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Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)の編集長インタビュー

編集長プロフィール

扶桑社
ヌメロ・トウキョウ編集長 田中杏子さん

たなかあこ ミラノに渡りファッションを学んだ後、雑誌や広告などに携わる。帰国後はフリーランスのスタイリストとして多方面で活動。「エル・ジャポン」の契約スタイリストを経て、「ヴォーグ・ニッポン」創刊時より編集スタッフとして参加。また、広告やTV番組の司会、資生堂「Maquillage」のファッション・ディレクターなど多方面で活躍。2005年11月より 「ヌメロ・トウキョウ」編集長に就任し、2007年2月に創刊、現在に至る。

編集長写真

第7回 Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ) 編集長 田中杏子さん

他紙との差別化オリジナリティを明確にすることで支持者を増やしていきます

――杏子(あこ)さんはイタリアに長く住んでおられたと聞きましたが。


東京湾が一望できるお洒落な編集部
東京湾が一望できるお洒落な編集部

はい、18歳から約6年、ミラノで暮らしていました。最初の3年間が学生で、デザイナー、パタンナーになるための勉強をしました。
私、中学生のころからスタイリストに憧れていたんです。だからファッション関係の仕事に就きたかった。それで父の勧めもあって、ファッションを学ぶのならイタリアだろう、と。

――粋なお父様ですね。

最初は語学留学でアメリカ・・・とも考えていたのですが、父は留学するならちゃんと身になることをしろ、と。語学なんてその場で暮らせば誰でも身につく、という考えだったんですね。
それに父はアパレル関係の仕事をしておりましたので、頻繁にイタリアには行ってたんですよ。だから私も父の後押しでイタリア、ということになったんです。

――そのころのイタリアのファッション業界はどうでしたか?

私が過ごした1980年代後半のファッション業界は、元気がありましたが、学校を出ても仕事を見つけるのは大変でした。私も3年間勉強をして、半年ほど職探しをしました。待っていても仕事は来ないので、自分でテストシュートをしてブックをつくって飛び込みでセールスに行くんです。作品がないと、仕事を依頼するほうもどんなテイストの仕事を出せばいいのかわからないですよね。だから私はまず写真家と知り合って、手伝ってもらいながらオリジナルブックをつくって営業したんです。
3件目くらいでラッキーにもスタイリストの仕事をもらえることになったのですが、最初に言われたのは「仕事はあるけどアシスタントだからノーギャラね」(笑)。でも私は、それでOKでした。とにかく自分のやりたい道の第一歩を踏み出せたわけですから。そして働き始めて1ヶ月経ったら、給料をくれるようになった。おまけに最初のノーギャラ月の分は、まわりの人たちが自分のポケットマネーを出し合って私にくれたんです。感動しましたね。
そこでアシスタントをしながら少しずつ自分自身の仕事ももらえるようになっていったんです。

――そのままイタリアに残って仕事を続けることは考えませんでした?

考えましたけど、やはりずっと海外に居続けることには不安が大きかったですね。もう日本に足場を失ってしまってイタリアから動けないような人もいましたから。
でもそれ以上に、そのころは東京ブームで、イタリアでも東京の話題が非常に多かったんです。私は大阪生まれで、東京を知らない。大阪とミラノしか知らなかったんです。そこで、これは東京を見ておかないといろんな意味でやばいかな、と思うようになったんです。

――それで東京進出ですね。

はい。でも知り合いなんかいない(笑)。ミラノ時代に知り合った人が2人いただけです。
細いコネを頼りに、あとはやはりミラノ時代の仕事をブックにまとめて営業しました。ショールームに電話してプレスの人たちに見てもらったりしながら、小まめに歩きました。「ではヨックモック前で待ち合わせね」とか言われても、そのヨックモックがわからない(笑)。まずは、地理を覚えて歩きながら自分の手帳を充実させていきました。最初は「流行通信」、それから「スプリング」「フィガロ」、それに広告の仕事・・・と少しずつ仕事の幅も広がっていったころに「エル」から誘われて、当時の森編集長から薫陶を受けました。
その後「ヴォーグ・ニッポン」からお誘いを受けたのですが、そのときは正社員になれといわれました。スタイリストは卒業して、ファッション・エディターになれと。これも何かのタイミングかな、と思い今度は編集者としての勉強を始めました。そのころの「ヴォーグ・ニッポン」は、まだ日本で出版が始まったばかりで、本国のチームが乗り込んできてあれこれ指示を出していました。かれらは雑誌の質を、それにかかわるクリエーターのランクで決めるんです。だから「ヴォーグ・ニッポン」にかかわるクリエーターは世界レベルのAランクでなきゃいけない。世界レベルのクリエーターはそれぞれ自分たちのチームをもっていますので、“スタイリスト田中杏子”では入り込めない部分もあって、自然と編集者になっていったともいえます。

――外国の有名雑誌を日本で出版する場合、彼ら独自の植民地政策のような考えがあるようですね。

そうですね。それは「ヴォーグ」に限ったことではないと思います。この「ヌメロ・トウキョウ」だってさまざまな制約を課せられましたから。 「ヴォーグ・ニッポン」においては「齋藤ヴォーグ」になってからは、かなりジャパン・オリジナルを前面に出すようになりました。マガジンハウスからいらした齋藤和弘氏が社長兼編集長になられ、そういうお考えでしたから。私もその影響を受けているので、「ヌメロ・トウキョウ」では、表紙も含め、すべて日本のオリジナル記事ということにこだわっているのです。

――そもそも「ヌメロ・トウキョウ」を出すきっかけは何だったのですか?


オリジナルコンテンツにこだわる日本版ヌメロ・トーキョー
オリジナルコンテンツにこだわる日本版「ヌメロ・トウキョウ」
フレンチ・ヌメロ
「ヌメロ」のフランス版

もともとは扶桑社ではなく、IT系企業の事業部門が発行元になって出し始めたのがきっかけで、そこに誘われたのです。
「ヴォーグ・ニッポン」で齋藤さんから伊勢丹ブックをつくる仕事をまかされ、はじめて雑誌を一冊まるごと自分で仕切り、何とか編集者として使い物になるか、といったあたりまできたころでした。誘われたはいいが編集長をやる自信も実績もなかったので、「ファッション・ディレクターならできますが、編集長はできません」と断ったのですが、先方はこちらを高く評価してくださったのでしょうね、「いや、編集長でお願いします」と。だから、ふつうの雑誌の編集長とはちょっと違いますね、私の場合(笑)。
そこでフランス本国と本格的に仕事を始めたわけですが、これがなかなか一筋縄ではいかない。
まず私のつくるものなんか話にならないといった状態で、まともに評価してくれないんです。「すべてフランスのものを翻訳で出すんじゃないの?」なんていわれてしまう。いろいろ格闘がありましたが、そこは私も頑張りました。日本版は日本独自の編集でマーケットに合わせないと売れない、ということをいろんな角度から再三説明をし、読者の支持を受けているということを少しずつ証明していきました。フランス版のように写真を贅沢につかったアートブックみたいなものでは日本では売れませんからね。
でも、写真家とモデルには最大限気をつかっています。ファッション・ページはいわゆるAランクでなければ、いくら日本で売れたといっても本国に対して、そのブランドに対して言い訳できなくなってしまうのです。一流のファッション・ページは、残念ながら海外のクリエーターの世界なんです。日本とは制作環境が違いますから仕方ないんですけどね。

――でも、「ヌメロ・トウキョウ」では、木村カエラさんとか米倉涼子さんとかがファッションで登場していますが。

これはファッションでありビューティであり、女優さんのポートレートページでありといった理解(笑)。もちろん基本はすべてこちらのオリジナルです。
いわゆるハイエンドのファッション誌ではあまりみられないようなコンテンツをつくっています。今回は大阪特集を別冊でつけてみたのですが、こんなふうに日本の地方を「ヌメロxxx版」といった形で、いろいろ特集してみたいとも考えているのです。

――売り上げは好調ですか?


オリジナルコンテンツにこだわる日本版ヌメロ・トーキョー
コレクションの写真を並べて企画を考える

おかげさまで、雑誌全体の景気が悪いなか、「ヌメロ・トウキョウ」は伸びています。
広告激減という話をよく聞きますが、うちは有り難いことに前年比140%増です。これもおそらく他との差別化、オリジナリティーということにこだわっているからだと分析しているんです。 ターゲットは30代前半くらいに絞っているし、都会的なエッジの立て方をしているので、広告的には効果も見えやすいのではないでしょうか。
表紙もダメだと再撮しますよ。ぱっと見てハッピーな気持ち、素敵だなといった見え方にするために努力しています。チープ感があったりおどろおどろしいのは、いくら芸術的であってもNGですね。

――ファッション業界も変わりましたが、雑誌の世界同様、依然、働きたい人は多いようです。この世界に入ってくる後輩に何かメッセージをください。

自分のやりたいことを見極めろ、ということでしょうか。そして、まずは形になるまでそれを追いかけなさい、と。
やり続けていると自分の周りに集まってくるものがあって、それがコミュニティを形成していく。自分が何もないのに、こうなりたい、こんなコミュニティに属したい、という素敵なイメージだけが先行している人が多いのですが、それではだめですよね。早く答えが欲しいからといって次に安易にシフトしていく人も多いですが、そんなときこそ自分を再度見つめ、着地点を明確に考えて動いて欲しいと思いますね。

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(2009年6月)

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