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四国のみならず本州などからも多数の参詣客が訪れる、香川県琴平町の金刀比羅宮への参詣客輸送を狙って、明治より昭和にかけて瀬戸内海沿いから琴平に向けて4つもの鉄道が開通しました。最後発の1930(昭和5)年に開通したのが琴平急行電鉄(琴急)で、開業時に新造車両を投入して坂出~琴平間を36分で結び、最短距離と最短時間を掲げ文字通りの急行ぶりをアピールしました。 しかし最短距離を目指した線形ゆえに沿線人口が少なく、戦時中に国から「不要不急路線」と認定されて1944(昭和19)年には営業を休止、車両は名古屋鉄道へ譲渡、線路は占領地のセレベス島(現在のインドネシア共和国スラウェシ島)に転用されることになり、一切を失った琴急はその後復活することもなく、その14年足らずの歴史を終えました。 本書では短命に終わった琴急について、建設の経緯や関わった人々、新造された車両のその後の変遷について解説します。
目次
カラー口絵
カラーグラフ 琴平急行電鉄 想い出の品々
琴平急行電鉄ゆかりの車両
はじめに
1.琴平急行電鉄の建設まで/1.1 瀬戸内海航路の進化 ~高松港の成長と多度津港の衰退~
1.2 琴平参宮電鉄誕生の経緯
1.3 坂出町の動きと琴急誕生の経緯/Column 1 琴急をめぐる人々① 白川友一
1.4 琴平急行電鉄の設立と建設
Column 2 琴急をめぐる人々② 宇喜多秀穂/Column 3 琴急をめぐる人々③ 木村栄吉
2.琴平急行電鉄の開業/2.1 琴急開業 1930(昭和5)年4月7日
2.2 営業開始後の琴急
2.3 貨物営業と予定線について
2.4 香川県財界と琴急の関係
2.5 琴急開業による競合他社への影響
Column 4 琴急をめぐる人々④ 安達 賢/Column 5 琴急をめぐる人々⑤ 鎌田勝太郎と一族の鎌田 晃・鎌田 栄
3.琴平急行電鉄の終焉/3.1 戦時中の話
3.2 不要不急路線の選定/3.3 セレベス島での鉄道敷設
Column 6 関西汽船大信丸と大智丸のその後
3.4 鉄道として営業できなくなった琴急のその後/Column 7 琴急をめぐる人々⑥ 白川朋吉
3.5 廃線後の遺構
4.琴平急行電鉄の車両/4.1 電動客車
4.2 客車(借用車)
4.3 貨車(電動有蓋貨車・無蓋車・有蓋車)
5.車両譲渡後の動き
6.同型車両で偲ぶ琴急デ1型
おわりに
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旭川軌道・旭川電気軌道 路線・車両編
北海道第2の都市・旭川市内を走っていた2つの鉄道、1927(昭和2)年開業の旭川電気軌道と
1929(昭和4)年開業の旭川市街軌道について、歴史・沿革を解説した311巻に続き、312巻では
それぞれの路線や駅・停留所、歴代の車両について解説します。
純粋な市街電車であった旭川市街軌道に対し、旭川電気軌道は貨物輸送も行う郊外電車的な役割を
併せ持ち、鉄道車両に近い高床式の車両が使用されていました。中でも1955(昭和30)年製の
モハ1000型は18m級の堂々たる車体を持ち、貨車を牽いて併用軌道を走る姿は同鉄道ならではの
印象的なシーンでした。
旭川市街軌道は1956(昭和31)年にバスに転換する形で廃止、残った旭川電気軌道も1972(昭和47)
年限りで廃止されましたが、「旭川電気軌道」の名称は現在でもバス会社として引き継がれています。
【内容】
カラー頁 旭川電気軌道東川線 沿線点描
旭川電気軌道東旭川線 沿線点描
旭川電気軌道の車両
吉田初三郎式鳥観図に見る旭川市街軌道・旭川電気軌道
路線・車両編のはじめに
3.旭川市街軌道 路線紹介
3.1 路線概要
3.2 一条線・四条線
3.3 師団線
3.4 六号線・東六号線(旧師団線)
4.旭川電気軌道 路線紹介
4.1 路線概要
4.2 運転(昭和40年代後半の状況)
4.3 東川線各駅紹介
4.4 東旭川線各駅紹介
5.旭川市街軌道の車両
5.1 旭川市街軌道 車両概要
6.旭川電気軌道の車両
6.1 旭川電気軌道 車両概要
6.2 単車の時代
6.3 ボギー車の時代
6.4 排雪車・貨車など
コラム2 100型は完全新製車なのか
参考文献(311・312巻共通)
おわりに
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北海道第2の都市・旭川には、かつて1927(昭和2)年開業の旭川電気軌道と、1929(昭和4)年開業の旭川市街軌道という2つの鉄道が存在していました。両者は旭川市の人口増加に伴い路線網を拡大、市民や兵員の輸送に重要な役割を果たしました。しかし旭川市街軌道は戦争による設備更新の遅れから経営環境が悪化、1956(昭和31)年にはバスに転換する形で廃止、残った旭川電気軌道は1960年代後半には年間利用者が200万人を超えたものの、1970年代になると乗客が減少、並行する国鉄宗谷本線の高架化に支障することが直接の原因となって1972(昭和47)年限りで廃止されました。「旭川電気軌道」の名称は現在でもバス会社として引き継がれ、鉄道廃止後半世紀を経た現在でも、市民には耳慣れた名称となっています。『歴史・沿革編』では、この旭川市街の2つの鉄道の誕生と、電車とともに歩んだ50年の街の記録を解説します。
目次
カラー口絵
カラーで見る旭川電気軌道
旭川市街軌道路線図
旭川電気軌道路線図
はじめに
1.旭川市街軌道沿革/1.1 前史1 初期の旭川市街地の形成過程
1.2 前史2 上川馬車鉄道
1.3 前史3 馬車鉄道廃止後の状況
1.4 旭川市内路線を巡る争い
1.5 旭川市街軌道の成立
1.6 「市内電車」の開通
1.7 師団線の開通
1.8 旭橋の開通
1.9 牛朱別川の河道変更
1.10 戦時体制下の旭川市街軌道
1.11 一条・四条線の廃止
1.12 市営化に向けた論議/1.13 戦後の師団線
1.14 東六号線の開通
1.15 東六号線の一部複線化
2.旭川電気軌道沿革/2.1 上川百万石
2.2 ある青年実業家の夢想/2.3 「旭川の交通文化は郊外より」
2.4 貨物輸送の開始と旭川四条駅の開業
2.5 社長派・専務派の対立と岩崎の退場
column 1 知られざる「農村電車」計画
2.6 豊島卯三郎の入社
2.7 戦争そして終戦
2.8 追分車庫の火災
2.9 火災からの復興/2.10 バス事業の再開と発展
2.11 廃止へ
旭川市街軌道・旭川電気軌道 統計資料
歴史・沿革編のおわりに
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戦前から戦中期にかけて、福岡県内の鉄道および軌道では軍需工場の職工輸送などにより大変な混雑が生じていました。特に、当時日本の4大工業地帯のひとつであった北九州工業地帯では、混雑緩和のための輸送力増強は急務となり、資材も欠乏する中、打開策として導入されたのが2~3車体をつなげる「関節車」(現在でいうところの連接車)でした。本書では西日本鉄道の各線(大牟田線、三井線、北九州線、福岡市内線)に登場した試作的な連接車や計画のみで終わった幻の車両、高度成長経済期において北九州地区と福岡市内に投入された新型車両など、輸送力確保のための模索の過程を解説します。
目次
口絵
巻頭グラフ かつての連接車王国 西日本鉄道
西鉄北九州線連結運転概念図
西鉄北九州・福岡市内線路線図
はじめに
1.西鉄大牟田線500形/1.1 九州鉄道から西鉄大牟田線へ
1.1 九州鉄道から西鉄大牟田線へ
Column 1 関節車・連節車・連接車の定義
1.2 大牟田線500形の登場
Column 2 単線鉄道高速化のパイオニア 九州鉄道II
2 三井線の四軸関節車 2.1 西鉄三井(みい)線概説/2.2 「四軸関節車」の投入
2.2 「四軸関節車」の投入
2.3 四軸関節車の試作車 101・102号の概説
2.4 四軸関節車の車歴
Column 3 四軸関節車102号と函館市電の復元車39号「函館ハイカラ號」
2.5 「四軸関節車」の終焉と三井線北部の「中速化」
3.北九州線の連結運転計画から関節車導入まで/3.1 九州電気軌道→西鉄北九州線概説
3.1 九州電気軌道→西鉄北九州線概説
3.2 連結運転対象車両
Column 4 戦時中の他社における連結運転
3.3 西鉄北九州線 戦後の情勢
3.4 北九州線1000形関節車の概要
Column 5 北九州線1000型関節車の意匠・車体デザイン
4.福岡市内線の連接車 4.1 西鉄福岡市内線の概説/4.2 連接車の導入経緯
4.2 連接車の導入経緯
4.3 福岡市内線連接車の概要
Column 6 入線直後の大改造 ~1101形の前面窓~
おわりに
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鉄道車両の台車は、2つの車輪を持つ二軸台車が一般的ですが、ごく一部に輪軸を1軸しか持たない「一軸台車」というものが存在します。それまで二軸貨車などで多数使われていた古典的な走り装置と比べて「台車枠」と呼ばれる部位が存在するもので、機関車の軸重軽減のための遊輪や、レールバスなどのように二軸車の乗り心地を向上させるために空気バネを採用したものがそれにあたります。
本書では日本国内の一軸台車を履いた車両について、一般の鉄道車両からモノレール、新交通まで幅広く取り上げ、その構造や一軸台車を使用するに至った経緯について解説を行います。
目次
カラー口絵
巻頭グラフ 一軸台車を履いた車両
はじめに
序論 一軸台車とは何か
1.機関車/1.1 国鉄DD91形式
1.2 国鉄DD54形式
1.3 国鉄ED62形式
2.電車/2.1 東京急行電鉄デハ200形
2.2 日立製作所製アルウェーグ式モノレール
2.3 札幌市交通局1000・2000形
3.新交通システム/3.1 日本車輌製造・川崎重工業・新潟鐵工所の新交通システム
4.気動車/4.1 富士重工業製LE-Car
5.貨車/5.1 国鉄レム9000形式
5.2 国鉄ヨ9000形式
6.保守用車/6.1 富士重工業・新潟トランシス製電気作業車・確認車
6.2 JR西日本テクノス製高速確認車・高速軌道モータカー
6.3 三菱重工業製確認車
6.4 Plasser&Theurer製マルチプルタイタンパ・電気作業車
Column レール削正車編成の休憩車
参考文献
おわりに
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戦災から立ち上がり、復興期に入って旧型車両の更新や高性能車両の新製を積極的に進めていた大阪市電ですが、1960年代に入るとトロリーバスが運行開始されたほか、自動車の増加により市電も定時運行ができなくなり、乗客減による赤字を補うために不要となった車両の他鉄道への譲渡が進められました。この時期に大阪市電から他社に譲渡された車両は160両を超え、全国各地の都市に元大阪市電の電車が見られるようになりました。 本書では乗客減により廃線が進められ、1969(昭和44)年に市電が全廃されるまでの晩年期の譲渡車両について、大阪時代の種車も含め譲渡先会社別に解説します。
目次
カラー口絵
巻頭グラフ 大阪市電とその譲渡車両
晩年期編のはじめに
13.市電晩年期の譲渡背景
14.種車別車両解説
Column 8 先進性が仇にもなった3001型
15.鹿児島市交通局
16.熊本市交通局
Column 9 大阪市電廃止記念行事
17.神戸市交通局
18.広島電鉄
19.南海電気鉄道 大阪軌道線(現・阪堺電気軌道)
20.長崎電気軌道
Column 10 市電保存館
21.周辺機器の譲渡
22.一般譲渡車
Column 11 市電ゆかりの遺構
資料 大阪市電譲渡車一覧表(晩年期編)
おわりに
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大阪市電が開業したのは1903年(明治36年)9月のことで、わずか2両の電車と8名の乗務員から始まりました。その後大阪市内にくまなく路線を拡大し、最盛期で900両を超える車両が活躍する大所帯となりました。
一方、他鉄道への譲渡は1911年(明治44年)より開始され、300両以上の車両が関東や四国・九州に至るまで、さらに一部は満州にも渡って活躍しました。
本書では、明治末期から1969(昭和44)年の市電全廃までの車両の譲渡記録の中から、明治期の1910年代から戦後の1940年代までについて、その種車も含め紹介します。
翌月発刊予定の308巻(晩年期編)では高度経済成長期を迎え、廃線が進められた晩年期の譲渡車について紹介します。
目次
カラー口絵
巻頭グラフ 保存車両に見る往時の大阪市電
はじめに
序. 大阪市電 戦前型車両の譲渡背景
Column1 11型の製造所
1.松山電気軌道
2.龍野電気鉄道(→播電鉄道)
3.横浜市電気局
4.阪神急行電鉄・長崎電気軌道/5.鹿児島電気軌道
6.広島瓦斯電気
7.阪堺電鉄
Column2 台風と高潮
8.福博電車
9.熊本市電気局
Column3 台車だけが譲渡された1501・1531型
Column4 大阪市電30号
10.新京交通
11.廣瀬製作所・伊予鉄道
Column5 戦後の譲渡背景について
12.琴平参宮電鉄
Column6 1601型メモ
Column7 廣瀬車輛株式会社と大阪車輛工業株式会社
大阪市電譲渡車一覧表(戦前・戦後期編)
おわりに
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第三セクター鉄道の「北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線」は、もともと網走本線として根室本線の池田から分岐し野付牛(現在の北見)を経由して網走までを結ぶ国鉄の幹線として、明治時代末期に開通しました。昭和に入って石北本線により旭川~北見間が最短ルートで結ばれると網走へのルートはそちらが主力となり、池田~北見間は池北線として分離されました。
国鉄時代の1980年代に池北線は特定地方交通線に指定され、廃線か経営分離かの選択を迫られましたが、JR化後の1989(平成元)年に第三セクター鉄道に転換、「北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線」として再出発しました。
北海道では唯一の第三セクター鉄道として注目され、路線名にちなみ松本零士氏作の「銀河鉄道999」のラッピングを一部車両に施すなどで話題を集めましたが、経営不振により開業17年後の2006(平成18)年には廃止、今となっては営業期間よりも廃止後の方が長くなっています。
目次
カラー口絵
巻頭グラフ 池北線からふるさと銀河線へ
はじめに
1.網走本線~池北線/1.1 池田~淕別~野付牛間開業
1.2 石北線開業前の網走本線
1.3 石北本線の開業/1.4 戦時中の川上駅
1.4 戦時中の川上駅
1.5 戦後の網走本線
1.6 1961 年に池北線に改称
1.7 国鉄・JR 時代最後の姿
2.北海道ちほく高原鉄道/2.1 第2次特定地方交通線最後の転換
2.1 第2次特定地方交通線最後の転換
2.2 省力化を実施
2.3 基金の枯渇が廃止の引き金
2.4 最終営業日~2006(平成18)年4月20日
3.沿線・施設/3.1 ふるさと銀河線乗車記 2006 年1月8日
3.1 ふるさと銀河線乗車記 2006 年1月8日
3.2 各駅の紹介
4.車両
5.廃線後のふるさと銀河線/5.1 北見~置戸間
5.2 置戸~陸別間
5.3 陸別~足寄間
5.4 足寄~池田間
おわりに
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戦後の1948(昭和23)年6月に東京急行電鉄(いわゆる大東急)から分離して誕生した京王帝都電鉄では、1953年より用途を失った車両の他私鉄への譲渡が開始されました。特に1960年代に入ってからは電鉄傘下の京王重機で譲渡先の鉄道に合わせた仕様に改造できるという強みもあって、これまでにおよそ170両を全国各地の鉄道に送り出しました。さらに最近では銚子電鉄や岳南電車に見られるように、京王からの譲渡車が他私鉄に再譲渡される例も生じています。
本書では、1950年代より譲渡が開始された庄内交通、越後交通長岡線、松本電鉄をはじめ、京王線の名車と呼ばれた5000系が譲渡された富士急行や高松琴平電気鉄道、伊予鉄道など、また井の頭線ステンレスカー3000系が譲渡された北陸鉄道や上毛電鉄、伊予鉄道などといった京王帝都電鉄発足以降の歴代譲渡車両を、譲渡先の鉄道会社別に紹介します。
目次
カラー口絵
巻頭グラフ 京王帝都電鉄の譲渡車両
口絵
はじめに
1.東北・甲信越/1.1庄内交通湯野浜線
1.2 越後交通長岡線(←長岡鉄道)
1.3 松本電鉄(現・アルピコ交通)
1.4 富士急行(現・富士山麓電気鉄道)
Column 今も生きる京王木造車の台枠
2.関東・中部/2.1 上毛電気鉄道
2.2 わたらせ渓谷鐵道
2.3 銚子電気鉄道
2.4 岳南鉄道(現・岳南電車)
3.北陸・近畿/3.1 北陸鉄道
3.2 京福電鉄福井支社
3.3 近江鉄道
4.中国・四国/4.1 一畑電気鉄道(現・一畑電車)
4.2 高松琴平電気鉄道
4.3 伊予鉄道
おわりに
奥付・既刊紹介・英文
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前巻(303巻)で取り上げた北海道・釧路炭田の雄別鉄道(釧路~雄別炭山間44.1km)および同じ雄別炭礦系列の尺別鉄道(尺別~尺別炭山間11.8km)で活躍した、歴代の車両について解説します。
石炭輸送を主軸とした両社では、大正時代の開業以来、牽引機として多数の蒸気機関車が使用されてきました。当初はドイツや米国などからの舶来機やその設計に倣った国産機が主力でしたが、後にC11やC56などの国鉄同型機が加わりました。
戦後は気動車やディーゼル機関車の導入で輸送の近代化が図られますが、炭鉱事故による閉山に伴い雄別・尺別両鉄道ともに1970(昭和45)年に廃線となり、雄別鉄道の気動車は関東鉄道へ譲渡されたほか、一部の機関車は埠頭線を継承した釧路開発埠頭へと引き継がれました。
目次
口絵
はじめに
1.雄別炭礦鉄道(雄別鉄道→釧路開発埠頭)の車両/1.1 蒸気機関車
Column 輸入4形式
1.2 ディーゼル機関車
1.3 気動車
1.4 客車
1.5 貨車(1968年2月在籍車)
1.6 廃止後の状況
2.雄別炭礦尺別専用鉄道(→雄別炭礦尺別鉄道)の車両
参考文献
おわりに
奥付・既刊紹介・英文
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北海道・釧路炭田で石炭輸送路線として活躍した雄別鉄道(釧路~雄別炭山間44.1km)および同じ雄別炭礦系列の尺別鉄道(尺別~尺別炭山間11.8km)について取り上げます。雄別鉄道は、1923(大正12)年に北海炭礦鉄道として開業後、雄別炭礦鉄道を経て1959(昭和34)年には雄別鉄道と改称され、石炭や鉱員輸送のために活躍しました。戦後は気動車やディーゼル機関車の導入など輸送の近代化が図ったものの、雄別炭鉱の出炭量が1964(昭和39)年度をピークに減少、引込線建設時の負債による経営悪化も合わせ、さらに1969年の炭鉱事故を契機とした閉山により翌1970(昭和45)年4月、両鉄道ともに廃止されました。
9月発刊のRML303巻では、石炭輸送の要として誕生した雄別鉄道および尺別鉄道の生い立ちについて解説します。両社の歴代車両については10月発刊予定のRML304巻で掲載します。
目次
口絵
巻頭グラフ 炭鉱の物流と暮らしを支えた雄別鉄道
はじめに
1.雄別炭礦鉄道(→雄別鉄道→釧路開発埠頭)の沿革/1.1 雄別炭鉱の開発
1.2 北海炭礦鉄道開業
1.3 戦時輸送
1.4 戦後復興
1.5 釧路埠頭倉庫設立と埠頭線の開業
1.6 気動車導入と鉄道部門分離・独立
1.7 鶴野新線の開通
1.8 閉山と廃線
1.9 釧路開発埠頭線
Column.1 釧路製作所
2.運行状況
2.3 北急2000型のその後
3.施設/3.1雄別本線/3.2埠頭線
3.3鶴野線/3.4水面貯木場線/3.5鳥取側線
4.釧路から雄別炭山へ
Column.2 雄別炭礦茂尻鉱業所専用線/Column.3 明治鉱業庶路鉱業所専用線
5.雄別鉄道の遺産
6.雄別炭礦尺別専用鉄道→雄別炭礦尺別鉄道/6.1 沿革
6.2 施設
6.3 沿線・駅
おわりに
奥付・既刊紹介・英文
1970年大阪万博輸送 -千里を目指した北大阪急行・市営境筋線ー
今から55年前の1970(昭和45)年、「人類の進歩と調和」をテーマに日本万国博覧会(大阪万博)が
千里丘陵で開催されました。この昭和の高度経済成長期を象徴する国家的なイベントの開催決定に伴い、
当時未開発であった千里丘陵に向けて、会場アクセスとなる2つの鉄道ルートが整備されました。
ひとつは大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線を延伸して、新規に建設された北大阪急行電鉄へ直通
するもの、もうひとつは地下鉄堺筋線を新規に建設し、既存の阪急千里線と相互乗り入れするものです。
この両線の整備によって、万博会期中の総入場者数6,422万人のうち両線合わせて約2,100万人の輸送を
実現、観客輸送に大きな役割を果たしました。
■掲載内容
巻頭グラフ 千里丘陵を目指した2つの万博ルート
はじめに
1.御堂筋線と北大阪急行電鉄の相互乗り入れ
1.1 北大阪急行電鉄の創立と御堂筋線の延伸
1.2 万博の輸送計画
1.3 万博開催を控えた地下鉄と市電
1.4 万博に備えた新造車両
1.5 万博の開催から閉会まで
1.6 万博期間中の車両運用と5000型貴賓車
2.万博終了後の御堂筋線・北急用新造車両
2.1 交通局30系のその後
2.2 北急7000・8000型のその後
2.3 北急2000型のその後
3.堺筋線と阪急電鉄との相互乗り入れ
3.1 堺筋線の相互乗り入れ先の選定
3.2 阪急との相互乗り入れ交渉
3.3 堺筋線の建設
3.4 東吹田検車場について
3.5 交通局60系90両の新造
3.6 堺筋線の開通
3.7 堺筋線と万博輸送
4.万博終了後の堺筋線用車両
4.1 60系のその後
4.2 60系の冷房改造について
4.3 60系の引退
4.4 6014号の保存
おわりに
コラム
交通局30系の車両製作についての経緯/万博期間中の我孫子検車場の対応/荷棚の功罪/
「冬眠」させられた56両/デザイン重視の60系の「お顔」/P-6と60系の連結/投げ捨てられた座席
【続・国鉄の荷物列車】
特別編集の300巻に続き国鉄の荷物列車について取り上げます。
戦前・戦後を通し、国内の荷物輸送において独占的な立場であった国鉄ですが、道路網の発達とともに
トラック輸送が急伸、特に1976(昭和51)年に「宅急便」が台頭してからは小荷物輸送量は急減します。
国鉄側でもパレット輸送の導入や運行の合理化で経営改善を図るものの赤字は拡大する一方で、1986
(昭和61)年10月末をもって荷物輸送は終了しました。
本書では晩年期の国鉄荷物輸送を解説するほか、運行上の工夫や戦前・前後の荷物輸送の様子、そして
巻末には1964~1985年の荷物列車編成例(約170本)を掲載するなど、荷物列車についての豊富なトピック
を全56頁で分かりやすく解説します。
【掲載内容】
続編のはじめに
12.昭和50年代―急減する輸送量と立て直しの模索
13.横浜羽沢駅の誕生―始まった東京圏通過列車
14.郵便・荷物輸送の終了
15.荷物列車の工夫
15.1 繁忙期の臨時列車
15.2 現金輸送車の増結
15.3 荷物列車を牽引した機関車
15.4 荷物輸送を東西で分断した暖房方式
15.5 米軍専用の荷物輸送
15.6 荷物列車が走らなかった主要幹線
15.7 一度では理解できない複雑な積載方
16.戦前・戦後の荷物列車
16.1 戦前の小荷物列車
16.2 米軍輸送に間借りした敗戦後の輸送
16.3 ワキ列車による救済と荷物列車の増発
16.4 1956年の荷物列車
16.5 「時刻表」への掲載
16.6 急行の混雑緩和のための荷物列車増発
16.7 1959年の荷物列車
17.旅客局荷物課OBに聞く(2)
18.荷物列車の編成推移
1964・65年/1969年/1980年/1985年
※電子版では、紙の雑誌と内容が一部異なる場合や掲載されないページがあります、予めご了承ください。
RMライブラリーの節目となる300巻は、『国鉄の荷物列車』と題して通常の倍のボリュームでお届けします。
旅客列車とは別に、旅客から預かった荷物や郵便物、新聞・雑誌などをそれぞれ用途に合わせた車両に積載した荷物列車は、機関車が牽引するパターンが多かったことから当時のレイル・ファンの間でも人気の列車でした。しかし高度成長期以降、道路事情の改善によりトラック輸送が急伸、さらに宅配便が普及したことで急速に衰退し、鉄道による荷物輸送はピリオドを打ちました。
本書では、国鉄の荷物列車が最盛期を迎えるまでの数々のエピソードや運用の実態などを分かりやすく解説するとともに、国鉄荷物課OBに聞く荷物輸送の舞台裏も取り上げます。最盛期以降については301巻『続・国鉄の荷物列車』で解説します。
目次
口絵
巻頭カラーグラフ
はじめに
1.荷物列車の魅力/1.1 バラバラの編成
1.2 奇想天外の運転区間
1.3 往復で違う本数、運転区間、経路
1.4 続出する長距離運用
1.5 複雑な「継走図表」と独特の運転整理
1.6 「荷専併結列車」の不思議
Column 1 荷物列車が救済した帰省客輸送
1.7 上野~東京間の荷物輸送
1.8 DC化が生んだローカル線の荷物列車
2.荷物列車体制のスタート ― 1961年10月
Column 2 ダイヤ改正会議で紛糾した荷41列車問題
Column 3 荷物列車40番台は偶然
3.ブレーキのかかった荷専移行
4.荷物列車専用駅の整備
5.難航した郵政省との交渉
Column 4 時刻表は通過の「郵便停車」
6.「よんさんとう」で巻き返し ― パレット、急行の導入
7.頭の痛かった新聞輸送
Column 5 「東週雑運用」とは
Column 6 毎日が戦場だった静岡駅の特急「はと」
8.荷物列車全盛時代へ ― 1970年代
9.電車、気動車の荷物列車/9.1 東海道線
9.2 東北・高崎線
9.3 常磐線
9.4 房総線
9.5 上越・高崎線
9.6 京浜東北線など
10.航送荷物車の運用
11.旅客局荷物課OBに聞く
『日本の荷物客車』おわりに
奥付・既刊紹介・英文
こだま形20系電車開発から完成まで
長距離列車の電車化は、国鉄の動力近代化における重要課題であり、準急用として1950(昭和25)年には80系
湘南形電車が、1957(昭和32)年には車体の軽量化や走行性能を改善した91系東海形電車がそれぞれ誕生しました。
その技術を生かして東京~大阪間を6時間台で結ぶ「ビジネス特急」が企画され、90系や当時最新鋭の高速電車で
あった小田急3000形SE車などで現車試験を行い、数々の新技術を投入の結果1958(昭和33)年に運転を開始した
のが「こだま」用20系電車です。
この20系(後の151→181系)電車は、高速度試験において狭軌鉄道世界最高速度となる163km/hを記録、その後の
1964(昭和39)年に運転を開始する新幹線電車の開発への礎となりました。
本書では、戦後の電車発達史の頂点ともいえるこの「こだま形」20系電車について、技術的・デザイン的な開発の
経緯を解説します。
■掲載内容
巻頭グラフ
誕生 こだま形/「こだま」に影響を与えた車両/特急「こだま」がやってきた
はじめに
1.客車特急から電車特急の実現に向けて
2.長距離高速電車の実現へ
2.1 高速度試験で期待通りの成果
2.2 長距離高速電車の開発開始
3.「ビジネス特急」の設計開始
3.1 国鉄と各メーカーとの共同設計開始
3.2 ディスク・ブレーキの現車試験を実施
3.3 冷房装置の先行開発は島技師長の発想から
3.4 機能と優美さとスピード感を兼ね備えた前頭部
3.5 静かな車内を求めて「車両防音委員会」の提言受ける
3.6 旅の楽しさを演出する設備と工夫
3.7 空気バネ台車の開発
3.8 公募による愛称名とシンボルマーク
3.9 外部塗色決まる
4. いよいよ完成へ。姿を現す「特急こだま」
5.モハ20系のプロフィール
6.モハ20系「特急こだま」試運転始まる
7.モハ20系「特急こだま」営業開始
8.そして高速度試験へ
Column 伊勢湾台風に遭った特急「こだま」
おわりに
- 出版社:ネコ・パブリッシング
- 発行間隔:不定期
- 発売日:[紙版]不定期 [デジタル版]紙版の発売日から2日後
- サイズ:B5
■ 電車の歴史が語られる
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