RM Library(RMライブラリー) 発売日・バックナンバー

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オレンジ色の電車は中央線…。すべてが茶色1色に塗られていた通勤型国電にあって、その鮮やかな塗色がラインカラー制定の契機となった車両が1957(昭和32)年登場の90系(後の101系)電車でした。国鉄で最初にカルダン駆動を採り入れた90系はその静寂さと高性能ぶりから「新性能電車」と呼ばれ、以降の国鉄車両に多くの影響を与えました。

しかしそんな90系も始祖を辿ると、戦時設計の4扉通勤車モハ63形が基本となっています。戦時設計ゆえの乏しい資材や簡易構造で造られた63形は事故や故障が多発、なかでも1951(昭和26)年、多数の死傷者を出した「桜木町事故」では同形式の構造的欠陥が露呈し、全車を対象に緊急改造工事を実施、続く更新工事で不燃化が徹底され、モハ72・73形として安全で快適な電車へと発展していきます。
本書では63系から90系に至る国鉄通勤型電車の進化の過程を、私鉄割当車や72形としての新製車も含め解説します。

目次
口絵写真
はじめに
序 モハ90に始まる2ケタ形式の新性能国電
1. 戦時下の国電
2. 63形の時代
2.1 63形の概要
2.2 製造年次ごとの詳細
2.3 「ジュラ電」の登場
3. 私鉄割当のモハ63形/3.1 東武鉄道向/3.2 名古屋鉄道向
3.3 近畿日本鉄道(→南海電鉄)向/3.4 山陽電鉄向(広軌車
3.5 東急小田原線・厚木線向
3.6 東急厚木線(相模鉄道)向
3.7 割当以外に私鉄へ移籍したモハ63
4. 1947年以降の63形の増備
column 1 モハ63系の台車
63系から90系へ 正面デザインの変化
5.桜木町事故とその対応/5.1 桜木町事故で露呈したモハ63の欠陥
5.2 モハ63の緊急特別改造工事
5.3 63形から72・73形へ
6.モハ72形・クハ79形の新製 1952年以降
7, 全金属製車体の試作と量産/7.1 第二次全金属車体試作車(元ジュラルミン車)
7.2 第三次全金属車体試作車 モハ73174
7.3 全金属製車体量産車(920番代)の登場
7.4 第四次全金属車体試作車
column 2 新製モハ72・クハ79の台車
8. モハ90形の登場/8.1 カルダン駆動導入経緯とモハ90 形の発注へ
8.2 モハ90形試作車の登場
8.3 モハ90形量産車の登場
おわりに
奥付・既刊紹介・英文
千葉県の五井~上総中野間39.1kmを結ぶ小湊鐵道は、1925(大正14)年3月の五井~里見間開通より営業運転を開始しました。開業に際しては米国・ボールドウィン社やドイツのコッペル社製などの輸入蒸気機関車を購入し、客車や貨車を牽いて運転を開始しましたが、上総中野まで全通した1928(昭和3)年には早くもガソリンカーを導入、以後旅客輸送はディーゼルカーに転じた後も内燃動車が主力として活躍しています。
本書では、開業当初の蒸気機関車や二軸またはボギー式の木造客車に始まり、蒸気動車やガソリンカー、貨車、そして半世紀以上現役を続けている主力のディーゼルカー・キハ200形や近年JRより購入し話題となったキハ40形、さらに観光列車「房総里山トロッコ」に至るまで、創業以来小湊鐵道に在籍したすべての車両について詳しく解説します。

目次
口絵写真
車両編のはじめに
序.車両説明について
1.多彩を極めた戦前・戦中期の車両群/1.1 蒸気機関車
1.2 客車
1.3 蒸気動車
1.4 気動車
1.5 貨車(開業時在籍車)
2.形式統一を図った戦後の車両/2.1 気動車
2.2 房総里山トロッコ
2.3 貨車(現在籍車)
3.小湊鐵道、南総鉄道に関する過去の報告
おわりに
奥付・既刊紹介・英文
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小湊鐵道は千葉県の五井~上総中野間39.1kmを結ぶ非電化私鉄で、古風な気動車が走る風光明媚な路線として注目を集めている
東京駅から50km圏の五井駅(千葉県市原市)を起点とする小湊(こみなと)鉄道。大多喜町の上総中野までを結ぶ全長39.1kmの非電化私鉄で、今から100年前の1924(大正13)年に着工、1928(昭和3)年に現在の路線が開通したという長い歴史を持ちます。
開業当初は蒸気動力でしたが、戦前よりガソリンカーやディーゼルカーといった内燃機関動力の採用も積極的で、1961(昭和36)年より製造されたキハ200形は現在でも主力として活躍しています。
近年は「房総里山トロッコ」の運転やJRからのキハ40形譲受など話題も豊富で、風光明媚な景色の中を古風なディーゼルカーが走るとして、SNS全盛の現代に改めて注目を集めています。今回は小湊鐵道について、「路線・沿革編」「車両編」の2巻にわたって解説します。



目次
口絵写真
巻頭カラーグラフ 首都圏近郊のオアシス 小湊鐵道
房総横断のジャンクション 上総中野駅での出会い今昔
はじめに
1.小湊鐵道のヒストリー/1.1 大正期以前の房総半島鉄道事情と小湊鐵道の開業
1.2 上総中野~小湊間延長断念および幻の新線計画
1.3 開業から昭和戦前、戦中期までの状況
1.4 戦後の動向 気動車増備と形式統一化
2.施設のあらまし/2.1 施設概要
2.2 小湊鐵道各駅
2.3 歴史的建造物など
3.運行と列車の変遷
4.南総鉄道/4.1 南総鉄道小史
4.2 南総鉄道の車両
路線・沿革編のおわりに
奥付・既刊紹介・英文
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【特集】スハ44系客車の履歴書

スハ44系は、1951(昭和26)年に幹線特急用として49両が製造された客車で、
前向きの2人掛け座席が並ぶ3等車は当時「特ハ」として一般車両と区別されました。
東京~大阪間の「つばめ」「はと」など花形列車でデビュー、
特に1956年の東海道線電化完成時には煤煙と無縁になったことから編成全体の塗色をライトグリーンに一新、
その雄姿はファンから「青大将」と呼ばれ親しまれました。
さらに山陽特急「かもめ」や東北特急「はつかり」にも使用されましたが、
1960年に151系電車や80系気動車が登場すると特急運用は激減、
また終端駅での方向転回が嫌われ、座席を回転式に改造して夜行急行や観光団体列車などに使用されますが、
それらも削減されて他形式に改造されたほか、一部は四国に渡りローカル列車で使用されました。
本書では各地を転々とした44系客車の波乱万丈な生涯を、多数の写真や編成記録を交え全64頁で解説します。



目次
口絵写真
カラーグラフ 特急列車からローカル列車まで スハ44系客車の生涯
はじめに
1.特急用客車の誕生
column 1 戦前の「特ハ」、スハ33
2.難航した山陽特急と急行での当座使用
3.「青大将」への衣替え
4.「かもめ」の編成替えと「さくら」への転身
5.「はつかり」の新設
6.特急運用からの離脱、急行用改造と観光団体列車
column 2 実はなかった?「観光団体色」
column 3 南紀観光号は何回向きを変えたか
7.「みずほ」での特急運用復活
8.1960年代の急行運用
9.冷遇されるスハニ35とローカル線への転身
column 4 要人用列車で重宝されたスハニ35
column 5 電暖改造されなかったスハ44系
10.荷物車、事業用車への改造
column 6 1輌だけ出現したオハネ17改造車
11.廃車と四国への転属
12.大井川鉄道へ
13.三角線での転向
14.形式別解説
column 7 スハ44系は何色か
おわりに
スタッフ
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特集:夕張鉄道 車両編 -炭都を支えたSLと気動車-

北海道有数の炭鉱都市・夕張市と函館本線に接続する野幌の間53.2kmを、およそ半世紀の間結んでいた夕張鉄道。部分開業の1926(大正15)年から廃止となる1975(昭和50)年までの間に、蒸気機関車をはじめ客車・貨車、蒸気動車、気動車、ディーゼル機関車とさまざまな車両が活躍しました。本書「車両編」では、創業時に導入されたコッペル型やコンソリ型などの蒸気機関車やDD13形類似のディーゼル機関車、国鉄譲渡車や自社発注などの客車、キハ07タイプの流線型前面や湘南型前面の新造気動車など、個性的な車両群について写真や図面とともに解説します。


目次
口絵写真
車両編のはじめに
1.蒸気機関車/1.1 初期の蒸気機関車
1.2 夕張に咲いたコンソリの傑作
1.3 個性豊かなキューロク
2.内燃機関車
3.蒸気動車
4.気動車
5.客車/5.1 開業時の客車・鉄道省払下げ車
5.2 開業時の客車・自社発注車(梅鉢鉄工所製)
5.3 神中鉄道払下げ車
5.4 自社発注客車(日本車輌製)
5.5 戦後の国鉄払下げ車
6.貨車/6.1 有蓋車
6.2 無蓋車
6.3 その他の貨車
6.4 石炭輸送
6.5 化成品輸送用タンク車
7.その他の車両/7.1 雪と闘う
7.2 借入車両/7.3 夕張鉄道の遺産
資料:在籍車両一覧表
参考文献・資料
おわりに
スタッフ
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明治から大正にかけて開発の進んだ炭鉱都市・夕張と札幌地区を結ぶため、今から100年前の1924(大正13)年に夕張鉄道が創設されました。1930年に新夕張(後の夕張本町)から野幌までの53.2kmが全通し、石炭輸送や旅客輸送で繁栄しましたが、札幌方面へ直通できない鉄道よりバスの方が有利であったことや炭鉱の閉山も相次いだことで、1975年に鉄道線は廃止されました。現在では「夕張鉄道」の名称のままバス事業者として存続しています。本誌ではその路線と沿革を紹介します。




目次
口絵写真
はじめに
1. 夕張鉄道の歩み/1.1 夕張炭田の開発
1.2 夕張鉄道株式会社設立
1.3 野幌延長
1.4 気動車導入とバス複合輸送
1.5 大勝号/1.6 幻の新路線
1.7 東急と札幌急行電鉄
1.8 平和炭鉱の増産と機関車増備
1.9 合理化の進展と鉄道廃止
1.10 「夕鉄」の残像
1.11 列車運行状況・輸送量と収支
1.12 夕張鉄道の施設
2. 夕張鉄道各駅停車
3. 接続する専用鉄道・専用線
おわりに
スタッフ
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「コトデン」の愛称で親しまれている香川県の高松琴平電気鉄道は、自社発注車や譲渡車を含め実に多彩な車両が活躍したことで知られています。同社は明治から大正時代にかけ設立された3つの鉄道が1943年に合併して誕生しましたが、もともと志度線は東讃電気軌道、長尾線は高松電気軌道、琴平線は琴平電気鉄道として設立されました。下巻では比較的記憶に新しい1960年代以降の譲渡車両について解説します。終戦直後の混乱期を脱し、阪神や京浜急行など改軌工事の不要な標準軌の大手私鉄からまとまった数の車両が入線することで、琴電の車両近代化は急速に進んでいきました。



目次
口絵写真
下巻のはじめに
7. 1960年代の譲渡車/8000型(810)/820型(820)
820型(820)
850型(850)
20型(21~24)
950型(950・960)
30型(27~39)/50型(55~57)
50型(55~57)
750型(750・760・770)
1020型(1021~1036)
Column6:琴電における台車改軌について
8. 1970年代の譲渡車/780型(780・790)→860型(860・870)
780型(780・790)→860型(860・870)
740型(740)→890型(890)
70型(71・72)
70型(73)/80型(81・82)
80型(81・82)
30型(25~38)
京急から琴電へ
Column7:工場施設の変遷
9. 阪神・三岐からの譲渡車/1050型(1051・1052)
1060型(1061・1062)
1053型(1053・1054)
1013型(1013・1014・1015・1016・1017)/1063型(1063)
1063型(1063)
おわりに
スタッフ
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「コトデン」の愛称で親しまれている香川県の高松琴平電気鉄道は、自社発注車や譲渡車を含め実に多彩な車両が活躍したことで知られています。同社は明治から大正時代にかけ設立された3つの鉄道が1943年に合併して誕生しましたが、もともと志度線は東讃電気軌道、長尾線は高松電気軌道、琴平線は琴平電気鉄道として設立されました。中巻では1940~50年代の譲受車および急行用車両について紹介します。



目次
口絵写真
中巻のはじめに
4. 1940年代後半の譲渡車/60型・70型
60型・70型
60型更新車
80型
7000型・9000型
5. 琴電の急行用車両/10000型
10000型
1010型
12000型
Column:琴電における貫通幌について
6. 1950年代の譲渡車/21
2000型・60型67
イメージカット
6000型
70型74・ 920型
10型・90型
Column:琴電における車体鋼体化・車体新造について
中巻のおわりに
スタッフ
高松琴平電気鉄道吊掛車の時代(上)

四国の香川県に3つの路線を持ち現在でも盛業中の高松琴平電気鉄道(ことでん)は、自社発注車や譲渡車を含め実に多彩な車両が
活躍したことで知られ、ファンからは「走る電車博物館」とまで言われるほどでした。明治から大正時代にかけて設立された3つの
鉄道が1943(昭和18)年に合併して生まれたもので、志度線はかつての東讃電気軌道、長尾線は高松電気軌道、琴平線は琴平電気
鉄道として設立されました。上巻では前身各社の生い立ちや琴電合併前に製造された車両を中心に紹介します。路面電車仕様の車両
で開業した東讃電軌・高松電軌に対し、琴平電鉄は当初より郊外電車として開業したことが、現在の志度線・長尾線・琴平線の性格
の違いによく表れています。また、戦後すぐに登場した貨車改造の電車や、塩江温泉鉄道・屋島ケーブル・八栗ケーブルについても
触れています。

・はじめに

1.高松琴平電気鉄道の沿革
 1.1 長尾線の高松電気軌道
 1.2 志度線の東讃電気軌道(→四国水力電気電車部→讃岐電鉄)
 1.3 琴平線の琴平電気鉄道
 1.4 高松琴平電気鉄道になってから

2.琴電前身各社の車両
 2.1 旧東讃電気軌道(→讃岐電鉄)の車両
 2.2 旧高松電気軌道の車両
 2.3 旧琴平電気鉄道の車両

3.高松琴平電気鉄道の車両(貨車由来のもの)

・Column1 塩江温泉鉄道
・Column2 高松周辺の登山鉄道
・Column3 琴電における方向転換について

・上巻のおわりに
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鉄道が陸上交通の主役であった1960年代までは全国各地の私鉄で貨物営業が行われていましたが、道路が整備され貨物輸送の主役がトラック輸送に代わると、貨物輸送を縮小・廃止する鉄道が相次ぎ、貨物用電気機関車も減少傾向となりました。1993年4月時点で貨物営業を行っていた電化私鉄は全国で8社でありましたが、30年を経過し秩父鉄道、黒部峡谷鉄道、三岐鉄道のわずか3社まで減少しました。下巻ではそのうち黒部峡谷鉄道、三岐鉄道をはじめ、貨物輸送以外の用途で残る車両も含め、この30年の間に在籍した西日本地区の14社の電気機関車について紹介します。




目次
口絵写真
下巻のはじめに
17. 岳南電車(←岳南鉄道)
18. 大井川鐵道/18.1 大井川本線
18.2 井川線
19. 遠州鉄道
20. 豊橋鉄道
21. 名古屋鉄道
22. 黒部峡谷鉄道
23. 富山地方鉄道
24. 北陸鉄道
25. えちぜん鉄道(←京福電気鉄道)
26. 福井鉄道
27. 三岐鉄道
28. 近江鉄道
29. 近畿日本鉄道
30. 神戸電鉄
資料:私鉄電気機関車一覧表(下巻分)
おわりに
スタッフ
私鉄電気機関車の変遷(上)

鉄道が陸上交通の主役であった1960年代までは、全国各地の私鉄で貨物営業が行われ、貨物列車の牽引用に
電気機関車やディーゼル機関車を所持していました。しかし道路が整備され貨物輸送の主役がトラックに
代わると、貨物輸送を縮小あるいは廃止する鉄道が相次ぎ、貨物用機関車も減少傾向となりました。
 本書では、1993(平成5)年に在籍およびそれ以降に入線した電気機関車について、その生い立ちと、
その後を紹介します。上巻は東日本を中心に16社を紹介、ほかに下巻掲載分を含めた全国の私鉄電気機関車
についてのカラーグラフが巻頭に掲載されます。

・巻頭グラフ カラーで見る私鉄電気機関車

 1.弘南鉄道
  1.1弘南線
  1.2大鰐線
 2.十和田観光鉄道
 3.くりはら田園鉄道(←栗原電鉄)
 4.蒲原鉄道
 5.越後交通
 6.長野電鉄
 7.アルピコ交通(←松本電機鉄道)
 8.上信電鉄
 9.銚子電気鉄道
10.東武鉄道
11.西武鉄道
12.小田急電鉄
13.相模鉄道
14.秩父鉄道
15.伊豆急行
16.伊豆箱根鉄道駿豆線

・資料 私鉄電気機関車一覧表(上巻分)
・上巻のおわりに
70系戦災復旧客車は、太平洋戦争中に空襲などで被災した車両を応急的に復旧させたものである。
戦災で数千両にも及ぶ膨大な車両を失った国鉄では、戦後の輸送量増大からくる輸送力の逼迫にも関わらず、資材不足や
生産力不足などから、失った車両を新製車両だけで補うのは到底不可能であった。そこで被災車両のうち台車や台枠、
車体など再利用可能なものを流用したうえで応急的な復旧を行ういわゆる「戦災復旧車」が、1950年までの間におよそ
400両が製造された。これら簡易的な応急復旧の車両は接客設備が著しく劣ることから、わずか数年で旅客車から荷物車
などに改造された。しかしそれも1960年代までには大半が廃車され、救援車など事業用に改造されたものが一部国鉄末期の
1980年代後半まで残存した。本書では時勢ゆえに記録が極端に少ない戦災復旧客車について、3巻にわたり外観のバリエー
ションを中心に写真や外観図を使って解説する。

・下巻のはじめに
4.形式別解説(郵便・荷物車)続き
 4.12 スニ75形
 4.13 マニ76形
 4.14 マニ77→マニ78形
5.形式別解説(事業用車)
 5.1 スヤ71形
6.事業用車への改造
 6.1 職用車
 6.2 配給車
 6.3 救援車
  (1)窓の少ない救援車
  (2)電車車体が残る例
  (3)客車車体が残る例
  (4)改造時期に疑問が残る例
  (5)振替車
・資料:事業用車車歴表
    番号変遷表
・終わりに

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太平洋戦争中に空襲や事故などで被災した車両を、戦後、応急的に復旧させたものが70系戦災復旧客車です。376両が製造されましたが、あくまで応急処置であったため、一部が荷物車などに改造された以外は1960年代までに大半が廃車されました。中巻ではスユニ72形からマニ74形まで荷物車を中心に解説し、巻末で戦災復旧客車が組み込まれた編成記録を52例収録しています。



目次
口絵写真
中巻のはじめに
4. 形式別解説(郵便・荷物車)続き/4.5 スユニ72 形
4.5 スユニ72 形
4.6 マユニ78 形
4.7 オニ70 形
4.8 スニ71 →マニ71 形
4.9 マニ72 形
4.10 スニ73 形
4.11 マニ74 形
Column:70系戦災復旧客車の編成記録
中巻のおわりに
スタッフ
70系戦災復旧客車 ーその形態バリエーションー(上)

70系戦災復旧客車は、太平洋戦争中に空襲などで被災した車両を応急的に復旧させたものである。戦災で数千両にも及ぶ膨大な
車両を失った国鉄では、戦後の輸送量増大からくる輸送力の逼迫にも関わらず、資材不足や生産力不足などから、失った車両を
新製車両だけで補うのは到底不可能であった。そこで被災車両のうち台車や台枠、車体など再利用可能なものを流用したうえで
応急的な復旧を行ういわゆる「戦災復旧車」が、1950年までの間におよそ400両が製造された。これら簡易的な応急復旧の車両
は接客設備が著しく劣ることから、わずか数年で旅客車から荷物車などに改造された。しかしそれも1960年代までには大半が廃
車され、救援車など事業用に改造されたものが一部国鉄末期の1980年代後半まで残存した。
本書では時勢ゆえに記録が極端に少ない戦災復旧客車について、3巻にわたり外観のバリエーションを中心に写真や外観図を使
って解説する。

・カラー写真で見る70系戦災復旧客車
・はじめに

1.70系戦災復旧客車の概略
2.70系戦災復旧客車の調査の流れ
3.形式別(座席者)
 3.1 オハ70形
 3.2 オハ71形
 3.3 オハ77→オハ78形
 3.4 オハフ71形

4.形式別解説(郵便・荷物車)
 4.1 オハユニ71形
 4.2 スユ71→スユ72形
 4.3 オユニ70形
 4.4 オユニ71形

・上巻終わりに

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【特集】津軽鉄道

津軽鉄道は、青森県の津軽半島の南北20.7kmを結ぶ非電化私鉄です。冬季には客車にダルマストーブを積んだ「ストーブ列車」が観光資源となっているほか、沿線に小説家・太宰 治の生家がある金木や桜の名所として知られる芦野公園があるなど、観光客にも知られたスポットを結ぶ路線となっています。1930(昭和5)年11月13日に全線が開通して以来、90年以上を経た現在もなお営業中のこの鉄道の沿革と概要を紹介します。



目次
口絵写真
巻頭カラーグラフ 四季の自然と人情溢れる津軽路を行く
口絵写真
はじめに
1. 沿革/1・1 路線の形成
1・2 ストーブを搭載した客車
2. 運転
3. 施設・駅
4. 車両/在籍車両
旧在籍車両
おわりに
スタッフ
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