ダ・ヴィンチの編集長インタビュー

編集長プロフィール

メディアファクトリー
「ダ・ヴィンチ」編集長 横里隆さん

よこさとたかし 1965年愛知県まれ。ダ・ヴィンチ編集長。信州大学卒業後88年(株)リクルートに入社。93年より書籍情報誌準備室(現ダ・ヴィンチ編集部)に所属。その後『ダ・ヴィンチ』が(株)メディアファクトリーへ移管されるのにともない転籍。現在に至るまで、本とコミックの情報誌『ダ・ヴィンチ』の編集に携わる。

編集長写真

第27回 ダ・ヴィンチ 編集長 横里隆さん

本の周辺にいるライトな読者に対して幅広い企画をぶつけていきます

―Fujisan.co.jp でさまざまな雑誌を定期購読されていると聞きました。

エンタメ系の雑誌がいたるところに
エンタメ系の雑誌がいたるところに

ええ。雑誌は仕事柄いろいろ読みます。
書店でも買い求めますが、専門誌はネット書店で買うことが多いんです。富士山マガジンサービスさんを利用させてもらっています。
「特選街」「月刊ホビージャパン」「AVレビュー」「ゲットナビ」などは定期購読をしています。雑誌は個人的にも好きなので、月に20誌くらいはちゃんと読んでいると思います。パラパラながめる程度ならもっと多いです。
ネット書店の強みって、目的買いですよね。どんな雑誌がいいかタイトルが分かっていればすぐに検索して買える。一方リアルの書店さんでは、ゆっくりいろいろながめながら本を探す。そんな使い分けをしています。

webも制作する広い編集部
webも制作する広い編集部
校閲室も併設されている
校閲室も併設されている

―「ダ・ヴィンチ」って毎回濃厚な内容と膨大な情報量だと思いますが、何人で編集されているのですか。

編集者は8人程度です。それに広告担当と進行担当が入りますので、15人くらいのチームでつくっている感じです。雑誌をつくり、webをつくり、怪談専門誌「幽」をつくり、書籍をつくります。書籍は年間で50冊以上つくっています。

―大変ですね。

ええ、もうほとんどプライベートはありませんね。朝の10時ごろから働いて、夜はほとんど酒を飲んでいますが、たいてい仕事がらみですので、深夜まで。そんな感じ。
それに時間があけば本を読まねばなりません。昔は飲んでからまた編集部に戻ってきて仕事をしていたのですが、近ごろは年のせいかちょっと苦しくなりました(笑)。創刊時からずっとこんな感じですので息を抜く時間がないような・・・。

―でも、創刊時は、よくリクルートが本の雑誌など出したなと思いました。

なんでそんな儲からないものを、とは言われました(笑)。でも、これは社内事業提案制度のなかから生まれてきたアイディアで、経営者から降ってきたものではなかったんですね。
結婚情報誌の「ゼクシィ」などもそうでしたね。リクルートとしては情報を加工して製品化するのが得意でしたから、その方法論を本の情報誌に置き換えればいけると思っていたんです。
ところが、やってみたら、いろいろ難しいことがわかってきました。最初は広告でペイできるように考えていたのですが、出版社から広告をもらおうと回ってみたら各社とも新聞と自社媒体以外にはめったに広告を出さないことが分かりました。
そこで急遽、広告モデルから販売モデルに変えたんです。広告の集合体的な「本の情報誌」ではダメなので、本を扱うんだけれど一般誌の体裁をとる、と。

―それで芸能人が表紙になった。

表紙を決めるのも編集長の重要な役目だ
表紙を決めるのも編集長の重要な役目だ

そう、本木雅弘さんらに表紙に出てもらったんです。本を扱った雑誌では「本の雑誌」が成功していましたが、これは椎名誠さんや目黒孝二さんといった個性的な目利きがいらしたからで、われわれには真似できない。
だからわれわれがやったのは、世の中一般に話題になっていることを特集して読者の間口を広げ、入ってきてくれた人たちを本のほうに誘導するという、女衒のような方法(笑)。
でも、お蔭様で、何とか世間の認知を勝ち取ることができ、8年かかりましたが収支を黒字にできるようになりました。企画力で勝負するんだ、とずっと意気込んでやってきましたから。

―横里さんはリクルート本社に入社されたんですか。

はい。最初は総務部で5年半働きました。でも編集希望でしたので、異動希望を出していたら、ちょうど「ダ・ヴィンチ」創刊のタイミングとあったんですね。
で、運良く異動できたのはいいんですが、なにしろ編集経験ゼロでしたから、苦労しました。

―当時は長薗編集長ですね。

そうです。異動してすぐ長薗編集長から「お前、辞表書け」と言われました(笑)。

―何をやらかしたんですか?

何もやらかさないんです。編集知りませんし、できませんから何も。
僕は、てっきり先輩が教育係をつけてくれて、手取り足取り教えてくれるものだと甘えた考えをしてたんですね。「ばかやろう、編集なんて自分から学ぶものだ」と編集長は言いたかったんでしょう。カルチャーショックでした。
でもやりたかったことなので何とかついていこうと頑張りましたが、編集会議はきつかったです。「特集企画を300本考えて来い」と言われて、必死で考えたんですが、60本くらいしか出せず、ストレスから耳鳴り、めまいなどのメニエール病になったくらいです。

―1000本ノック(笑)

いやぁ、大変でした。でも鍛えられました。お蔭で雑誌は生き残ってますし、評価もいただいています。
僕がいま属しているのはメディアファクトリーになっていますが、ここはもともとリクルート出版だった会社です。現在は200人くらいの所帯で、音楽やゲームや映像を扱っています。
雑誌も音楽は「ザッピィ」ゲームは「じゅげむ」とあったのですが、残念ながら両誌とも休刊してしまいました。

―読者はどんな人が多いのですか。

読者層を年齢グラフで書くとピークがないんです。年配の方から若い方まで、なだらかに推移しています。
平均年齢をとると29歳くらいで、男女比も五分五分に近い感じ。葉書のアンケートですと7:3で女性ですけどね。だいたい下は中学生から上は40代くらいの本好きな人全部が読者だと思っています。
本好きの人って若い人もお年寄りも、ある程度同じ本を楽しめるんです。ですから作り手もあんまりジェネレーション・ギャップを意識しなくていいんです。

―読者の声は聞きますか。いわゆるCGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア。読者の投稿などで生成する媒体)的なものをどうお考えですか。

漫☆画太郎さんの描く強力な京極夏彦像
漫☆画太郎さんの描く強力な京極夏彦像

アンケートなど、参考にすることは多いですが、読者から寄せられた企画をそのまま使うことはほとんどないですね。
本というのは読むのに時間がかかるメディアですし、個人の生理が色濃く出るものなので、マスになりにくいんです。
CGM的なことで言えば、以前niftyに会議室を設けてみましたが、どうしてもネットワークが閉じていく傾向にあるんです。話題が個人的なものになって小さなっていく。ですから、そこに頼って何かを仕掛けても、マスではないので読者を限定してしまうんですね。
本好きのマーケットって、たぶん核の部分には非常にマニアックな世界があって、それは強い磁力にはなっているけど、そこに向けて雑誌をつくってもあまり売れないでしょう。そもそもコアな本好きは自分が何を読めばいいかとっくに分かっていますから、本の情報誌なんて必要としていません。
ですから、われわれの戦略は、その周辺にいるライトな読者なんです。広い層に向けていろんなチャレンジをしていこうと。

―なるほど。では、いま編集会議はどんな感じなんですか。

最初は気になるテーマのキーワード出しをかなりやりましたが、いまは昔とはちょっと変わってきています。
発売日の3ヶ月以上前に特集会議をやって向こう2ヶ月分を決めます。4月6日売りの号だと1月の会議で決まったものを2月に取材するといった具合です。営業も参加する会議でひとり2~30本は企画を持ち寄ります。
僕が今44歳で、一番若い編集者が24歳。同じテーブルで企画を議論検討します。僕が一応リードしますが、基本は自由に話をさせます。僕が出した企画を若いスタッフが痛烈に却下することもしばしば(笑)。

―ダ・ヴィンチ文学賞について少し教えてください。

第4回ダ・ヴィンチ文学大賞も書籍化
第4回ダ・ヴィンチ文学大賞も書籍化

今年で5回目ですが、クオリティは上がってきています。編集部が選んだものを読者から選んだ100人の審査員に読んでもらって、それから編集部で再度選考会議をします。選考委員に作家さんはいません。
作風は、あえていえば河出書房新社の文藝賞に近いかもしれません。最近の新人発掘型の文学賞におしなべて言えることですが、文学なんだけどエンターテインメントの要素もある、という作品が中心になりますね。
アイデア(原案)を募集する「ゼロワングランプリ」も、大賞受賞作品は小説化、別の入選作品はドラマ化と動いています。またオープン形式で、どこの出版社、会社が作品化(小説化、マンガ化、映画化、ドラマ化、ゲーム化など)してもいいようにしています。

―デジタル・メディアとの親和性は高いように見えますが。

ええ、でもwebも少ない人数でつくってますので、あまり大々的なことはできませんし、携帯の対応も遅れていると思います。
デジタルの世界にもいろいろトライしましたが、ダ・ヴィンチと永続的にタックを組んで新しい試みに挑戦しようという相手がいなかったというのが正直なところかもしれません。

―いま、仕事以外で打ち込まれているものはあるのですか。

山岸さんの人気連載は、幅広い層に支持されている
山岸さんの人気連載は、幅広い層に支持されている

実はバレエ、クラシック・バレエです(笑)。
きっかけは、山岸凉子さんにバレエマンガを連載してもらってからなんです。「テレプシコーラ」ですが、すごく人気の高い連載です。山岸さんといろいろ話すうち自分もやらないわけにはいかなくなり・・・それで、レッスンを始めたのですが、女性のなかに入ってぴちぴちもっこりのタイツをはいて・・・たぶん周りにはゲイだと思われているんじゃないかな(笑)。
この歳で無理するからひざを痛めてしまって・・・これってわが身を知れですよね(笑)

編集長の愛読誌

  • 1.KURA(まちなみカントリープレス)

    信州の情報誌ですが、カルチャー誌としてのクオリティも高く、素晴らしい雑誌です

  • 2. 特選街(マキノ出版)

    広告に左右されないシビアな選評が信頼できます。

  • 3. 月刊ホビージャパン(Hobby Japan)

    プラモからフィギュアまで、夢が広がりますね。

  • 4.大人の科学(学研)

    「科学」「学習」で育った大人が楽しめる雑誌です。

  • 5.モーニング2(講談社)

    意外な連載がとても面白かったりするんですよ。
    すごいなぁと感心しますね。

(2010年2月)

取材後記
「ダ・ヴィンチ」の創刊編集長を務めた長薗安浩さんから、当時の苦労話を聞いたことがあります。創刊前に彼は過労で倒れ、病院のベッドから指示を出しながら雑誌を完成させていったという武勇伝でした。確かに雑誌の創刊、それも大きな創刊となると、1日が24時間しかないことがうらめしく思えるほどに大変です。
これでおしまいというような作業がない上に、協力してくれる著者や取材先、デザイナーらのクリエーターとのやりとり、スポンサーとの折衝、書店対応、メディア対応、キャンペーン、それに意外と気をつかう社内調整・・・考えただけでも恐ろしい。それでも、編集者は雑誌を創刊しようとする。なぜか、と言われても、それがレゾン・デートルであるかのように。単に会社の命令で片付くものではなく、そこに編集者の業のようなものを感じるのです。
横里さんは、何も知らない状態でそんな加熱した現場にいきなり投げ込まれ、編集長から「辞表を書け」としかられながら、自分の編集の世界をつくりあげていった人です。飄々とされていますが、人に言えない苦労もたくさんあったことだと思います。自分でつくりあげていった世界が形になり、世に出て評価にさらされる。仮に高い評価を得ても、儲からないと潰される。なんで好んでそんな割に合わないことを・・・と思う人も多いはずです。でも、彼もまた編集者の業のようなものに突き動かされたひとりなのでしょう。
アラーキーこと荒木経惟さんが巻頭でタレントさんを撮っておられます。撮影場所のルージュというバーは新宿にある荒木さんのいわば夜の事務所。話しているうち、横里さんも私も酔っ払って荒木さんとディープキスした(笑)仲間だということがわかりました。

インタビュアー:小西克博

大学卒業後に渡欧し編集と広告を学ぶ。共同通信社を経て中央公論社で「GQ」日本版の創刊に参画。 「リクウ」、「カイラス」創刊編集長などを歴任し、富士山マガジンサービス顧問・編集長。著書に「遊覧の極地」など。

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