Nuclear Family
ホフマン家とフレッチャー家の系譜(けいふ)
文:スティーヴ・バリロッティ
ザ・サーファーズ・ジャーナルはじまって以来の超大型企画、4世代にわたるサーフィン・パワーハウスを維持してきたホフマン家とフレッチャー家を、その人物像をフィーチャーしながら、その系譜をひも解く。
Batik with Chili Pepper Crab
マリブとビッグマカハのパイオニア、ウォルター・ホフマン
文:ティム・ワッツ
ホフマン家の次男、ウォルター・ホフマンは、長男フリッピーとともにサーフィンをはじめ、大波を求めてハワイにわたる。その後、ホフマン・カリフォルニア・ファブリックス社を創業した父親ルーブ・ホフマンの後を継ぎ、社長となり、サーフィン市場で揺るぎない地位を築いた。ウォルターのサーフィン&ダイビング仲間であるカリフォルニア州カーメル出身の筆者ティム・ワッツは、1980年代初頭、バリ島にろうけつ染めの工場をつくり、ホフマン・カリフォルニア・ファブリックス社とビジネスをおこなった。
Sui Generis
唯一無二の世界チャンピオン、ジョイス・ホフマン
文:コリ・シューマッハ
ウォルター・ホフマンの娘、ジョイス・ホフマンは、1964年、17歳でマカハ・インターナショナル・チャンピオンシップの女性部門で優勝し、世界の表舞台へと飛びだした。その後、1966年にも同大会で優勝したジョイスは圧倒的な強さで、オーシャンビーチで予定されていたシーズン最後のイベントが終了する前に、ワールドサーフィン・チャンピオンシップ2回目の優勝を決めた。こうして魅力的でほどよく筋肉のついた小麦色のジョイス・ホフマンは、世界ナンバーワンの女性サーファーとして『ライフマガジン』、『セブンティーン』、『ティーン』、『ヴォーグ』、『スポーツイラストレーテッド』といった雑誌、そしてABC-TVの番組『ワイドワールドスポーツ』などに登場、プロサーファーというイメージをつくりあげた。
“Shitty but Good”
輝かしくかつ傑出(けっしゅつ)したウォーターマン、フリッピー・ホフマン物語
文:スティーブ・ペズマン
ルーブ・ホフマンの長男フリッピーは高校卒業後、急成長していた父親の仕事には加わらず、アワビ漁のダイバーとして働く道を選んだ。1948年、一足先にハワイにわたった弟のウォルターは兄に写真を送る。そのモノクロの写真には、弟やバジー・トレント、ジョージ・ダウニング、ウォリー・フロイセス、そしてウッディ・ブラウンたちが、いままで見たこともないようなマカハのビッグウェーブをサーフする様子が捉えられていた。すぐにフリッピーは飛行機に乗ると、バジーやシモンズ、そしてウォルターたちが住むワイアナエのかまぼこ型の兵舎に合流し、マカハの波をサーフする道を選ぶ。さらに未知の世界だったノースショアにもむかい、ラニアケアのようなバージンウェーブをサーフする。1950年代後半、ついにフリッピーはファミリー・ビジネスに参加。‘60年代後半にはこのふたりの若い青年たちがホフマン・ファブリックスを受け継ぐことになり、ザ・サーフウェアのビジネスがスタート、30年にわたる好景気がこの兄弟を潤わせることになる。
There Are No Sharks
知られざるビッグウェーバー、マーティ・ホフマン
文:スティーヴ・バリロッティ
フリッピー・ホフマンの長男マーティは、ハップ・ジェイコブス、デール・ベルジーやグラビー・クラークなど、いわゆるサーフセレブたちにかこまれて育った影響で、6歳で波乗りを覚え、8歳のころにはサンオノフレのサーフィンコンテストに出場するまでになっていた。その後、WSA、NSSAに出場するコンテストサーファーとして成長をとげ、1980年にはフランスでおこなわれた世界選手権に米国チームの一員として、トム・カレンなどとともに出場し、プロサーフィン大会をフォローするまでになる。当時、パイプラインの目の前に小さな家を借りていたフリッピーは、息子マーティを修行のためにノースショアに呼び寄せ、ビッグウェーバーとしてキャリアを積ませる。しかし、“甘やかされたわがままなサーフィン王子”というレッテルを貼られた彼は、プロとしての短いキャリア(1982~‘83)のなかでは、一貫していい成績が収められなかったが、企業家として成長していくこととなる。
Spearhead
ダウンレールからアップタウンまでを駆け抜けた、ハービー・フレッチャーの尖った生きざま
文:ルイス・サミュエルズ
ウォルター・ホフマンの次女ディビィと結婚し、サーフセレブの仲間入りをはたしたハービー・フレッチャーのサーフキャリアはサーフセレブたちと肩を並べるにじゅうぶんな実績を誇る。10代のころにはクレイ・ウィールの付いたハンドメイドのスケートボードに乗り、プールの壁をバーティカルに攻めた。また、ショートボード革命の扇動者のなかには名前が挙がらないものの、彼はマイク・ヒンソンのコンセプトを組み込み、そのボードをどんどん短くしていった。1960年代の後半にはノースショアで暮らし、ショートボードの聖地バックドアとパイプラインを攻めた。ブレークスルーはまだつづく。1972年には、サーフィンにジェットスキーを取り入れるアイデアをはじめて試すこととなる。そして、アストロデッキの発明、ロングボードの再来を後押しすることとなる。
Woman in the Workplace
仕事場の女、ミセス・アストロデッキ
文:ディビィ・フレッチャー
マーティ・ホフマンの娘として、またジョイス・ホフマンの妹として育ったディビィは、ハービー・フレッチャーと結婚し、クリスチャンとネイサンのふたりのサーファーの母親として、またアストロデッキを切り盛りするキャリアウーマンとして、サーファーではない女性として、サーフィン界でもっとも有名な女性だ。
Dragged into the Daylight
クリスチャン・フレッチャー名言集
文:マット・ワーショー
ハービー・フレッチャーの長男として生まれたクリスチャンは、当然小さいころからサーフィンの英才教育を受けて育ってきた。そして、弱冠(じゃっかん)19歳のときにはロワーズでおこなわれたPSAAの大会で優勝し、優勝賞金3万ドルを手にした。順調にプロサーファーへの道を歩むはずだったクリスチャンは、ドラッグ問題やその明け透けな発言によってその道が絶たれた。その反乱パフォーマンス・アーティスト、クリスチャンを世に送りだした張本人がマット・ワーショーだ。その彼が記録したクリスチャン・フレッチャーのかずかずの名言集だ。
Sick
グレイソン・フレッチャーによるサーフィンvs.スケートボード
インタビュアー:ジョン・ジョン・フローレンス
次世代のエース、ジョン・ジョン・フローレンスとグレイソン・フレッチャーが、ボードスポーツのこと、セッションをコントロールすること、そして人生を論ずる。
Steeped in the Brew
醸成(じょうせい)された個性、ネイサン・フレッチャー、サーフボードを語る。
文:クリスチャン・ビーミッシュ
フレッチャー家にあって、クリスチャンだけがなにかとクローズアップされてきていたが、最近、遅咲きのネイサン・フレッチャーはビッグウェーバーとして名を馳(は)せている。そして、アウターリーフのスラブ波に持ち込んだのが12フィートもあるクアッドのサーフボードで、4フィンはいまやビッグウェーバーの定番となった。
Interview
クリスチャン・フレッチャー
“When I did an air it didn’t count. Now if you don’t do air you don’t count”
「かつて、エアーをやっても認められなかった。いまや、エアーをやらなければ認められない」
インタビュアー:ジョージ・カックル
2014年の晩夏、クリスチャン・フレッチャーが西岡昌典の葬儀に参加するために来日した。私たちはちょうどTSJ本誌「ホフマン家とフレッチャー家の系譜」の翻訳編集中で、その内容をふまえたうえで彼にインタビューするという絶好の機会を得た。それはクリスチャンと仲がよかった西岡が私たちに彼を再度引き合わせてくれた、イキなはからいだったのかもしれない。
ザ・サーファーズ・ジャーナル日本版の内容
- 出版社:ライスプレス
- 発行間隔:隔月刊
- 発売日:奇数月末日
- サイズ:A4
“SURF CULTURE”にフォーカスした世界で一番評価されているサーフィン雑誌『THE SURFER’S JOURNAL』の日本語版
『THE SURFER’S JOURNAL JAPANESE EDITION』は、米サーファーズ・ジャーナル社発行の隔月誌『THE SURFER’S JOURNAL』のフランス語に続く新しい外国語バージョンです。本物の“SURF CULTURE”を日本のサーフィン愛好家たちに向けて発信します。『THE SURFER’S JOURNAL』同様、美しい印刷で紹介される素晴らしい写真は読者を虜にすること間違いないでしょう。
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