなことをされてますか。

会議資料が編集長机の前に置かれている
漫画雑誌ではそれは簡単な作業です。人気の高いものは残し、ダメなものは外して、どんどん作品を入れ替えていくということです。先輩編集長である五十嵐(五十嵐隆夫氏、現講談社顧問)は、「編集部は工場みたいなもんだ」と言ってました。工場をうまく回して、新商品をどんどん開発生産して、売れなきゃ別の商品に変える。僕もそう思っています。
大団円で終わるものよりも、打ち切り作品のほうが断然多い。僕としては月に1本は新しいものを入れて、古いものと取り替えたいくらいの気持ちです。
――人気のあるものとないものって、どのように調べているんですか。
読者アンケートを見て判断しています。携帯、ハガキなどでアンケートが毎回1万通以上来ます。それを見ているとどれが受けていて、どれがダメというのは分かります。ざっくりとですが、20ページくらいの作品を1回掲載するのに、紙や印刷代の原価費用として300万円くらいかかっているんですよ。だからそれに見合うものを出していかないとダメだと思っているんです。
――この作品はいけるとか、いけないとか、いままでの経験から分かることってありますか。
これはねー、何とも言えないんですよ。それができれば10割バッターになれる。編集者もプロ野球と同じで3割打てれば合格でしょう。もちろん数多い候補の中からどれを新連載にするかは最終的に編集長の判断ですが、いろんな観点から判断しますしね。その作家の隠れた才能とか、成長速度とか、モノとしてある絵とストーリーとは別の判断も加味しつつ。
物語が進めば、いけるかいけないかは、ある程度は判断できますが、しょっぱなから読者の反応を読むことはできないし、あんまりしようとも思ってません。編集長はそれくらいニュートラルに全作品に接しないとダメだと思うし。
――でも森田さんは、「カイジ」をはじめ、多くのヒット作を手がけておられます。
僕はラッキーだったと思いますよ。マンガバブルの頃にいろいろ手を出してますから(笑)。その結果わかったのは、お金を出して買っていただいている読者の方はあなどれん!ということです。自分のやった仕事がうけなかったからといって読者のせいにしているようじゃまだまだ半人前。これは、漫画編集者やってるうちに身にしみて分かってくると思うんです。読者と添い寝するくらいの気持ちでないとダメだと思っています。でも一般にうける商品って何でもそうですよね。
――「週刊少年マガジン」の「ブランド力」という言葉をよく聞くのですが、これは何だとお考えですか。


ポスターがいたるところに
いまの「週刊少年マガジン」って、個人的には、梶原一騎さんが父親で、ちばてつやさんが母親だと思ってます。われわれはずっとその伝統を守っているんだなぁって。いわゆる“スポ根”ですね。ですから、この文化から外れたことをやるとうまくいく確率は低くなります。
ヒットした「魔法先生ネギま!」もいわゆる萌え系ですが、仲間との友情やスポ根的世界観が底流に流れています。やはりこういった作品の根底にある世界観がわれわれの雑誌のブランドなんだと思います。
やはり、とくに若い読者に対して「頑張れば報われるぞ」といったメッセージはちゃんと出したいんです。少年誌はそうでないといけないと思いますし。いまそういうリアルな世界を扱う媒体って少ないんですよ。
――スポーツの世界をロジカルに語れる雑誌、という評価をしている人もいます。スポーツの世界を深く理解している編集者が多いのでは。
そうですね、それはあるかもしれません。さっき話に出ました「はじめの一歩」ですが、作者の森川さんは、いくつか前作で失敗しているんです。この作品はボクシングを描いて大成功したのですが、いくらボクシングが好きでもマガジンでは「あしたのジョー」という作品が強烈すぎて、描けなかったんですね。でもマンガ家やめるかボクシング描くかギリギリまで悩んで、最後にボクシングを描いて勝負をした。そんな背景があります。
ですから、本当に好きな世界の作品を描いて勝負して欲しいんです。好きじゃない世界を描いたって伝わらないですからね。好きな世界で必死に勝負する、そういうスタンスが読者の共感を生んでいるんだと思います。
押し付けで描いたスポーツは絶対うけないし、流行で追っかけても失敗します。
ちなみに、テニスを描いた「ベイビーステップ」の作者である勝木光さんは、ずっとテニスをやってきた人ですし、その担当編集は立教のバリバリ体育会テニス部です(笑)。
――いまの読者層って、どうなっているんですか。
2つ山があって、ひとつは高校生と大学生の世代、もうひとつは45歳くらい。マガジンが非常に売れてたころ高校生くらいだった人たちですね。僕より少し下くらい。僕は高校のとき「週刊少年サンデー」読んでましたから(笑)。
――あ、でもその2誌のコラボってありましたよね。読売と朝日が一緒に新聞刷ることはありえないかもしれませんが、コミック雑誌って、けっこうやっちゃうんだなと思いました。
創刊50周年のコラボですよね。まあお互い同じ歴史をつくってきて、上の方の人たちはつながってて、そこで何か花火を上げましょうってことになったんですね。部数も落ちてるし危機感があったんだと思います。トップダウンの企画でしたが、そんなに期待したほどの成果はなかったように思います。やはり同じコミックの世界とはいっても、会社が違うとカルチャーも違うので難しいものがありますよね。
――編集部におられることが多いのですか。

大人数が収容できる広い編集部
僕は意図的に長時間会社にいるようにしています。イヤがってる部員もけっこういるかもしれない(笑)。
というのも、僕が現場やってたときに、相談したくても編集長がいなくて困ったことがけっこうあったからなんです。いまは昼から終電まで、かなり長い時間会社にはいるようにしています。で、相談ごとには即断即決で対処していくというのが僕の方針。次から次へと打ち合わせやトラブル相談や会議やミーティングが入って息つくヒマもありません。
休日はまったり家で本読んだり、映画観たりしてます。
――スポーツとかはしないんですか。
あまりやらないです。むかしは編集部で野球部とかつくって盛り上がってたんですが、いまは下火です。あっ、1年前までは土日一日中パチンコやってました(笑)。ギャンブルは大好きです。マカオやラスベガスには何度も行ってますし。だから「カイジ」みたいのが担当できたんですね。
僕が編集長になるなら、本来は「ヤングマガジン」だったはずなんです。講談社の伝統からしても、そのときの流れからしても。それが「週刊少年マガジン」をやれということになった。引き受けるかどうか、ああ、これもギャンブルだなと思いましたよ。任命した五十嵐さんにとってはもっとギャンブルだったでしょうけど(笑)。どうだろ、このギャンブルは勝ったのかな?
――でも編集長より現場が好きそうですよ。

これがいわゆるネーム

校了紙はこんな感じ
誰でもそうなんじゃないでしょうか。編集長は中間管理職の悲哀でいっぱいだから(笑)。
実は最近、現場もひとつやってるんです。「AKB49」という作品ですが、これ秋元康さんとの話の中で自分がやらざると得なくなった。編集長が現場で作品担当をやると、「ダメなとき連載切れんの?」とかいろいろ言われる。でも、久々にやってみて現場の面白さを再認識。やはり自分のアイデアとかが形になって出てくるのを見ると、これが編集者の醍醐味だなって思いますよ。現場のほうが絶対楽しい。
あとは、編集長っぽく言えば、若い編集者に学んで欲しいことってあるんですよね。それを一緒にやってると見せながら教えられるじゃないですか。こういうことも大切かなと思うんです。
――マンガ家志望の人、マンガ編集者志望の人に一言お願いします。
マンガって、まだまだジャパニーズドリームがある世界なんですよ。一発当てりゃ大金持ちになれて名声も手に入る。こういう世界って今の日本にはなかなかないと思うんです。小説も音楽もIT業界も、確かにドリームはあるでしょうが、マンガのほうがまだまだ世界が広いような気がします。
だから野心のある人はマンガの世界で一発勝負してみるのは面白いと思います。作品は、やはり本人が描きたいものを描く、それ以外にないと思っています。
そこに他とは違う何か光るものが出せているかどうか。
編集者にしても、そこですね。何でもいいけど、ほんのちょっとでもいいけど、これは他の人とは違うものがある、掲載されている作家たちと比べても光るものがある。これを見つけてあげられるかどうか。小さなコマの1つのセリフでもいいんです。ほかの人には描けないキラリと光る何か、ここにすべての可能性があると思っています。
-
1.週刊プレイボーイ(集英社)
AKBブームの牽引雑誌。その心意気に尊敬します。
-
2.週刊文春(文藝春秋)
これはクセで買ってます。小林信彦氏のコラムは毎週すごい。
-
3.スラッガー(日本スポーツ企画出版社)
メジャーリーグのマニアなんです。
-
4.FRIDAY(講談社)
スクープとるのにどれだけの苦労してるんでしょう。
-
5.週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド社)
特集って編集力の勝負ですよね。それがよくわかる雑誌。
(2011年11月)
-
- 「マガジン」とほぼ同級生の私は、この雑誌がつくったスポ根マンガとともに育った世代ということになります。実際「巨人の星」「あしたのジョー」などは何度読み返したか知れないし、メディアミックスの先駆けといわれた「ウルトラQ」の表紙などは、いまでもよ~く覚えています。
インタビュアー:小西克博
大学卒業後に渡欧し編集と広告を学ぶ。共同通信社を経て中央公論社で「GQ」日本版の創刊に参画。 「リクウ」、「カイラス」創刊編集長などを歴任し、富士山マガジンサービス顧問・編集長。著書に「遊覧の極地」など。
