fooga(フーガ) 発売日・バックナンバー

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かめのようなくま
あおいくまさん、窓際からの挑戦

会社のお荷物扱いされ、窓際を転々としていた「あおいくまさん」こと鈴木武は、50歳を超えてから一念奮起して、まだ誰も成し遂げていなかった大企業のゴミゼロ化に挑戦し、見事、夢を達成する。
「やればできる!」
環境問題に直面するわれわれ現代人に大きな勇気を与えてくれる一大特集記事です。
日本再興の大波を起こす
経営思想家 田口佳史、乾坤一擲の大仕事

フーガ 2009年秋号

タイのバンコクで映画の撮影をしていた時、田口佳史は猛り狂った水牛に襲われ、瀕死の重傷を負った。25歳の時だった。
九死に一生をえて帰国した後、田口は老荘思想を命がけで学び、やがてそれを生かして経営指導や人材育成に携わる。
国内有数の精神的指導者として地歩を築いた今、田口が取り組んでいるものは、祖国・日本を再生させること。
教育と政治の再生を通し、日本を変えていこうという田口佳史の生き方に迫る。
付録「『日本よい国構想』は国家百年の計 理念なき国家からの脱却」

●企画・構成・取材・デザイン・文/高久 多美男
●写真/渡辺 幸宏
衣食住足り、宗教紛争などあらゆる戦禍がなく、自分の将来をほぼ自分で決められる現代の日本。 客観的に見れば、これほど幸せな国はないだろう。
しかしながら、それでも国民の大半は自分を幸せだとは思っていない。テレビのニュースや新聞記事の大半はネガティブな情報で埋められ、国全体を閉塞感が覆っているかのようだ。そして、自ら命を絶つ人が毎年三万人以上もいる。
これは、かなりおかしい。どうもっともらしい理由をつけても、国や会社や家族のため懸命に働いてくれた先人たちや、現にさまざまな困難に直面している発展途上国の人たちを説得することなど不可能だ。「甘えるのもいい加減にしろ!」と一喝されるのがオチだろう。

そこでこの人の登場である。
兼元謙任、四十二歳。いわゆるIT企業の社長である。
兼元氏の歩んできた道のりを知れば、ほとんどの人は、衝撃を受けるはずだ。「幸せは身の周りにいっぱいある。今までそれに気づかなかっただけだ」「自分が運が悪い、不幸だと思っていたが、実は勘違いだった」と。
事実、兼元氏の著書を読み、実際に会って話を聞けば、多くのことを学ぶことができる。そうか、こういう風に考えれば、物事はこういう風に変わるのか、と。目から鱗の連続になるだろう。
兼元謙任の生き方は、多くの悩める日本人にとって、有用な羅針盤たりえる。肩の力を抜いて、本特集を読んでいただきたい。

●企画・構成・取材・デザイン・文/高久 多美男
●写真/森 日出夫
カリスマ模型師 芳賀一洋の創造力

 ソファに座り、足を組む男性、芳賀一洋、六十一歳。帽子をかぶり、白いシャツとジーンズの着こなしが様になっている。ステッキをついているが、足が悪いわけではない。帽子とステッキ、これは彼のスタイル。曰く「シャーロック・ホームズだって、チャップリンだって、ステッキをついているでしょう」。
 この姿はまるで映画のワンシーンのようだが、彼の職業は俳優ではない。「模型師」である。模型師という肩書きが適切かどうかはわからない。実際に彼のような職業はないのだから。造形作家とも、立体絵画作家ともいわれるが、どれもしっくりこないという。
 芳賀一洋の作る作品は「模型」の概念をくつがえす。模型とはニュース番組の情況説明などで使われる「実物の形に似せて作ったもの」を考えるのが一般的だが、それでいえば彼の作品は模型ではない。またドールハウス、ジオラマなどの言葉があるが、どうもその世界にも収まりきれない。なんといおうか、芳賀一洋は形をそっくりそのまままねて作るのでなく、心の中にある情景を再現しているのだ。ときには実物の風景よりも、見る者の心を揺り動かすだろう。たとえば、錆びたバケツ、はがれかけたトタン屋根、建て付けの悪いドア、薄汚れたカーテン。どの場所にも人の気配、息づかい、ぬくもりを感じる。見ているうちに、そこに自分がたたずんでいる。一つひとつの作品の世界に引き込まれていく。
 この小さな箱の中に込められた小宇宙は、芳賀一洋の創造力によるものだ。すべての作品はかたちも色もディテールも決まっていない。材料も作り方もそれぞれの作品ごとに考える。驚くことに詳細な図面は描かないという。精巧な作品を作るには、精確な寸法が要求されるが、その寸法は頭の中にある。
 作業を進めるにつれてその思考は深く、密に、細部にフォーカスされていくのだろう。床のキズひとつに至るまで、彼の感性が納得するまで試行錯誤は続く。そしてでき上がった作品は最初からすべて形が決まっていたかのような完成度になる。
 こんな独自の世界を創る芳賀一洋だが、模型歴は十四年ほど。それまで模型を作ったこともなかった。模型師になる前は、ウレタン屋、ラーメン屋、洋服屋と異なる職業を渡ってきた。本人にとってみれば「僕には毎朝ネクタイ締めて満員電車に揺られて会社に行く真面目さとか、勤勉さがなかっただけ」。
 以前は七店舗もの店を持ち、商品の企画から従業員の管理までこなしていた。もしそのまま順調な経営状態が続いていたら、模型を作らなかったかもしれない。
 ともかく彼は、自分が洋服屋をやめて模型で身を立てていくことになろうとは思ってもいなかったのだ。
 そう、一九九五年の、あの夏の暑い日が訪れるまでは…。

●企画・構成・取材・文/青木 和子
●デザイン・レイアウト/都竹 富美枝
●写真/渡辺 幸宏
ひとつの道を求めるとき、人はどのような表情を見せるのだろうか?
歯を食いしばって道を切り開く人もいるだろう。悲壮感を漂わせながら懸命に道を模索する人もいるだろう。十人いれば十通りの道があり、十通りの表情がある。
今回の特集には「愉」という字が頻出する。肩の力を抜いて、書の道をすすむ川又南岳さんには「愉」がよく似合う。人懐っこい笑顔で周りの人にも愉しさを伝えながら好きな書を追い続ける。

今回の主人公、川又さんの作品は、書に苦手意識を持つ人の気持ちをがらりと変えてしまう。人柄同様の親しみやすさ、愉しさが紙の上からあふれだしている。
書に対する思いは人一倍強いが、肩肘張って「書の道」を究めようと突き進んでいる、そんな風でもない。
自由に書を愉しみ、時には絵画や陶芸、詩吟といった他の芸術と肩をならべるようにして実に闊達に書と戯れる。
その活動は日本国内だけではなく、中国やドイツ、ブラジルなど海外にも及んでいる。一九九二(平成四)年には書の親元、中国に招かれ天安門にある歴史博物館で個展が開催されるほどの評価を受けた。
その一方で、既存の書道界には、川又さんの自由な活動から生まれる書を、「これは書道ではない」とする向きもあるという。
しかし、そんな声を知りながら川又さんはどこ吹く風、と書を愉しみ続ける。
「この道を行けば、一体どこに行き着くのか、わからないけどいってみよう」そんな言葉を取材中、二度三度と聞いた。
書に苦手意識を持っている方も、ぜひ一度川又さんの書の世界に触れていただきたい。その気持ちが杞憂であることに気づくだろう。

●企画・構成・取材・文/野口裕紀
●デザイン・レイアウト/人見勝彦
●写真/渡辺 幸宏
初めて善林ひろみさんの紡いだ木綿糸にさわったとき、「あたたかい」と思った。それは、手のひらの中でふんわりとやわらかく、それでいて弾力があり、軽く握った手をゆるめると、ふわっとしたふくらみを取り戻す。この瞬間、木綿糸がわたという繊維作物からできていることを実感する。またこの糸によって布ができる不思議さを思う。
 今や世の中は機械による既製品であふれ、洋服も寝具も簡単に手に入れることができる。それは便利でスピーディーで、めまぐるしく変化する流行にも素早く対応できる。手頃な価格のものもあふれているから、数多く所有することだって可能。
 でも、これっていいことなんだろうか? 
 善林さんの話を聞いて、手仕事を見ているうちに、早く、簡単に手に入ることのつまらなさを感じた。失っているものがあるように思った。それはたとえば、作り手の思い、受け手の思い、そこに刻み込まれていく日々の記憶のようなもの。簡単に捨てることのできない、ものをいとおしく思う気持ち。

 丹波木綿の委嘱作家として二十年ほど創作を続けてきた善林さんは、六年ほど前から裂織を始めた。裂織とは簡単に言うと、使い古された布地をひも状に裂き、それをよこ糸にして織り上げられたもの。たとえば善林さんがセーターの上に着ている黒のベスト。これは元は母親の花嫁衣装で、黒の留袖のような着物に金色の鶴が刺繍されていたという。その衣装は親戚の間で、婚礼の時に何人もの花嫁が着たという思い出の品で、八十年ほどの時を経て、色もあせてシミができていた。善林さんはその衣装を裂いて織り、ベストに仕立てた。
「これは裂織を始めて最初の頃に作ったものです。やっぱり思い出があるから大切に着たいって思いますよね」
 その手仕事を見ていると、時間をかけて、気持ちをこめて作る楽しさを感じる。ひとつひとつの動作に気持ちが刻み込まれていく。
 思い出の詰まったベストを着ている善林さんはとてもあたたかに見えた。本当の豊かさはお金を存分にかけることじゃなく、ゆっくり手間隙かけて生活することなのかもしれない。
 織物作家・善林ひろみの手仕事、そこに込められた思いを、すばらしい作品とともにお伝えできればと思う。

●企画・構成・取材・文/青木和子
●レイアウトデザイン/都竹富美枝
●写真/渡辺幸宏
■月刊フーガ 2009年2月号


偶然にも最近小誌の特集で紹介した二人の方から、石田節子さんという素敵な方がいると聞かされた。ちなみに、その二人同志は交流がない。
 実際に石田さんに会って「なるほど」と思った。石田さんとその二人に共通するものをたくさん感じたのである。それを的確な言葉で言い表すことはできないが、強いて言えば、その人の放つ波動というようなものであろうか。もう少し具体的な表現を用いれば、「ポジティブな波動」ということである。なにごとにも前向きで、楽観的で、屈託がない、というのも、ポジティブな波動を構成する重要な要素だろう。
 さて、石田節子さんの今までの来し方をうかがってみると、誰にでも応用可能な「成功の秘訣」がちりばめられていることに気づく。何百万人かに一人という特殊な才能などもたずとも、人はきちんと与えられた能力を発揮することができ、それによって豊かな人生をおくることができるのだということを。
 故松下幸之助は、人間の幸福とは、1.自分ならではの天分を活かし、2.それが他者の役にたち、3.その結果、自らに誇りをもてるようになった時に感じることができる、と言ったが、いみじくも石田さんは自身の来し方において、そのことを実証している。「天は自ら助くる者を助く」という名言は、まさしくそういうことを指しているのだと思う。
 では、具体的に石田さんはどのような人生を歩んできたのか…。詳しくは後のページに譲るとして、あえてここで言いたいことは、未曾有の困難な時代にあっても、必ず解決する術があるということ。自分を助けてくれるのは、会社でも国家でもなく、まぎれもなく自分である。ささやかながらもこの記事が、そのための道しるべとなるのであれば、望外の喜びである。

●企画・構成・取材・文・レイアウト/高久多美男
●写真/渡辺 幸宏
■月刊フーガ 2009年1月号
 
大空を彩る花火。夜空に大輪を描く様はなんと人を昂揚させることだろう。花火を見上げるとき、ただその美しさに魅せられ、心が弾むばかりだが、その花火を作るために花火師がどれほど命を削っているか。
「人が美を感じるものは、頭と体の限界まで、犠牲を捧げたところに生まれる」と誰かが言っていたのを思い出すが、花火師の仕事はまさに頭と体を限界まで使い果たしているように思う。
 花火師の仕事の醍醐味はなんであるか、足利の老舗、須永花火の田島浩氏を取材した。
 地上何百メートルで開き、何百メートルの大きさになり、残火がどこまで伸びるか、花火はすべて緻密な計算がされている。そしてその花火を作るのは、人だ。大輪が美しく花開くかは人間の手作業にすべてゆだねられている。
 その仕事には危険がともなう。取材中、田島さんの口から何度、「安全に」という言葉が出てきただろう。よい花火とはどういうものか、という質問にすら田島さんはまず「安全であること」をあげた。
 私は花火を見ながら危険を感じたことがない。いつも心を満たすのは、感動や喜びばかりで、そこに死の恐怖を感じたことはない。しかし考えてみれば当たり前だが、花火は火薬を爆発させているのだ。事実、花火の歴史をみると、美しい花火を作るために花火師たちは危険な火薬を作ることも厭わず、多くの命が失われてきた。
 爆発すれば人の体なんて簡単に吹っ飛んでしまう、その火薬の恐ろしさを誰よりも花火師は感じている。「火薬はきちんと扱えば危なくない」と言うが、しかしその安全性を確保できるかどうかは、人間の行う手作業のひとつひとつにかかっており、その危うさを常に田島さんは自分に、若い花火師たちに喚起している。
 緻密で危険で身心を酷使する仕事だが、「お客さんの歓声が聞こえると、これで死んでもいいって、そのプレッシャーが大きな喜びになるんです」と田島さんは言う。
 思えば大空を舞台に、一瞬にして数万人を感動させることができる芸術は花火のほかにない。ここに花火師、田島浩の仕事をお伝えしたい。

●企画・構成・取材・文/青木和子
●レイアウトデザイン/都竹富美枝
●写真/渡辺 幸宏
■月刊フーガ 2008年12月号

おかげさまをもちまして、完売致しました。

 原伸介、三十六歳。横浜生まれ、横須賀育ちの彼が信州に移り住み、炭焼きをなりわいとするようになったことは、どうしても偶然の出来事とは思えない。一つひとつの伏線だけを見れば、それらを「偶然」として片付けることもできよう。しかし、今となっては、やはりこの男は信州の山の神々に召喚されたにちがいないと確信を抱くばかりである。なぜか…。
 日本は戦後、加工貿易を国作りの根幹と定めた。原材料を輸入し、加工してから輸出するという加工貿易に合った教育、税制など、すべての体勢を整え、欧米先進諸国へのキャッチアップに勤しんできた。規格大量生産方式に適う人材と言えば、協調性があって忍耐強く、ある程度の基礎知識があることである。それ以外の個性はむしろ邪魔だった。だから、周りの人たちと同じようなことをすることが当然だと思われてきた。その結果、西ドイツとともに「奇跡の復興」と呼ばれるまでに経済的には成長したが、一方では実に多くのものを失った。それが歪みとなって社会現象のあちこちに現れるにいたり、さまざまな分野で「これではいけない」という反動が現れるようになった。その動きを象徴的に体現しているのが今回紹介する原伸介だと言ってもいい。
 なにしろ原伸介は、戦後、暗黙のうちに形成された日本人の価値観、すなわち、いい成績を修めていい大学に入り、一流企業や役所に入ることが幸せだとする価値観から大きく逸脱している。ある意味、そういった価値観からもっとも離れたことをしてきたと言っても過言ではない。
 松本郊外の山にこもり、斜陽産業の見本のような炭焼きをたった一人で続けている。赤貧洗うが如しの生活を何年も続け、ついには全国に二人といない職業スタイルを築きあげてしまった。まさしく異端児そのものである。十四年前、弱冠二十二歳にして「山に恩返しをしたい」と言って信州の山に分け入った伸介の夢を理解した大人は一人もいなかった。無理もない。それほどに彼のやろうとしていたことは、無謀だったのだ。
 彼の事例は、多くの子どもたちに大きな影響を与えるだろう。「なーんだ、一流企業に入ることだけがすべてじゃないんだ」と悟らせるには充分すぎるほど魅力的だ。彼は炭焼きをしていないオフシーズン(半年ほどの間)に五十回近くも講演をするが、彼の話を聞いた子どもたちは目を爛々と輝かせるという。「職人の素晴らしさ、現場の魅力を伝えたい」と伸介は語る。黙して語らず、が当たり前の職人の世界にあって、彼は異色である。本人は「邪道」と笑うが、「喋って書ける炭焼師」として、伝道師の役割も果たしている。もともと物作りが得意だった日本において、職人の復権は近いうちに必ずあるはずだ。その火付け役の一人は、まぎれもなく原伸介と言っていい。


●企画・構成・取材・文・レイアウト/高久多美男
●写真/渡辺 幸宏
加藤千代の染画を見ていると、不思議な感覚になる。自分の想いがすうっと浮かび上がってくるような、自分の中心が定まるような。
 ふだん時間に追われていると、自分が気持ちがどこにあるのか忘れてしまう。というか、どこかに置き去りにしていることに気がつく。何を想っているかなんて確かめなくても、日常生活は流れていくものだ。でも、作品を見ているとまるで夜空を眺めているように、心が静かになって感覚が研ぎ澄まされていく。日常の雑多な出来事も遠いところに消え失せている。
 こんな気持ちになるのは作品がすべて月に照らされた夜を舞台にしているからかもしれない。そこに、あるときは月夜にたたずむ女性、あるときは草原を駈けるキツネ、あるときは静かな調べを奏でる人が登場し、深く密やかな夜を自由に飛びまわる。
 これらの作品は加藤さんがろうけつ染めに出会うことで生まれた。白い布はろうで描かれ、染められることで少しずつ想いの色に染められていく。
 この神秘的な月夜の世界と、染画の道をひとり歩んできた加藤千代の輝く人生をお伝えしたい。

●企画・構成・取材・文/青木 和子
 レイアウトデザイン/都竹 富美枝
●写真/渡辺 幸宏
今回の主人公、上野修路さんの職業をなんと形容したらいいのだろう。ふと考えた。上野さんは茨城県潮来市で、刀剣や仏像などの金工を中心とした仕事を行っている。「ならば金工作家でいいではないか?」との答えが返ってきそうだが、ことはそう単純ではない。
上野さんは、オリジナルの刀剣を創作する金工作家ではない。中世を生きた先人たちが創りあげてきた刀剣などをそのままに復元し、今の世に送り出すことを、まるで自らの使命としているかのように制作に打ち込む。
金工、という表現も正鵠を得ていないかもしれない。なぜならば、上野さんは鍛冶が作る刀身以外の部分(外装と呼ばれる)すべてを自分で作り上げてしまうのだから。金工に限らず、木工もやれば、塗りも行う。
事実、頂いた名刺にも「日本の美を復活する」とあるものの、「職業」は書かれていないのだ。
古い刀剣や仏像を、そのままに創りあげてしまうなら、博物館にもレプリカの展示物があるじゃないか―なるほど、その通り。現在の博物館は、土器や仏像、武器・武具に至るまで、その多くをレプリカに頼るところが多い。しかし、レプリカの多くは原物を型取りした上にエポキシ樹脂を流し込み、彩色をする―という実に安直な方法で作られている。だからたいてい中身はカラッポだ。見せるだけのものだからカラッポだ。
中世人が行ったのと同じ方法で、同じものを生み出し、そこに宿る中世人の感性にも迫ろうとする。いや、中世人の気持ちをとことん追求した結果が、刀剣や仏像といった作品に結実する、といった方が正しいかもしれない。
上野さんの仕事は、脈々と受け継がれてきた土台の中から生み出されたものではない。自らが種を蒔き、必死で育ててきたものばかりだ。
中世人の心をそのまま蘇らせるかのような作品群は、いったいどのような過程を経て生み出されてきたのだろうか―


●企画・構成・取材・文/野口裕紀
●写真/渡辺 幸宏
近年の政治家の体たらくはなんとしたことか。卑小で狡く、自己の利得にしか関心のなさそうな政治家が跳梁跋扈するようになってすでに久しい。
 憂いが諦めに変わりつつあった一昨年、中田宏氏の著作を読み、こんな理想をもった政治家がまだ日本にもいたのか! と快哉を叫んだ。こういう人材を残しておいてくれてありがとう、と空に向かって何度も無言で礼を言ったほどだ。
 その後、なんとしてでも中田宏という男を『フーガ』で紹介したいと思った。それが三十ページの特集となって読者の皆さんに紹介できたのは、昨年の五月のことである。
 横浜市長としての中田氏の功績は、ほぼ申し分ないだろう。もちろん、政治に完全はありえないから、異論を唱えることはできる。しかし、近年の地方行政で中田氏ほどさまざまな改革を成し遂げた人を私は知らない。
「大都市だからできたんじゃない?」
 そう反論する人もいる。たしかに大都市だからできたこともあるにちがいない。都市部の方が地方よりもしがらみは少ないから、改革しやすいという利点はあるだろう。しかし、行政規模の大小は免罪符にならないということを、あえて自治体の首長たちに言いたい。
 そこで登場願ったのが、高橋克法・高根沢町長である。高根沢町は栃木県の県庁所在地である宇都宮市に隣接した、人口わずか三万人の町である。小さな自治体でもいろいろなことができる、と高橋氏は実践をもって証明してくれている。
 高橋氏は前々号まで小誌のレギュラー執筆者として、四十回にわたって政治に関する文章を寄せていただいたので氏の高い志と独自の行政手腕を評価する読者も多いことだろう。
 片や三百六十四万人を抱える日本最大の政令市、片や三万人の小さな町。しかし、現代の日本に存在し、ほぼ同じルールの中で施政を続ける自治体という点では同じだ。
 今、政治の話題は醜悪なことばかりだ。しかし、臭いものと断じて蓋をするだけではますます悪政をはびこらせるだけである。
 ここでは、両リーダーの成功事例を大いに語っていただくことにした。その気になればこんなこともできる、ということを多くの自治体の長、そして国民に知っていただきたいのである。

●企画・構成・取材・文・レイアウトデザイン/高久 多美男
●写真/森 日出夫
どんどん森の奥に進んでいく。そして彼女は躊躇せずに草木の生い茂る薮の中に入り、座り込んだ。そして空を見上げ、風に揺れる木の葉の音に耳を澄まし、葉にさわって、森の生気を味わう。そして前方にじっと目をこらすと、一気に画用紙に描きだした。
 その動作の自然なこと。迷いもなく、なめらかにスケッチしていく。
 これは阿良山早苗さんのスケッチに同行したときの様子である。
「私を描いてと、まるで花や木が言っているように感じるんです」と言う彼女の瞳には、その場にある生気や輝きが色濃く映し出されているのだろう。この一瞬の時が過ぎるのも惜しむように描いていく。今、描かないと、この景色が、この輝きが消えてしまうかのように…。
 取材の際、阿良山さんが言った言葉が印象的だった。
「どんどん世界が均一化されていくような気がして。シェイクのようにミックスされて。古い慣習や文化もどんどん形骸化されて失っていく」
 今では日本のどこへ行っても、外国へ行っても、同じような風景で、同じような服装をした人々が行き交う。失われていくもの、過ぎていくもの、変わっていくもの、そんな時の流れは誰にも止めることはできない。だからこそ、今、目の前にある景色を画面に写し取りたいのだろう。
 だからなのか、阿良山さんの作品を見ていると、懐かしいような気持ちになる。いつかどこかで出会ったような風景や人。一瞬の輝きや歓び。郷愁のようなものが胸に打ち寄せてくる。
 絵からあふれ出るそのあたたかな感情の奥底には何があるのか。日本画家・阿良山早苗の源流を探ってみたい。

●企画・構成・取材・文/青木 和子
●レイアウトデザイン/都竹 富美枝
●写真/渡辺 幸宏
■月刊フーガ 2008年7月号

 今、世界は混沌としている。糸玉がグチャグチャに絡まったようにややこしくなっている。考えうる問題点を列挙していくと、もはやこの地球は問題だらけの塊になったとしか思えない。
 「みんな考えすぎて苦しんでいる。考えすぎたら動けなくなる。人間はもっとアホでいいんとちゃうかな」
 軌保博光こと「てんつくマン」はそう言う。てんつくマンは「アホで良し」「動けば変わる」などと自筆のメッセージが書かれたTシャツでどこへでも行く。
 行動原理は3Kだという。つまり、「考え、語り、行動する」。彼流に言えば、「めっちゃ単純なこと」。自分がこんなことをしたらワクワクするということを考え、それを周りの人に語る。ただ語るだけではなく、熱く語る。そして、行動する。その時、周りの人からどんなに「それは無理だ」と言われても、「できない」とは考えない。ひたすら、「できた」時のイメージを持ち続ける。
 それを貫くには、アホでなければならないと、てんつくマンは言うのだ。みんなが信じている常識は、人の可能性を狭めてしまうこともありえるということを本能的に知っているのだろう。そして、実際に多くの常識を覆してきた。
 てんつくマンとは、「天国をつくる」からきている。天国は死んでから行ってもつまらない、今、生きているこの時にこそ天国を作ろう、という意味だ。そういう彼の夢は、自分の夢の中に坂本竜馬が現れてきて、「おまん、ようやってくれた」と酒をついでもらうことだという。てんつくマンは、坂本竜馬をこよなく愛しているのだ。
 てんつくマンが、どのような道のりでそうなるに至ったのか、彼は今何をしているのか、これから何をしようとしているのか、この特集記事でつまびらかにしたい。


●企画・構成・取材・文・制作/高久 多美男
●写真/渡辺 幸宏
■月刊フーガ 2008年6月号
おかげさまをもちまして、完売致しました。

 ギョロッとした大きな目、太くたくましい腕、膨らんだ鼻孔、大きな牙を出した口元、このいかめしい邪鬼は勇猛な雰囲気をたたえているものの、どこかユーモラスな印象を受ける。
 陶芸家・藤原郁三氏の作る邪鬼は、一般に知られる邪鬼とは姿が異なる。通常、邪鬼は寺の仏殿のなかで四天王の足元で踏みつけられ、無理な姿勢を強いられ、醜悪な表情をしているものだ。しかし、藤原氏の作る邪鬼たちは、寝そべったり、座ったり、立ち上がったり、自由奔放な姿で愛嬌がある。
 なぜ、陶壁作家として名の知られた氏が、このような邪鬼を作るようになったのだろうか。そもそも邪鬼というのは、悪者ではないのだろうか。
 藤原氏は、魂を揺さぶられるものに出会うと、そこに使命を見い出し、ともに生きるという選択をしてきた。日本画家を志し、陶壁作家として名を成し、邪鬼を作るまでには、いくつかの大きなドラマがあった。その生き方は情熱的で、見る者の心を惹かずにはいられない。
 邪鬼は藤原氏の精神の一部だ。日本画に、陶壁に、身心を捧げ続けてきた作家が、邪鬼を本来の鬼神の姿に戻すこと、それは己の精神を解放することでもあった。
 藤原郁三氏の人生、そして邪鬼を自然に還らせるまでの物語をお伝えしたい。

●企画・構成・取材・文・制作/青木 和子・岩本 美香
●写真/渡辺 幸宏

商品情報・内容

■ 美しい生き方が、ここにあります。

誌名の語源は「風雅」。世界に誇れる日本固有の文化を尊重しながら、既成の概念に縛られることなく、新しい文化を提示します。また、音楽技法のひとつである「フーガ」にも通じています。時代を切り拓く先駆者となっている人材などを深く取り上げ、次代の道しるべとなることも目的としています。

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