―赤星選手引退のニュースに驚きました。ご存知でしたか。
いえ、私もあの引退会見まで知りませんでした。ダメージの大きな怪我であることは認識していましたが。阪神を支える大きな選手でしたから、残念です。メディアに対しても紳士的な人でしたし。
―そんなタイガースの雑誌といえば「月刊タイガース」ですが、これは東洋紙業さんで製作されているんですね。
そうです。私も東洋紙業の社員です。1978年の創刊からずっと弊社で印刷を請け負ってたものです。最初、製作は外注で行っておりました。社内で編集から製作まで 行うようになったのは1998年からです。私はそこからこの編集にかかわり始めました。
当時のタイガースは弱い時代でしたが(笑)、新庄というスタープレイヤーがいてくれたおかげで、ネタにはあまり不自由しませんでした。
―寺崎さんの所属は御社のどういう部署になるのですか。
PS部(プランニング・サービス)という部署です。弊社は印刷会社ですから、企業の広報誌やポスター、広告物の製作などもいたします。そのなかでも、私は比較的文章やコピーが書けるということで、この仕事に抜擢されたようです。
よく言われるのですが、阪神タイガースべったり、といったキャラではありませんし、スポーツ命、といったわけでもありません。むしろ私は学生時代はサッカーをやっていて、そんなにタイガースに興味はありませんでした(笑)。
この雑誌は、タイガースとの編集会議から始まって、私どもの会社で取材、編集、デザインから発送まで行っております。部数はタイガースの勢いによって増減があります。チームが強いときはやはり売れますが、弱いと厳しいですね。
書店や関西圏の駅売店のみならず、阪神百貨店や京王百貨店にあるタイガースショップでも 販売しています。
―球団からの要請はどのくらいあるのですか。
毎月1回、球団に行って編集会議をします。そのときに次の号の方針を決めるのですが、そんなに細かく言われることはないです。
それよりも難しいのは、登場してもらう選手のセレクトですね。やはり成績のいい旬の選手が次の月の表紙に登場する、というのが理想ですが、そのとき調子がよくても次月はダメなんてことがよくあるんです。そうすると表紙にインパクトが出ない。
―選手の写真やインタビューは球団提供ですか。
球団と契約しているカメラマンと相談して撮影を行います。雑誌の場合、特にカラーページは写真が重要ですよね。ですから写真のシチュエーションやセレクトにはかなり気を遣っています。
巻頭の選手インタビューは基本的に私が行っています。編集部のスタッフも取材をして記事を書きます。外部のライターに手伝ってもらうものもあります。
でも、人気球団だけに選手の取材調整はなかなか難しいですね。大きな穴をあけた記憶はありませんが、取材前の変更などはしょっちゅうありますね。
―とくにシーズン後半になると大変そうです。

2003年のリーグ優勝時の
臨時増刊

2005年のリーグ優勝時の
臨時増刊は金の表紙だ
はい。とくにクライマックスシリーズを導入してから9月、10月は予定が立ちにくく、編集サイドでもいくつかの構成案を用意して臨機応変に対応するようにしています。
でも一番大変だったのはやはり2003年のリーグ優勝のときでした。18年ぶりの優勝ということもあって、球団側もばたついていましたし、私たちも何せ、初めてなものですから(笑)。2005年のリーグ優勝のときは幾分慣れた部分もありますけれど、それでも大変でしたね。
―優勝時は特別記念号ですよね。

創刊30周年記念号には、
創刊号の復刻版を入れて大好評だった
そうです。通常の仕事に加えて、こちらの仕事量は増えますね。でも、これは売れますし、つくる側もうれしい作業です。
昨年は3月号が創刊30周年記念だったので、このときは特別付録として創刊号の縮刷版を付録でつけてみたりしました。好評でしたよ。
―雑誌の内容としては、やはり選手のプライベートに迫るような記事がいいんでしょうか。
そうですね。普段の報道などでは見えてこない選手のプライベートな部分を皆さん読みたがります。ですから、この雑誌は、球団の広報誌というよりは阪神タイガースのファン雑誌ですね。
選手同士の対談なども人気がありますし、選手の私服姿なども読者ニーズは高いといえます。プライバシーの問題で、どこまでやれるかが難しいところでもありますが。
昔は表紙になる選手に「表紙なんで髭は剃りませんか?」とか言える雰囲気もあったのですが、いまたとえば下柳選手に「髭を剃っては・・・」とは絶対言えないでしょう(笑)。
とにかく取り上げる選手の見極め、写真のクオリティを高めることが大切だと思います。企画内容の充実はもちろんですが、表紙などの写真に関してはその写真で選手の内面を語れるような、そんな画(え)をつくりたいです。
―新庄以降、本当に個性的な選手といわれると、あまりピンときません。
昔は確かに個性的な選手が多かったと、そんな話はたくさん聞きますね。特に阪神タイガースは良くも悪くも個性的だった(笑)。
いまはタイガースがジャイアンツ化してきたなんて言われるように、ローカルチームではなく、みな全国区になった印象です。時代の流れ上仕方ないのかもしれませんが、それがつまらない、という人もいますね。
私はもともとタイガースファンというよりアンチ巨人だったんです。周りのみんなが好きだというものは敬遠するという傾向があって。要するにひねくれものです(笑)。
―タイガースファンにはそんな人が多いと思います。でも、神宮球場でヤクルト戦を観たりしてもタイガースの応援のほうがすごい。アウェイなのに(笑)。

富士山マガジンサービスにも、虎ファンのコレクターが
相手チームのホーム球場での、あのテンションには「ちょっとどうなのかな」という声もあります。でも、大きな力に抵抗したいと思っている人がタイガースに自分を重ねていると見れば、ファンの気持ちも分かるし選手も心強いと思います。もちろんマナーは守って欲しいですけど(笑)。
―読者の声はどのくらい反映されますか。
ファンのための雑誌ですから、読者サービスはしっかりやっています。読者による選手インタビューなどはその一例ですし、プレゼントもけっこう充実していると思います。定価400円という値段のわりにはサービスは充実していると思います。
雑誌を定期購読してくださる方が増えると有難いです。そうすれば部数が安定しますので、もっと読者に還元できるサービスが増えると思います。
―編集部の構成とか仕事の様子を教えてください。

パーティションで仕切られた編集部風景

編集長のデスクはこのように・・・
編集部には私を入れて4人おりまして、うち1人が女性です。独立した部署というよりはパーティションで仕切られた小部屋といった感じです。ただ、他部署とはやはり仕事内容も雰囲気も違うと思います。
普段はだいたい10時ころ出社して、シーズン中などはナイター終了後に帰宅するといった感じでしょうか。直接甲子園に行ってそのまま帰る日もありますし、試合のある日はとにかくバラバラです。
仕事のスタイルも、シーズン中とオフの時期とでは違いますからね。オフは選手が捕まえにくくなって、ネタつくりに苦労したりもします。
―雑誌のwebサイトも編集部でつくっているのですか。
ええ、これは社内のwebデザイナーにつくってもらっています。われわれはネタを渡して指示を出します。携帯サイトもあって、これは若い人やパソコンを持っていない人に利用してもらっています。
そうそう、読者は阪神ファンが中心の老若男女がターゲットですが、およそ半数は女性なんですよ(笑)。
―球場にも女性は多いですものね。
そうです。ですから「野球の危機」だとか「終わっている」なんて言われることが あっても、私はそうは思わないんです。神宮球場の話じゃないですが、街のど真ん中であれだけ人を集められるイベントがどれだけあるか、と。生活スタイルが多様化した割には少年野球の人気も根強いし。だから、まだまだ野球には可能性があると思いますし、野球界側、マスコミの持って行きようでは、もっと発展するものだと思っているんです。
―2010年は寅年です。抱負を聞かせてください。
やっぱりしんどいけど優勝記念号をつくりたいですね。つくらせてください(笑)。
2003年、リーグ優勝のビールかけを取材して、深夜に最後の写真を入稿して自宅への帰り道、未明のビール臭いタクシーのなかで感じた安堵感、充実感は、今までに味わったことの無いものでした。
あれをまたやりたいですね、今度は日本一で。寅年はタイガースということで、みなさん、応援よろしくお願いします!
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1.週刊モーニング(講談社)
昔からの習慣で買ってます。
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2.ナンバー(文藝春秋)
スポーツという同じジャンルを扱っていますし、深い内容が参考になります。
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3.Pen(阪急コミュニケーションズ)
特集によって買いますね。
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4.Quick Japan(太田出版)
これも特集次第で買って読みますね。
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5.Meets Regional(京阪神エルマガジン)
関西ですが、ついシズル感にそそられます。
(2009年12月)
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- 小学校のとき、江夏豊投手が私の「神」でした。家が近いこともあり、よく甲子園に通ってはその勇姿を拝んでいたものです。剛球に巨人ONのバットが空をきり、四番遠井がホームラン・・・でも永遠の2位(涙)。いま思えば、大阪万博に向かう「坂の上の雲」にも似た時代で「三丁目の夕日」に描かれそうなシアワセな世界でもありました。
タイガースが何を勘違いしたか優勝をした85年当時、私はパリに住んでいました。言葉も分からず貧乏で寂しい思いをしたので、そのときばかりは道頓堀代わりにセーヌに飛び込んでやろうかと思うくらい騒いだのを覚えています。いまでも年に1、2回は神宮球場でタイガースの試合を観ます。もはや往年の超個性的なチームではありませんが、若い女性ファンも多く、試合に集う一体感みたいなものが前にも増して感じられてなりません。
寺崎さんは、「自分は熱狂的なトラファンではない」と言いながらも、「ローカルな魅力が消えて全国区になってもタイガース魂みたいなものは消えず、それが魅力でしょうかね」とうれしそうです。愚問とは知りつつ、「寺崎さんが考えるタイガース夢の打順とは」と聞いてみました。寺崎さんは笑っていましたが、やはり「そんな畏れ多いこと言えませんわ」と断わられてしまいました。彼にとってタイガースはいまも「神」なのかもしれません。
インタビュアー:小西克博
大学卒業後に渡欧し編集と広告を学ぶ。共同通信社を経て中央公論社で「GQ」日本版の創刊に参画。 「リクウ」、「カイラス」創刊編集長などを歴任し、富士山マガジンサービス顧問・編集長。著書に「遊覧の極地」など。
