「浪商の牛島」から「名古屋の英雄」へ——電撃トレードの裏で“牛島和彦”が魅せたプロの意地

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かつてプロ野球選手で、現在、野球解説者や評論家として活動している牛島和彦氏
今号のベースボールマガジンでは、牛島和彦と中日ドラゴンズを特集。
どんな野球選手だったのか、気になる内容をピックアップしてみました。

 

 

牛島和彦の4対1トレードもまた、「残酷なこと」の一つでした。
『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』の著者が、牛島論を綴ります。

 

 

牛島さんが残したもの

牛島和彦というプロ野球選手について考えるとき、いつも迷ってしまうことがあります。

 

あれ、牛島さんって東邦出身だったっけ、それとも中京か、いや名電か、と。
いや、浪商だよって突っ込まれることは承知の上です。

 

何なら「浪商の牛島」ってところで大半の日本人の記憶は止まっています。

 

とくに、ギャルはそうだ。認めたくないけど関西人です。

でも、今は違います。

 

間違いなくドラゴンズの牛島です。名古屋の人だ。

 

そしてロッテにいた記憶など雲散霧消しています。

 

それにしてもドラゴンズのスターって、なんでこんなに胸に沁みる選手が多いんだろう。
きっと分かりやすい“一色”じゃないからだろうな。

 

ただ「活躍した」ってだけの記憶じゃ終わらない、「悲」も「哀」もしっかりファンの記憶に刻んでくれる大スターなんです。

 

ドラファンで良かったって思うのは、牛島選手のようなプレーヤーについて熱く語ることができる特権です。

 

だって「常勝」とか「紳士たれ」なんて、成熟しきれない大人が使う標語に魅力は感じないからね。

 

死闘のクライマックス、目を血走らせてバットを構える敵に立ちはだかるのは線の細い(失礼!)優男です。

 

 

ロッテオリオンズの牛島和彦

 

 

1987年、ロッテに移籍した。背番号は中日時代の「17」から「27」へ。
待っていたのは閑古鳥が鳴く川崎球場でした。

 

セ・リーグとパ・リーグの違いを、牛島はどう乗り越えていったのか。

 

牛島を奮い立たせたもの

1987年1月11日から始まった合同自主トレ初日。

 

「ロッテ・牛島」は、両翼89メートル、中堅118メートルの本拠地・川崎球場に初めて足を踏み入れれました。

 

中日時代のプロ7年間、公式戦はもちろんオープン戦でも来たことはなかったが、フィールドの狭さは気になりませんでした。

 

「ひと昔前のセ・リーグの球場も決して広いとは言えなかった。ホームのナゴヤ(現ファーム本拠地)や後楽園(現東京ドーム)、神宮、そして広島も狭かった。だから、球場自体は大して気にならなかった」

 

 

まだまだ牛島さんの特集は続きます。ぜひ、本誌でご覧ください。

 


 

本誌では他にも、牛島さんへのインタビューも掲載されています。

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