考える人の編集長インタビュー

編集長プロフィール

新潮社
「考える人」編集長 松家仁之さん

まついえまさし 1958年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、1982年新潮社入社。
「小説新潮」「SINRA」編集部を経て、出版部へ。1998年翻訳書シリーズ「新潮クレスト・ブックス」を企画、創刊。2002年季刊誌「考える人」を創刊。2006年から「芸術新潮」編集長を兼任。2009年より慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授を兼務。

編集長写真

第25回 考える人 編集長 松家仁之さん

激動の時代だからこそ「シンプルな暮らし、自分の頭で考える力」が大切なんです

―「考える人」「芸術新潮」2誌の編集長をされていますが、今回は「考える人」をメインに聞かせてください。「考える人」もついにweb特集(2009年秋号)かと、やや複雑な思いでいます。どういう立ち位置でつくられましたか。

編集長の机。音楽が欠かせないのでipodは必需品です
編集長の机。音楽が欠かせないのでipodは必需品です

特集「活字から、ウェブへの・・・・・・。」ですね。
いま出版の世界では、このままではwebに席捲されて、紙に軸足を置いた仕事ができなくなるのではといった側面ばかりが語られているような気がして、そこをもう一度しっかり考えておこうということなんです。
個人的には紙に印刷された本はなくならないと考えています。
グーテンベルクが印刷を発明してから約550年がたつわけで、紙に印刷されたメディアというものは、すでにわれわれに身体化されています。つまりわれわれの無意識のなかにも深く入り込んでいるわけで、この部分、この魅力をきちんと振り返りつつ、電子メディアとどうつきあうか、ということを考えなければと。
紙はもう終わり、これからは電子メディアだ、というふうには思いません。当面は両輪なのでしょう。特集の「・・・・・・。」の部分で言いたかったのは、現状に警鐘を鳴らすことでもなく、また紙メディアをすべて過去の遺物として後ろ向きに見るのではなく、それらの「あわい」のなかで魅力を探ろうと思ったんです。

―電子メディアの世界から出てきた人たちの声も多く取り上げられています。

実際、PCや携帯でじっくり腰を据えて本を読むという人がどれだけいるんだろうと気になっていましたが、やはりまだ読む電子端末が開発途上のためか、ネットの世界の人たちでもなかなか電子端末でじっくり本を読むというには至っていないようです。
ネットの世界は検索など即時性の素晴らしさは価値があるけれど、身体化された紙の書物の持つ領域に至るまでにはまだ時間がかかるのでしょうね。

―紙で育った人はデジタルを「あちら側」といい、デジタルから来た人はその逆をいう。対立するのではなく、まさに「あわい」を楽しむことが「いま」的な捕らえ方だと思います。でも、本当にそんなに悠長に構えていられるのでしょうか(笑)。

「芸術新潮」副編集長と特集を打ち合わせる
「芸術新潮」副編集長と特集を打ち合わせる

そこは問題ですね。私のように50歳を過ぎた人間がどれだけそのスピードに対応していけるのか。やはりもっと若い人たちに多くのチャンスがなければならないですね。
雑誌協会の動きをみていても私などでも驚くほど悠長です。でも、この世界に入ってくる若い人たちは本当に優秀なんですよ。やはり出版や編集という世界にはまだまだ多くの魅力と可能性が秘められているはずです。

―SFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンバス)でも講義をされていますが、学生たちの出版や編集への興味はいかがですか。

縁あってこの春から週に一日だけ講義をしています。みんな熱心で、積極的です。だから紙による出版がもう終わりということではまったくないと思う(笑)。
実は、webマガジンを学生と一緒につくれないかと思ってやり始めた部分も大なんです。この秋(09年)からは「知識産業マネジメント」「インタビュー法」「webマガジン研究会」の3コマを担当しています。とにかくみんな勉強熱心なので、こちらも準備が大変ですが、若い読者でもある学生とのやりとりのなかにこそ次のヒントがあるはずと思っています。
学生たちはwebをものを調べたりする道具として上手に使い、長編小説などは紙で読むといった具合に使い分けていますね。
私は正直に出版業界の問題点を話していますし、可能性も同時に伝えているつもりです。
おもしろいのはやはりいまこの業界が激動の渦中にあって大変ではあるけれど、だからこそかえって新しいことに挑戦できるということだと思います。

―松家さん自身、編集者になった理由は何ですか。

私は、学生時代に文藝春秋でバイトしていて、そのときの影響が大きいですね。
季刊誌の「くりま」編集部だったのですが、自由な雰囲気のなかで雑誌が少しずつ出来上がっていくことに面白さを感じました。編集の人たちもみんな知的好奇心が旺盛で個性的でインテリでした。
そこで編集者になろうと思い、好きだった翻訳書をちゃんとつくれるところを探しました。晶文社が第一志望でしたが、電話したら採用してないといわれ(笑)、新潮社に来ました。
会社の説明会だと思ってきたらもう面接なんです。その年は実験的に試験なしで面接だけで3人とったらしい。そのうちのひとりが私。あとで形式的にペーパー試験を受けましたが点数では落ちていたそうです(笑)。

―ばらしちゃいましたね(笑)。では「考える人」を創刊された経緯を教えてください。

ワーズワースを意識した創刊号の表紙
ワーズワースを意識した創刊号の表紙

私は8年前に出版部の第2編集部の編集長になりました。学芸書、翻訳書、選書全般を扱う部署でした。
でも学芸系の著者をメインにすえる媒体が弊社にはない。そんな必要性があったのと、「考えることと暮らすことは表裏一体であるべき」という自分の長年の思いが重なって、それではそんな雑誌がつくれないものかと。
かつて産業革命後のイギリスで、急速な都市化が進むなか、詩人のワーズワースは「plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」の必要性を説きました。
われわれの暮らしもその産業革命の延長線上に成り立っています。いまもう一度ワーズワースの言葉を頼りに溢れる情報のなかで自分の頭で考える力を問い、溢れるモノのなかでのシンプルな暮らしを考えてみたいということなんです。

―広告が厳しいなか採算とるのが難しいですよね。

ええ。だいたい、老若男女に読んでもらいたい、ターゲットも性別もない、おまけに季刊となると広告は難しいですよね(笑)。
実はありがたいことに創刊からずっとユニクロさんが単独スポンサーという形でやってくれています。ユニクロという会社は、世の中の旧来からある仕組みを壊して新しいものにするということを、社会との関わりも含めて考えている。これは「考える人」がトータルに考えていきたいことと重なるんです。ユニクロの社長にならわれわれのコンセプトも理解してもらえるはず、と思って私は柳井社長に手紙を書きました。
忙しい方でしょうからだらだら説明してもしょうがないだろうと思って、ワーズワースの「plain living, high thinking」を雑誌のテーマとして説明し、単独スポンサーになっていただけませんか、とA4の紙1枚に自分の思いを綴って郵送しました。すぐに担当の方から連絡が来て興味があると。うれしかったですね、急いで飛んでいきました(笑)。
契約は1年ごとの更新です。内容については口を出さない。広告も担当と相談しながらオリジナルをつくる。ということで合意し、いまに至っています。
その関係もあってことしはユニクロ関連の本も2冊出しました。一冊は柳井さんの「成功は一日で捨て去れ」、もう一冊は「ユニクロ思考術」で、これは「考える人」のオリジナル広告をまとめたものです。

―松家さんは「芸術新潮」に席がありますが、「考える人」編集部はどこにあるんですか。

各編集部に散らばった編集者が集う特設編集部
各編集部に散らばった編集者が集う特設編集部

ありません(笑)。創刊メンバーが集まれるときにあつまる作業用のデスクがあるだけです。
当初8人の出版部の編集者で始めて、いまはみな各編集部に散らばっていますが、基本的にはいまもそのスタッフでつくっています。みな自分の本をつくりながら、3ヶ月に一度は集まってこれを出すといった感じです。企画なんか食堂で食事しながら話し合ったり(笑)。
入稿から校了まで長々とやっています。もちらん最終チェックは私がしますが、まあ、季刊ですからこんなスタイルもいいのかなと思っています。

―ユニークな著者も多いです。なかでも茂木健一郎さんは大ブレークしました。

茂木さんには小林秀雄賞を受賞していただいたおかげで、一気に読者が増えました。養老孟司さん、福岡伸一さんといったいわゆる理科系の方がよく登場されるのも特徴です。
理科系の人たちは時に考えるベースの地平をひっくり返してくれます。同時にすぐれた理科系の人たちは多分に文学的な素養があるんですね。理科と文科はもともと根っこがつながっているような気がします。
読者も特集によって大きく変わるんです。須賀敦子さんや堀江敏幸さんをとりあげた号は6対4で女性読者が多かったですし、海外の長編小説や日本の科学者をとりあげたらその逆の比でした。
世代的には男性が40~50歳代、女性が30~40歳代が中心です。女性のほうが成熟が早いのかな(笑)。

―普段は「芸術新潮」にいるわけですよね。

「芸術新潮」編集部に普段はいます
「芸術新潮」編集部に普段はいます

そうです。もうまる4年目です。突然お前やれと言われて。もっと働け、ということだったのか(笑)。
私はそれまで「芸術新潮」の経験がなかったので不安でしたが、芸術に詳しくないものが入ることで一般的な読者の目線のものができるのかもしれません。幸い編集部はつわもの揃いなので私はいろいろ教えてもらいながらつくっているような感じです。
月刊ですので、月に一度会議をしますが、そのときに各編集者からあがってくる企画を皆で話し合いながらゴーを出すというスタイルです。展覧会との相乗効果を狙った企画も多いですね。
創刊60周年を迎える2010年の新年号は「わたしが選ぶ日本遺産」という大特集をやります。
いまから編集部をあげて取り組んでいますから、ぜひこちらもご覧になってください。

編集長の愛読誌

  • 1.Ku:nel(マガジンハウス)

    岡戸絹枝編集長の呼吸や手つきがすみずみまでゆきわたっていることに敬服。

  • 2.Coralway(JTA)

    沖縄への愛情に満ちあふれたかわいい機内誌。

  • 3.Arune(IO GRAPHIC,INC)

    大橋歩さんの個人誌。休刊しても、バックナンバーを読み返します。

  • 4.POPEYE(マガジンハウス)

    長寿といっていい雑誌の、年々更新していく新しい力に脱帽。

  • 5.住む。(泰文館)

    木の匂い、土の匂いが漂ってくる。連載執筆陣も充実しています。

(2009年10月)

取材後記
松家さんと私は年も同じだし、同じタイプの古い出版社で伝統的な雑誌を経験した仲間でもあります。
そして、仕事のクオリティの高さ、いやそれ以上にセンスの良さについては、誰もが認めるところです。
「芸術新潮」という難しい雑誌を引き受けられたのも、松家さんがやれば・・・といった社内外の期待値がすごく高かったからでしょう。
そんな彼の仕事のなかでも私は「シンラ」につながった「マザー・ネイチャーズ」という雑誌が大好きでした。ちょうど、地球の辺境に遊ぶことに時代の最先端を感じていた私は、同じアウトドア系でも、泥臭くないクールな旅と文学の世界をやりたいと思っていて、具体的には表4にアルマーニの広告が入るような尖がった自然派マガジンを考えていました。それが、「マザー・ネイチャーズ」を松家さんから見せつけられて、まいったな、先にやられちゃったなと思ったことを思い出しました。
20年近くも昔のことなので、いま思えば世の中がまだバブルの世界を引きずっていた気がしないではありませんが、あの自然をベースにした豊かな世界がいまの「考える人」にもつながっている気がします。
そういえば、以前、大貫妙子さんと飲んだとき、そのころのガラパゴス取材の話がでました。もちろん雑誌の話も、松家さんの奮闘ぶりも。
「私にはたまたま回りにいい人がいてくれたおかげですよ」と彼はあくまで謙虚ですが、
いい人を集める磁力こそ編集者の魅力に他なりませんよ。

インタビュアー:小西克博

大学卒業後に渡欧し編集と広告を学ぶ。共同通信社を経て中央公論社で「GQ」日本版の創刊に参画。 「リクウ」、「カイラス」創刊編集長などを歴任し、富士山マガジンサービス顧問・編集長。著書に「遊覧の極地」など。

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