【北野武、人生を語る】母の教え「お金はいずれ手に入る。無理にほしがるな」

  • 更新日
  • 有効期限 2022.09.21

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PRESIDENT(プレジデント) 2022年7.15号 (発売日2022年06月24日)の誌面を基に記事を作成しています。

PRESIDENTでは北野武さんにインタビュー。

幼少期の貧乏な頃や、母の教えについて語っています。

 

 

ビートたけしの幼少期|貧乏暮らしと「お金」に対する原体験

お金そのものに価値なんかない

 

「子どものころは貧乏だった。ペンキ屋だった親父の稼ぎが少ないので、母ちゃんが造花をつくったり、ラインのおもちゃにゼンマイを仕込んだり、内職をしていた。

でもひどい親父だから、お金があると酒を飲んだりして全部使っちゃうんだよ。だから、子どもの学費は母ちゃんが払った。結局、一番上の兄貴が大学出たら働いて、姉さんも働いて、家計を支えていたんだ」

 

しかし、振り返ったらそうだったという話で、そのときは住んでいた一帯が同じような環境だったため、
自分の家が貧乏だとは思っていなかったそう。

 

北野武さんが育った東京都足立区はもともと職人が多い町でした。

戦後の宅地ブームで、近所の農家が持っている土地を全部売り、都心の家は買えないサラリーマンが家を建て、
武さんの家の近所にはサラリーマン家庭が爆発的に増えました。

 

「うちらとは生活習慣が全然違ってさ。弁当箱も俺のは厚いやつだったけど、薄いやつを持っていて、ランドセルもノートも違うんだ」

 

サラリーマンは固定給をもらえて、子どもも毎月決まったお金をもらえる、
そんな子どもたちを心に羨ましく感じていたそう。

 

「俺にとって、お金は縁がないもので、普段から持っていることはなく、必要なときにだけもらって使うものという認識だった。

ただ野球も好きなだけやれて、家族団らんもあって、ささやかな幸せはあった。だから、貧乏でも不幸ではなかったよ」

 

 

父親が飲んだくれでだらしなかった分、母親は子どもに厳しかったといいます。

お金や欲に対する教育については特に厳しかったそうです。

 

「自分で『良家の生まれだった』と言い張ってたんだけど、それは嘘で、貧しい田舎の農家の生まれだった。12~13歳で奉公して女中頭になって、奉公先の坊ちゃんにもお金についてきびしくしつけていたらしいんだな」

 

武さんの母親がよく言ってた言葉。

『お金はいずれ入るから、無理なものをほしがるんじゃない』

『親にたかるな』

『お金がほしいんだったら、ちゃんと働いて稼げ』

 

貧乏だけど、お金のために生きているわけじゃないという誇りがあった、と言います。

 

「『お金そのものに価値なんかない』というのが、母ちゃんの思想なんだ。お金を稼げる人やお金の苦労をしてない人は、なんとなく偉いように見えても、別に偉いわけじゃない。ただ、お金が勝手に寄ってくるだけだと考えていた」

 

「お金は汚いもの」徹底された欲に対する厳格な教育

『お金は汚いもので、興味を示してはいけない』と徹底的に教育された武さん。

 

「お金はあれば何でもできると思ってしまうし、そのしっぺ返しはすごいから、最初からないものだと思えということだね。だから、金融業とか投資家のようなお金をいじる仕事や、お金もないのに金持ちのフリをする奴を『下品だ』と言っていたな。

俺がお金に対する執着が薄かったり、物欲がほとんどなかったりするのは、母ちゃんの影響を少なからず受けているんだろうね

 

若い頃はどう過ごしていた?
大学中退から浅草フランス座の下積み時代へ

 

その母ちゃんが苦労して稼いだ金で、大学に入ることができた。

でも、大学に入った1965年ごろは安保闘争の真っ最中。

俺は政治活動に全く興味がなかったから、そのうちまったく学校に行かなくなった。結局、喫茶店でボーイやったり、いろんなバイトをしてるうちに、ドロップアウトして6年ぐらいで辞めちゃった。

この生活から抜け出そうと向かったのが浅草のフランス座。そこで芸人修行を始めたら、お金や食い物には苦労しなかった。

10日にいっぺん給料をくれるし、踊り子さんも芸人を可愛がってくれて、いろいろ面倒を見てくれるんだ。

また、当時のフランス座って芸人にとって掃きだめのような場所で、「演芸場出て、いくらかもらって、それが死ぬまで続けばいい」みたいな芸人しかいなかったからね。
お金がなくても生きていけたし、お金なんてどうでもいいってなってくるよ。

漫才師になって下積みしていたときも、浅草にはお笑いのファンがいたから、舞台で面白ければ、「おまえら飯食わせてやるよ」という誘いがあった。

舞台に出た夜にはそういう旦那みたいな人と酒を飲んで、小遣いをもらって帰ってきた。

ただ、向こうが差し出したお金をもらうのはよくても、こっちから「ちょうだい」というのは変だろうとは思っていたよ

ほしがらなくても求めなくても、お金は自然に入ってくるもの。

それで身についたものだけが自分のお金だって、母ちゃんの影響で考えていたから。

 

ビートたけしが語る芸人論
師匠から叩き込まれるお笑いとテレビ界の変遷

 

お金を払って芸を習う現代のお笑い界への違和感

俺が修行していた時代、芸事は金を出して習うんじゃなくて、師匠を見つけて叩き込まれるものだった

今はお笑いの学校に通って芸を教わっている奴が多いだろう。お金を出して教わったもので食おうというのはどうなんだろうね。そのせいか最近、新しいお笑いをする芸人を見ていない気がする。

ついでに言うと、テレビもすっかり落ち目になってしまったな。いろんなテレビ番組の雛型は、俺がつくったもんだ

『元気が出るテレビ!!』のような素人を扱うバラエティ番組、『たけし城』のようなゲーム番組、『スポーツ大将』のようなスポーツバラエティ番組もしつくった。

今もそのコピーをやってるだけで稼ごうとするなんて、図々しいことするなって。
同じような番組がやたら多いから、「テレビはダメになるな」と思っていたら、案の定ダメになっちゃったよ。

漫才師として劇場に出ているころ、出世頭は獅子てんや・瀬戸わんやさんだった。演歌歌手について全国を回って、その前座をするわけ。

それで毎週20万円稼ぐと聞いて、みんな「すごいなあ」と驚いたのを覚えている。当時、芸人がそれだけ稼ぐのは大変だったんだよ。

その壁を壊したのが、萩本(欽一)さんだね。浅草からテレビに進出して、自分の名前をつけた冠番組を持ったことで、芸人のランクがだんだん上がっていった。

 

「月給3000万円」プロ野球選手の年俸を超えた若き日

漫才ブームが来たから、もらえるギャラが破格だったんだ。 給料も銀行振込じゃなくて、給料袋に現金入れていた時代。たくさんもらえたらドスンと立ったんだよ。

「給料袋が立つぐらいもらえたらいいなあ」なんて夢見てたら、いつの間にか立っちゃってた。

洋七(B&Bの島田洋七氏)と飲んでた店で、広島カープの山本浩二さんと会ったことがある。当時、球界のトップバッターで、年俸3000万円プレイヤーだって騒がれていた。

山本さんが広島出身の洋七ばかりに話しかけるから、俺から声かけたんだよ。
「新聞に3000万円で契約って書いてましたけど、あれって年俸ですか? 俺、月にそれぐらいもらってるんですよ」

山本さんの目が点になってたな。当時の3000万円、今の1億円ぐらいの価値はあったんじゃないか。

 

新幹線での移動時間が唯一の睡眠時間だった

もらいすぎている、という感覚は全然なかったね。もっともらってもいいと思えるぐらい働いていたから。

昼はこれでもかと仕事があって、夜は夜で酒飲んで、どっか行っちゃ遊んでいる。寝る時間がなくて、舞台で何喋ったかを覚えていないぐらい忙しかった。

あのころの新幹線は東京から大阪まで3時間かかって、往復で6時間眠れる。それが嬉しくて仕方なかったぐらいだから。

でも別にもらう額にこだわっているわけでもなかった。

「こんなにマージンとって、ボッタクリじゃねえか」なんて所属事務所の文句を言ってネタにしていたけど、そんなにお金を求めていたわけじゃない。ただ、安くてもいいから、自分の評価に値する正当なお金が欲しかっただけで。

お金がわんさか入ってきても、相変わらず物欲はなかったから。
20年お金を貯めて欲しかった高級外車を買えたらそりゃ嬉しいんだろうけど、いつでも買える状態って感動しないからね。

漫才ブームのころ、周りの芸人が一番心配したのは、ブームが終わることだった。

終わったら仕事なくなっちゃうじゃない? 実際なくなったし。でも、俺はあんまり心配していなかった。渦中にいながら、ブームはもう終わると思っていたから。

だから「いつまでも漫才やってられない」と思って、一人になってラジオやったりいろんな番組つくったりするんだ。

それで番組を手がけたり、本を書いたり、その後映画も撮ったりしながら、この四十数年はずっと売れてた。

いまだにその印税で食べているんだよね。だからお金は全然なくならない。

 

【この続きは本誌にて!】

インタビュー後半では、ビートたけしさんならではの「豪快で切ないお金の使い道」や「独自の人生観」がさらに深く語られています。


 

 

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