―ヤマケイに入社された理由は何だったのですか。
編集部の入り口にある看板
僕は大学、大学院とずっと森林の研究をしていたんです。そんなキャリアを活かせる職場を探していたらちょうどここがあったんです。
樹木や野生動物の調査は長年やっておりましたので、最初は図鑑の編集などをやりました。
30歳で編集部に異動となり、5年ほど働きました。それからまた単行本の編集者に戻り、09年1月号から「山と渓谷」の編集長をしています。
―いわゆる「山屋」ということではないんですね。
そうですね。ハードな山屋ではないです。森林や野生動物を研究・調査しながら山に入り、ついでにピークにも登るといったことをやってきた人間ですね。
実際、僕は小さいころから釣りが好きで、フィールドにはよく出ていたんです。思春期にヤマケイの「アウトドア」や「ビーパル」(小学館)を読みはじめてからは、自然のなかで遊ぶ生活が本当に気持ちよくなり、自分の進路もそちらのほうへ移っていきました。
そういえば高校生のとき「アウトドア」から原稿料もらったことがあるんですよ(笑)。
書評というか、「自然保護のための3冊」みたいな内容でしたが、そのころからこの会社には縁があったということですね。
―研究者と編集者とではすいぶん違いがあると思いますが、編集者になってよかったことは何でしたか。
自分の企画で本や雑誌をつくって、それでバントヒットくらい打てたときが一番よかったと思うときでしょうか。手ごたえのある喜びですね。
たとえば「山でクマに会う方法」というちょっとひねったタイトルの本をつくったのですが、かなり反響がありました。
「本当は山でクマになんか会いたくない→でもクマにも会えないような山だとどうだろう→そうか、みんな普段は気にもしないことだけどクマは今日もちゃんと山で生きてるんだ」というような自然への気づきを読者に喚起できたかなと思います。
―編集部に女性はいらっしゃいますか?
狭い山小屋ではなく広く綺麗な編集部
女性は2人います。男性は僕を入れて5人です。全員何らかの形で山と関わりながら仕事をしています。
編集部の半分はいまでも真剣に山に登っていますね。仕事なんか休みまくって山に登ってる(笑)。自分の行きたい山をなんとか次の特集にからめて仕事にしてしまおうとか(笑)。
でも僕はそれでいいと思っているんです。自分のやりたい山と、読者の思い描く山をいかに相対化できるか、これが編集者の腕の見せ所ですから。
―「ヤマケイ」の読者像と立ち位置について教えてください。
ほぼ完売状態になった最近の2冊
創刊号の目次
読者の平均年齢はだいたい50歳くらいで、男性が6割ぐらいです。
でも30代の女性で登山歴1年未満の読者が急速に増えてますね。
これはこの雑誌の性格をよく物語っていると思います。
つくり方については、ユニセックス、エイジレスを基本として、あとはやはり登山という専門的な雑誌ではありますが、そのなかでも総合誌的な要素が強いですね。
山で出会う人などによく聞いてみますが、「ヤマケイ」は卒業していく雑誌という意見が多いです。
基本的な情報、総合的な知識を「ヤマケイ」で学んだ人が次のステップとして専門的な領域に入っていく。そんな流れに位置付けされる雑誌なんだと思うんです。
よく競合誌として「岳人(東京新聞出版部)」があげられますが、あちらはより専門的ですね。うちはあくまでも一般的で山の初中級者向けの雑誌だと思います。
―2007年にリニューアルされていますが、インプレスによる買収となにか関係していますか?
いえ、インプレスとの関係はありません。大きな編集方針の変更はありませんでしたし、具体的な編集部企画に関しては、親会社は関与していません。
むしろ、もっとふつうに雑誌をつくろうよ、といった雰囲気のなかでのリニューアルでした。あまり専門的に難しくしないで、脱アルピニズムで一般的な登山雑誌として基本に返ろうと。その流れの上に僕が編集長を引き継いでいる形です。
僕になってからはより原点回帰というか、素直に“山が好き”という人へしっかりしたメッセージを届けたいという気持ちで編集しています。
山を難しく考えるのではなく、読者に自然と山に行きたくなるような気持ちを持ってもらえることが大事です。
普通の山好きの話題でいえば、ことしの6月号は「剱岳と新田次郎」を特集しましたが、これは完売しました。話題の映画「劔岳 点の記」の公開にあわせた企画でしたが、こういうテレビや映画からの相乗効果というのも大いに期待できますね。
―古きよき伝統のある媒体ですが、その伝統を次世代に伝えていく役割を担われています。後世に伝えるものとして何に一番重きをおかれますか。
各県の山のガイドも貴重な資料だ
日本中の山の地図も保管されている
山や自然というものに対して謙虚であれ、ということです。ともすればわれわれはこのところを忘れがちです。そこは常に忘れないで、編集の基本にもおいているつもりです。
その前提の上で新しいスポーツ、たとえばトレールランニングなどのスポーツが山の世界に入ってきても、やみくもに排除するのではなく、受け入れて発展させていく。山の世界を小さな世界観で閉じ込めないほうがいいと思っています。自然に対する謙虚ささえあれば。
逆にその基本がないと、大きな事故につながってしまいます。
「ヤマケイ」としては、それにプラスアルファとして、しっかりとした情報……まぁ、情報と言うよりは“知恵”と言った方がいいかもしれませんが、そんなものを伝えることに重きをおいています。
つい最近の残念な例では夏山史上最悪の遭難であるトムラウシ山の事故がありましたが、これについては10月号の巻頭から特集、事故をしっかり検証して、二度とこのようなことが起きないように読者にもしっかりした知識と情報を共有してもらうべく努力をしています。
―あとは環境問題ですね。
そうですね。安全と環境は欠かせないテーマです。
昨今、山に登る人たちのマナーは大変よくなってきていますし、山小屋の環境対策もしっかりしています。やはり自然に親しむ人たちは環境意識が高いと思います。自分たちのフィールドは自分たちで守らなきゃということをよくわかっています。
でも、たとえば鹿がこの10年くらいで日本全国で大量に増えているといった事態があります。ハンターの数も少なくなっていますので、彼らはどんどん数を増やし、分布を拡大しています。それに伴って森や高山植物が大きな被害を受けています。
環境問題といえば自然と人間との共生ということですが、このように登山者が直接自然に接することができるような問題はさまざまありますね。
―ヤマケイのように古くても価値のある専門情報は、デジタルアーカイブ化しておくことでより価値が増すと思いますが、そのへんはいかがですか。
うちは雑誌のwebサイトもない状態で(笑)。
山小屋などの情報を知ることができる「山と渓谷モバイル」(yamakei@mail.cave.co.jp)というのはありますが、あとは何もない。
やったほうがいいのは分かっていますが、まあ、これは会社全体のタイミングの問題ですね。
確かに若い人たちの間でも、とくに女性など、山に登る人は最近かなり多いんですよね。今年の夏に涸沢で山を愛する人たちが集うフェスティバルを開催し、大変好評でした。それを見ていると、やはり若い世代に対する情報はwebや携帯とうまく活用した展開が不可欠です。ぜひお力を貸してください(笑)。
―編集長の好きな山を教えてください。
編集長が富士山好きになった別冊
そうですねえ・・・知床の羅臼岳、山形朝日連峰の大朝日岳、それに・・・やっぱり富士山かな。
羅臼岳は頂上に登ると知床半島が見事に眼下に広がって美しいんです。大朝日岳はなんといってもブナの森の美しさとたおやかに続く懐深い朝日連峰の山並みがすばらしいです。
それに富士山は、いろいろ言われますが、これは登山のピュアな喜びのある山です。混んでいるし、寒いし、高山病で頭痛いし・・・ひどいことばかりなのですが、ただ登頂の喜びだけのために登るという意味で、本当に純粋になれる山ですよ。
ちょうどきのう雲仙普賢岳に登ってきましたが、普賢岳もおもしろかったですよ。火山のパワーを実感しました。
―それは仕事ですか(笑)。
もちろん仕事です(笑)。「ヤマケイ」の著者は全国にいらっしゃいますし、スポンサーも同様です。
そんな方々と酒を酌み交わし山を語り、ともに登るのもわれわれの大切な仕事です……というと、うらやましがられるんですが(笑)。
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1.ナショナル・ジオグラフィック(日経ナショナルジオグラフィック社)
3号にひとつくらいですが、「ここ行ってみたい!」って記事があるんですよね。
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2.つり人(つり人社)
ここ何年か、面白くなってきてる気がします。
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3.BIRDER(文一総合出版)
バードウオッチングのマニアックな世界をうまく扱っています。ニッチなマーケットでの成功例だと思います。
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4.週刊東洋経済(東洋経済新報社)
毎号読んでますが、ビジネスだけじゃない情報が社会勉強になります。
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5.デジタルカメラマガジン(インプレスジャパン)
ま、グループの雑誌ですが、かなりマニアックで好きです。
(2009年9月)
- ヤマケイの編集部は都会のど真ん中にありながらどこか山小屋の風情があります。編集長の神谷さんはさながら山小屋の大将・・・といっても、いかつい人ではなく、柔和で自然好きな研究者。
/>/> 山好き、かつ活版雑誌で育った私には、この都会の異空間の匂いがなんとも心地よい。時間もゆったりと流れているようでした。
「山と渓谷」というシンプルで詩情豊かな響きは、田部重治の著書の表題から頂いたものだそうですが、ワーズワースの世界が目の前に広がるようです。神谷さんは、そんな伝統の最先端にあって古きよき時代精神ををいまに伝え、いまに生かす、貴重な語り部でもあるようですね。
インタビュアー:小西克博
大学卒業後に渡欧し編集と広告を学ぶ。共同通信社を経て中央公論社で「GQ」日本版の創刊に参画。 「リクウ」、「カイラス」創刊編集長などを歴任し、富士山マガジンサービス顧問・編集長。著書に「遊覧の極地」など。