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MOSTLY CLASSIC(モーストリー・クラシック) 発売日・バックナンバー

全190件中 46 〜 60 件を表示
1,080円
特集 ストラディヴァリウスとバッハ ヴァイオリンのための名作
 エルマン、フランチェスカッティ、グリュミオー、近年注目のイザベル・ファウストなどそうそうたるヴァイオリニストが使用してきたストラディヴァリウス。イタリア・クレモナの名工アントニオ・ストラディヴァリが作った名器。同時期にバルトロメ・グァルネリによって作られたのがグァルネリ・デル・ジェズ。「24の奇想曲」を生み出したパガニーニが愛用した。その楽器は「イル・カンノーネ(大砲)」と呼ばれた。この17、18世紀のヴァイオリンは、いずれも数億円はくだらない。
 現代の職人がどんな手を尽くしても、科学の力を借りても、これらの楽器を超えるものは作れない。「18世紀以降の製作者の理想は、楽器を進歩させることではなく、いかにして過去の名器に近づけるかにされる。このような完成品は他に例を見ない唯一の存在」と音楽プロデューサーの中野雄氏。それゆえ、希少な楽器は価格が高くなるのだ。
 ヴァイオリンの音は、人間の声に近いとされ、多くの作曲家を魅了した。ヴァイオリン音楽の旧約聖書とまで言われるのが、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」。バッハがケーテン宮廷楽長を務めていた1720年に作曲された。ソナタとパルティータが3曲ずつで構成され、有名な「シャコンヌ」はパルティータ第2番の終楽章。ここだけ独立して演奏されることもしばしばある。「最終楽章チャッコーナ(シャコンヌ)は、息詰まるような緊張感を伴いつつ、30もの彩り豊かな変奏によって、巨大な楼閣が築き上げられてゆく」と音楽ジャーナリストの寺西肇氏。
 この作品に対して新約聖書とされるのが、イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」(1924年)。近年、取り上げるヴァイオリニストが増えた。もちろん、バッハの作品を意識して作られた。6曲からなり、1曲ごとに当時の名ヴァイオリニストに献呈されている。第1番はシゲティ、第2番はティボー、第3番はエネスク、第4番はクライスラー、という具合。原稿の筆者のヴァイオリニスト、米元響子はシゲティの孫弟子。イザイを生んだベルギーで学び、いま住んでいる。彼女の住んでいるアパートの裏通りが「ウジューヌ・イザイ通り」。「イザイを弾くたびに『弾かせていただきます』と、その通りに向かってお辞儀をしてしまう時があります」と記している。
 特集は他に、◎ヴァイオリンの奏法について◎バッハのヴァイオリン・ソナタとヴァイオリン協奏曲◎ヴィヴァルディ「四季」◎モーツァルトのヴァイオリン作品◎パガニーニとその後の系譜◎ヴァイオリン協奏曲の立役者、などです。
表紙は、ストラディヴァリウス「レディ・ブラント」とバッハです。

◎BIGが語る 天満敦子 ヴァイオリン
 ポルムベスクの「望郷のバラード」が大ヒットし、クラシック・ファン以外の音楽好きにも広く知られるようになった天満。子供のころから英才教育を受けてきたわけではない。ヴァイオリンを始めたのは6歳と遅く、ほとんど練習をしなかったという。しかし、先生の教えることはすぐにできた。そして東京藝大付属音楽高校に進み、東京藝大1年のときには日本音楽コンクールで優勝した。今でも年間7、80回ステージに立つ。「ヴァイオリンが好きなのです。ヴァイオリンの音が好きです」と話した。

◎私の夢のコンサート
 音楽評論家ら5人に、ぜひ行ってみたかった、経験したかった過去のコンサートとその理由を寄稿してもらった。堀内修(ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」、1903年2月21日、ウィーン宮廷歌劇場)、伊熊よし子(ショパン「ピアノ協奏曲第2番」、1830年3月17日、ワルシャワ)、守山実花(チャイコフスキー「白鳥の湖」、1877年3月4日、ボリショイ劇場)ほか。

◎宮本文昭の気軽に話そう  ゲスト 山口尚人、ビルマン聡平 
 2人とも新日本フィルの団員で、山口はトロンボーンの副首席、ビルマンは第2ヴァイオリンの首席奏者。新型コロナウイルス感染拡大防止のためコンサートが中止となったのは新日本フィルも同じ。そこで、山口が呼び掛けて、一人一人のオーケストラ・メンバーが自宅などで演奏する「パプリカ」の映像を編集、「新日本フィル テレワークでパプリカをやってみた!」としてユーチューブで流した。約60人の大合奏となり、200万件以上のアクセスがあった。その経緯を2人が語っている。

このほか
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


1,080円
特集 ピアノ音楽の巨峰 ショパンとベートーヴェン
 “ピアノの詩人”と呼ばれたショパンが残した曲は、チェロ・ソナタなどを除きほとんどがピアノ作品で、しかも独奏曲でした。ショパンよりちょうど40歳上のベートーヴェンは、32曲のピアノ・ソナタをはじめ多くの傑作を書きましたが、交響曲やオペラなどすべてのジャンルに及んでいます。
 40年というのはピアノにとってはとても大きな差になります。ベートーヴェンの時代は、ピアノの音域が広がり、打弦機構が改良されるなど日進月歩で進化していきました。「ベートーヴェンにとってピアノは、自身の創作の深まりと展開と密接に結びついていた」と音楽評論家の西原稔氏。ショパンの時代は違い、ピアノの開発競争はベートーヴェンのころより落ち着いてきました。ショパンはピアノの好みをこんなふうに語っています。「気分の良いときはプレイエル、良くないときはエラール」。プレイエルとエラールはフランスを代表するピアノ・メーカーですが、ショパンはプレイエルを好んでいました。「プレイエルは鍵盤は浅めで、繊細なコントロールを要求するが、よりダイレクトに奏者のタッチが音に反映される」と音楽フィシリテーターの飯田有抄氏。
 ところで、新型コロナウイルスの感染拡大のため10月に開催予定だった第18回ショパン国際ピアノコンクールが1年延期になりました。ショパンの故郷ポーランドのワルシャワで5年に1度開かれるこのコンクールは、ショパンの作品だけが課題曲になっています。ピアノコンクールの世界最高峰で、現在活躍している世界のトップクラスのピアニストを輩出しています。第6回(1960年)で優勝したのがポリーニ、第7回がアルゲリッチ。第9回はポーランド人としては20年ぶりにツィメルマンが頂点に立ちました。日本人では第8回に内田光子が2位に入り、第11回で小山実稚恵が4位入賞しています。
 かつては、ピアニストは「ベートーヴェン弾き」と「ショパン弾き」と分けてとらえられていました。ピアニスト本人が得意とした作曲家が分かれていたのです。テクニックを駆使しエネルギッシュに、構築的で長いベートーヴェンのピアノ・ソナタと、サロンで軽やかに親密にしかし短い曲の中に感情が込められたショパンの作品とは、もちろん演奏法が異なります。
音楽評論家の真嶋雄大氏が取り上げたのは、ベートーヴェン弾きは、バックハウス、シュナーベル、フィッシャー、アラウ、ケンプです。現役でしたら、レーゼル、ブッフビンダーらがあがっていました。ショパン弾きは、コルトー、ルービンシュタイン、リパッテォ、フランソワらで、現在でもCDで親しまれています。若手ではブレハッチ。現代のピアニストは彼らに比べると器用になり、両方ともこなします。ポリーニやキーシン、ペライアやピリスらがそうです。来年行われるショパン・コンクールでまた新たなスターが生まれるでしょう。
 他に、◎ショパンの練習曲集、24の前奏曲集、バラード、夜想曲、ワルツ、即興曲、ピアノ協奏曲、他◎ベートーヴェンとショパンのピアノへの眼差し◎故郷喪失者ショパン◎ポロネーズとマズルカ、などです。
表紙は、ショパンとノアンにあるサンドの屋敷です。

◎コロナとの日々、そして未来
 新型コロナウイルスの感染防止のためコンサートが自粛されるようになって約3カ月。さまざまなアーティスト19人に①どんなふうに日常を過ごしていますか②コロナが収束したら何をしたいですか、と聞きました。「歌を始めたころや留学時代を思い出しながら過ごしています」(ソプラノ、天羽明惠)、「やっぱり室内楽を弾きたい。気の置けない音楽仲間と、自由に音楽で会話を楽しみたい」(チェロ、長谷川陽子)などの答えが返ってきました。

◎私の夢のコンサート
 音楽評論家5人に、ぜひ行って見たかった過去のコンサートとその理由を寄稿してもらった。1910年代のカペー四重奏団(喜多尾道冬)、1803年のベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」世界初演(渡辺和彦)、1904年のプッチーニ「蝶々夫人」世界初演(石戸谷結子)などです。

◎宮本文昭の気軽に話そう  ゲスト 小原孝 ピアノ・作曲・作詞
 NHK-FM「弾き語りフォーユー」のパーソナリティでおなじみの小原孝。同番組は22年になり、今年デビュー30周年を迎えました。中学から国立音大付属に通い、大学院を卒業しています。「理解ある先生に恵まれました」と話します。卒業してすぐ、安田祥子、由紀さおり姉妹の行っていた「童謡コンサート」の仕事をして、30歳でソロ・デビュー。演奏活動以外には、ピアノの先生向けのレッスンや講座を行っています。「マイペースでのんびりとやっていこうと思っています」

このほか
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


1,080円
富士山マガジン 2020.6月号

特集 シンフォニスト(交響曲作曲家)の時代 モーツァルト

 モーストリー・クラシックの「シンフォニストの時代」シリーズの第4弾はモーツァルトをタイトルに取りました。これまでのブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチをメーンにした3冊の特集では、ロマン派以降の作曲家を取り上げてきました。今回の特集は、メーンはモーツァルトとハイドンという古典派の巨匠2人です。さらにベートーヴェンをはさんで、同時代のシューベルト、ロマン派を代表するシューマン、メンデルスゾーン、ベルリオーズらを取り上げました。「ベートーヴェン以前以後」の作曲家たちです。
 ベートーヴェンは9曲しか交響曲を書きませんでした。そのいずれもが傑作として残っています。しかし、古典派の作曲家にとってたった9曲というのはありえません。モーツァルトはわずか35年の生涯で41曲もの交響曲を作り、ハイドンにいたっては約100曲以上の交響曲を作曲した。ベートーヴェンの交響曲のスタイルは1曲ごとに新たな創造性を入れ、創意工夫を凝らし、そして意味を持たせ、まったく異なった曲のように作られている。それゆえに9曲が限界だった。古典派は違う。ある種のひな型があり、それに沿って作曲される。作曲家は貴族に雇われているから、パトロンの大量の注文に応えなければならないから、ひな型が必要なのだ。そういう時代の中で、モーツァルトやハイドンは、曲に自身の個性を埋め込み、後世に残る作品を作ることができた天才だったのだ。だから、ベートーヴェン以後の作曲家は、ベートーヴェンという金字塔を超える交響曲を作ることが難しくなった。ゆえにシューマンが4曲しか作らなかったように数は多くない。
 モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」から第41番「ジュピター」までの6曲を後期6大交響曲という。最後の第39、40、41番は3大交響曲で、1788年にわずか1年半足らずで生み出された。まさに〝神がかり〟といえよう。音楽ジャーナリストの寺西肇氏は第41番の解説で、バロック・ヴァイオリン奏者のアンドルー・マンゼの言葉を紹介している。「モーツァルトはこの瞬間、神に触れることができたのだ、と私は信じています」
 ハイドンはモーツァルトの30歳以上年上だが、お互いを尊敬しあう友人でもあった。1790年12月「、エステルハージ家の宮廷楽団が解散し、興行師ザロモンの誘いに乗ってロンドンに渡る。その前に会食した2人。モーツァルトは「ロンドンの冬は冷えます。くれぐれもお体を大切になさってください」とハイドンに声をかけたという。モーツァルトの慈しみに満ちた心が見えるようだ。ハイドンはロンドン時代、交響曲第94番「驚愕」、第101番「時計」、第103番「太鼓連打」など12曲の「ロンドン・セット」をものすることになる。
 他に、◎シンフォニアからシンフォニー モーツァルトの交響曲までの道筋◎古楽演奏が現代にもたらしたもの◎なぜ古典派からロマン派が生まれたのか◎ウィーン古典派の交響曲をシューベルトはいかに引き継いだか、などです。
表紙は、モーツァルトとプラハの街並みです。

◎BIGが語る 大友直人 指揮

 音楽監督として沖縄の琉球交響楽団を率いて6月12日に初めての東京公演を行う。大友と同楽団のつながりはNHK交響楽団の指揮研究員時代にさかのぼる。N響の首席トランペット奏者だった祖堅方正(そけん・ほうせい)さんが、沖縄に戻り、同楽団を立ち上げた。N響を指揮して知り合いだった祖堅さんに呼ばれ、最初はミュージック・アドバイザーという形でかかわった。来年、創立20周年になるが、まだまだだ。「琉球響の充実は大きなポテンシャルとなりえる。沖縄県民の皆様には夢をもっていただきたい」と話している。

◎宮本文昭の気軽に話そう  ゲスト 𠮷村結実 オーボエ
 東京音楽大学教授を務める宮本の大学時代の弟子。この4月、NHK交響楽団の契約団員から首席オーボエ奏者に就任した。オーボエを始めたきっかけは中高の吹奏楽部。高校3年生のとき、東京音大の講習会に参加した𠮷村を宮本は「講習会で音色がいい人は珍しいのです。聴いた瞬間に分かりました」と話す。日本音楽コンクールで1位を取り、パリに留学、兵庫県芸術文化センター管弦楽団にも所属した。「まだまだ余裕がありません。必死で過ごしています」と話す。

このほか
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


1,080円
 ショスタコーヴィチ(1906‐75)は生涯に15曲の交響曲を残した。10代の思春期から亡くなるまで、その人生はすっぽりとソ連という国に重なる。今でこそ独裁国家の欺瞞性は明らかになっているが、ショスタコーヴィチが現役だった時代には、社会主義国家体制による圧制はなかなか伝わらなかった。
 それでもショスタコーヴィチは亡命することなく、ソ連の中で生きることを甘受した。これについてドイツ文学の許光俊氏は「はっきりしているのは、ショスタコーヴィチの音楽の中には、社会や国家に対する愛憎矛盾した気持ちが表現されている」と記している。
 ショスタコーヴィチとほぼ同じ時代をソ連で生きたのはグルジア(現ジョージア)生まれのハチャトリアン(1903‐78)。バレエ「ガイーヌ」の中の『剣の舞』、フィギュアスケートでよく使われる劇音楽「仮面舞踏会」の『ワルツ』は聴いたことがあるだろう。決して前衛に傾くことなく分かりやすく、エキゾチックで強烈なリズムなどが特徴の音楽を書いた。交響曲は3曲書いている。しかし、あまりにも体制寄りの作曲姿勢は現代では毀誉褒貶相半ばする。
 8曲もの交響曲を書いたフィンランドの大シンフォニスト、シベリウス(1865‐1957)を忘れるわけにはいかない。祖国の民族叙事詩「カレワラ」に強く影響を受け、最初の交響曲「クレルヴォ交響曲」を作曲した。「トゥオネラの白鳥」が有名な交響詩集「レンミンカイネン組曲」も「カレワラ」による。音楽評論家の青澤唯夫氏は「シベリウスの音楽には、北欧の大自然の豊かな生命が力強く息づいている」という。
 特集では各国のシンフォニストたちを扱っている。ロシア・ソ連のラフマニノフ、ヴァインベルク、ドイツのヒンデミット、フランスのオネゲルとミヨー、イギリスのエルガーとヴォーン・ウィリアムズ、そして日本の作曲家たち、山田耕作、團伊玖磨、芥川也寸志、黛敏郎、一柳慧などだ。項目はほかに◎プロコフィエフ、ボロディン、スクリャービン◎アイヴズやコープランド、バーンスタインらアメリカの交響曲◎ドビュッシーとラヴェルはなぜ交響曲を書かなかったのか◎北欧、中欧のシンフォニストたち◎ヴィラ=ロボスの12の交響曲◎制度としての交響曲、思想としての交響曲、など。表紙は、ショスタコーヴィチとクレムリン大宮殿、ソ連国旗です。

◎大阪国際室内楽コンクール&フェスタ
 第10回大阪国際室内楽コンクール&フェスタが5月に行われる。カルテットやピアノ四重奏など室内楽のコンクールとして、回を重ねるごとに世界的に評価が高まっている。3月5日、大阪市内で記者会見が行われた。このコンクールを一層特徴づけているのはフェスタ部門。年齢制限や課題曲もなく、民族楽器のアンサンブルでもよい。しかも審査員は聴衆。今回もモンゴルの民族楽器のグループ、テンゲル・アヤルグーなどユニークなグループが出演する。また初めて一次ラウンドの公開審査が富山県高岡市と三重県津市で行われる。

◎宮本文昭の気軽に話そう
 ゲスト 富田隆(心理学者)
 宮本と富田氏は東京都港区立青山小学校の同級生。小学校時代は二人で漫才コンビを組み、クラスの誕生日会に〝レギュラー出演〟する人気者。オーボエ奏者と心理学者、道は違ったが、このほど二人が監修する『ゼロから分かる! 図解クラシック音楽』(世界文化社)を出版した。「人生後半になって対談したり本を書いたり、と共同作業をするのは楽しいものです。不思議な縁を感じます」と宮本は話した。

このほか
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。
1,080円
 マーラーは〝夏休み作曲家〟だった。ウィーン宮廷歌劇場の芸術監督、指揮者の激務をこなさなければならない。空いている時間は歌劇場が休みの夏休みしかなく、マーラーは避暑を兼ね、リゾート地などに出かけ小さな作曲小屋にこもり、集中的に作曲をした。
 マーラーがウィーン宮廷歌劇場の芸術監督に就任したのは1897年。翌年にはウィーン・フィルの常任指揮者にも就任する。交響曲第4番は1899年8月、アルトアウス湖畔で着手、翌年夏に完成する。1901年夏はマイアーニックで過ごした。この休暇で作曲したのは「リュッケルトの詩による5つの歌曲」、「亡き子をしのぶ歌」の一部、そして交響曲第5番のスケッチを手掛けた。交響曲第6番「悲劇的」は、1903年夏、マイアーニックの作曲小屋で着手した。翌年9月、マイアーニックで交響曲第6番の第4楽章を作曲して完成。第7番も作曲を始めた、という具合。
 残された10曲の交響曲のうち、音楽ファンを超えてマーラーの名前を知らしめたのが交響曲第5番。イタリアの名映画監督ルキノ・ヴィスコンティが監督した映画「ベニスに死す」で第4楽章「アダージェット」が使われた。トーマス・マンの小説を原作とするが、マーラーがモデルとされる。第4楽章はハープと弦楽器だけで演奏される美しい音楽である。「それまで一部の熱狂的な支持にとどまっていたマーラーの魅力が広く世に知られるきっかけとなった」と音楽評論家の江藤光紀氏は書いている。
 ベートーヴェンは超難曲、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」について「50年もすれば弾けるようになるだろう」と豪語したという。作曲家としてはそれほど恵まれなかったマーラーは「やがて私の時代が来る」という言葉を残している。天才の作品は同時代に評価されなくても後世に光を当てられ、残っていくものなのだろう。
 他に、◎交響曲第1~10番、「大地の歌」◎マーラーが生きたハプスブルク朝最終期のウィーン◎マーラーの編曲◎マーラーの伝道師バーンスタイン◎1970年代以降のマーラー演奏◎R.シュトラウス、ロットの交響曲、などです。
表紙は、マーラーとマーラーの作曲小屋のあったトプラッハです。

◎BIGが語る
小林研一郎 指揮

 4月に80歳を迎える日本を代表する指揮者の一人、小林研一郎。傘寿記念として同月、チャイコフスキーの交響曲チクルス(全曲演奏会)がサントリーホールで行われる。大相撲の初場所で優勝した徳勝龍の「もう33歳でなく、まだ33歳です」という言葉を借りて、「まだ80歳」と話す。また11月にはハンガリー国立フィルの日本ツアーを指揮する。元気の秘訣を「両親の大きな力が私の体を今でも支えてくれていると思います」と話している。

◎宮本文昭の気軽に話そう
 ゲスト ピアノ・作・編曲・プロデューサーの羽毛田丈史
 宮本文昭も初期のころに参加していた「live image(ライブ・イマージュ)」の音楽監督を務める。今年で20年、7月に最終公演を迎える。最終回ということで、宮本も久しぶりに出演する。今年の参加アーティストは沖仁(フラメンコギター)、小松亮太(バンドネオン)、ゴンチチ(ギター・デュオ)、高嶋ちさ子(ヴァイオリン)らバラエティーに富んだ面々。「今は垣根がなくなってきています。『live image』は最初からそういうところにいたんです」と羽毛田は話す。

このほか
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。
1,080円
 日本でブルックナーがよく聴かれるようになったのは1970年代後半からである。もちろんフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、シューリヒトら先達の演奏は録音で聴くしかなかった。ヨッフム、ベーム、カラヤンらは60年代からの来日公演でブルックナーを取り上げているので生で聴いた人もいるだろう。昨年11月に来日したティーレマン指揮ウィーン・フィルとベルリン・フィルはいずれもブルックナーの交響曲第8番を演奏した。日本のオーケストラも頻繁にプログラムに載せるようになった。
 ブルックナーはリンツ大聖堂のオルガニストなどを務め、「テ・デウム」など多くの宗教曲を残しているが、オペラは書かず、今日演奏される作品は交響曲が多い。しかし、最初から成功したわけではなかった。
 1824年、オーストリア・リンツ近くの小さな村アンスフェルデンで生まれた。父親は村唯一の学校の校長とはいえ決して裕福ではなく、12歳のときに亡くなってしまう。ブルックナーは聖フローリアン修道院の給費生になることができ、まじめに勉学を修め、教師となった。ベートーヴェンを理想として交響曲を書き始めたのは30代後半。第1番が初演されたのは43歳になっていた。
 しかし、交響曲第6番までは成功したとは言えない。第7番こそが出世作だ。1884年、ドイツ・ライプツィヒでニキシュの指揮するゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された際、15分も拍手が鳴り止まなかったという。やっと保守的なウィーンにおいて評価が高まったのだ。ウィーンでリヒター指揮ウィーン。フィルによって初演された交響曲第8番第2稿は、1楽章ごとに拍手がわき起こった。
 ブルックナーは交響曲を何度も書き直している。たとえば交響曲第4番は、1874年11月に完成した「74年稿」があるが、これを78年に全面的に改定し、80年には第4楽章を大幅に改訂した。これが「78/80年稿」。さらに「86年稿」、「88年稿」も存在する。こうして改訂に明け暮れ、交響曲第9番は第4楽章が未完に終わり、96年10月に亡くなってしまった。
他に、◎ブルックナーとオルガン◎ウィーン・フィル、ベルリン・フィルとブルックナー◎チェリビダッケとブルックナー◎朝比奈隆のブルックナー◎ブルックナーとロマン派の音楽◎ブルックナーとブラームス、などです。
表紙は、ブルックナーと聖フローリアン修道院です。

◎2020年 注目の来日演奏家
 今年来日するオーケストラ・指揮者、ピアニスト、ヴァイオリニスト・チェリスト、弦楽四重奏団・室内楽団、オペラ・声楽の5ジャンル別に来日演奏家を掲載している。今年もベルリン・フィル(6月)、ウィーン・フィル(11月)が来日する。ベルリン・フィルを辞めたラトルは新たな手兵ロンドン響と9月に来る。ピアニストは3月にアルゲリッチがベートーヴェンの三重協奏曲を、4月にブニアティシヴィリが新日本フィルとラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾く。オペラはミラノ・スカラ座が9月に公演。「椿姫」と「トスカ」だ。

◎2019年回顧 ベスト・コンサート編 ベストCD&DVD編
 コンサートとCD&DVDの2つに分けて、それぞれ10人ずつ音楽評論家らにベスト5を挙げてもらった。近年、多様化が進み、満場一致というのはありえない。評論家の得意分野も違う。コンサートで複数から挙がっていたのは、クルレンツィス指揮ムジカエテルナ、メータ指揮ベルリン・フィル、シフ。CD&DVDはネルソンス指揮ウィーン・フィルのベーベーヴェン全集、クレーメルのヴァインベルク、サリエリのオペラ「タラール」。

このほか
◎中野雄の音楽人間模様
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


1,080円
特集「音楽になったイエス・キリスト」

目次 CONTENTS
12 巻頭言 イエス・キリストはどのように音楽化されたのか 西原稔
14 バッハの声楽作品に聴くイエス・キリストの生涯 樋口隆一
18 ヘンデルの異色のオラトリオ《メサイア》 三澤寿喜
20 バッハ「クリスマス・オラトリオ」 寺西肇
22 バッハ《ヨハネ受難曲》と《マタイ受難曲》 樋口隆一
26 教会暦で楽しむバッハのカンタータ 加藤浩子
28 「きよしこの夜」物語 萩谷由喜子
31 コレッリ作「クリスマス協奏曲」 寺西肇
33 クリスマス・キャロルあれこれ 萩谷由喜子
34 モンテヴェルディの「聖母マリアの晩課」 水谷彰良
37 ビーバー作「ロザリオのソナタ」 寺西肇
38 スターバト・マーテルという音楽の近づきやすさ 那須田務
40 “アヴェ・マリア”さまざま 萩谷由喜子
42 ミサの歴史と音楽 金澤正剛
44 パレストリーナ様式とは 金澤正剛
46 バッハ「ロ短調ミサ」 許光俊
48 教会音楽の様々なレパートリー 西原稔
50 聖書と音楽 金澤正剛
53 旧約聖書に基づく音楽作品 鈴木淳史
58 旧約聖書―オペラ題材の宝庫 岸純信
61 19世紀に花開いた“聖人伝の音楽化” 江藤光紀
66 ドイツ・リートにも脈打つキリスト教 喜多尾道冬
68 オルガニストとキリスト教 澤谷夏樹
70 フランツ・リストと宗教音楽 高久暁
72 ロシア音楽と鐘 マリーナ・チュルチェワ
75 想う―2019年冬に 権代敦彦
77 音楽になったイエス・キリスト コンサート・ガイド 横堀朱美
1,080円
 生誕250年記念のベートーヴェン特集も今月号が最後。3号目は1816年から亡くなる27年までの後期にスポットを当てている。「傑作の森」と言われた中期に比べ、作品は圧倒的に少なくなったが、その分、深化している。
交響曲は第9番「合唱付」のみ。「第九」は1818年ごろからスケッチが掛かれ、完成したのは1824年。初演は同年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場で行われた。ベートーヴェンが亡くなる約3年前になる。
第4楽章に歌われるシラーの詩「歓喜に寄す」は、ベートーヴェンの言葉「おお、友よ、これらの調べではない!もっと快い調べをともに歌おうではないか、もっと喜びあふれる調べを」が加えられた。シラーの詩には40人以上の作曲家が作曲しているが、音楽学の平野昭氏は「ベートーヴェン1人だけが『共和主義』と『世界平和』を祈念するようなメッセージとして仕立てたのだ」と書く。
「第九」の名盤は数多い。音楽評論家の岡本稔氏と鈴木淳史氏が、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、バーンスタイン、ベーム、カラヤン、ノリントン、ティーレマン、ラトルらの演奏を取り上げている。
晩年の大作といえば「ミサ・ソレムニス」をあげなければならない。ベートーヴェンにとって最大のパトロンだったルドルフ大公が1820年、モラヴィアのオルミュッツの大司教に就任することになった。ベートーヴェンは就任式で上演するためのミサ曲の作曲を約束、それが「ミサ・ソレムニス」。結局、就任式には間に合わず、1823年3月26日、サンクトペテルブルクで初演された。自筆総譜の冒頭にベートーヴェンは「心より出でて、心に至らんことを」と書いた。ルドルフ大公に捧げられたのは写譜家による楽譜で、この言葉が書かれた自筆譜は誰にも渡さず、死ぬまで手元に留めた。ベートーヴェンの本心なのだ。
ピアノ曲は第28番から第32番までのソナタ5曲、小品のバガテル、そして33もの変奏曲からなる「ディアベリ変奏曲」が生まれている。なかでも第29番「ハンマークラヴィーア」は現在でも演奏至難な作品で知られる。なにしろベートーヴェン自身が「50年も経てば演奏されるだろう」と豪語したほど。1824年に内輪の集まりで弟子チェルニーが初演、公開初演はベートーヴェン死後の36年、チェルニーの弟子リストが行った。どちらも当時の大ヴィルトゥオーゾだ。1819年に出版されているので、今年はちょうど200年になる。
  「ディアベリ変奏曲」の成り立ちも変わっている。ウィーンの音楽家で出版業者のアントン・ディアベリは「独立開業記念・楽譜出版プロジェクト」を企てた。1818年、ディアベリは自作のワルツをオーストリアの多数の作曲家に送り、これを元に変奏曲を書いてくれるように依頼。ベートーヴェンもその1人で、スケッチは書かれたが、「ミサ・ソレムニス」の仕事などで放っておかれたまま。ディアベリは矢の催促を行い、結局足かけ4年かけてベートーヴェン1人だけの「ディアベリ変奏曲」が完成した。この作品の初演もチェルニーが行っている。
他に、◎ベートーヴェン、その劇的生涯◎シューベルト、ベートーヴェンを語る◎弦楽四重奏曲第12~第16番◎ベートーヴェン時代のピアノ◎楽譜出版の勃興にも敏感だったベートーヴェン、などです。
表紙は、1820年のベートーヴェンです。

◎BIGが語る
第31回高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門受賞
アンネ=ゾフィー・ムター ヴァイオリン(下)

 3回連続のムターのインタビュー連載も最終回。ムターはルトスワスキ、リーム、デュティユー、グバイドゥーリナ、ペンデレツキら多くの現代音楽を積極的に演奏している。「音楽家の崇高な使命は、聴衆を多彩な音楽の世界へ導く旅に誘い、教育することです。来る何世紀にもわたって、演奏者、聴衆、共に音楽に対する理解を深め、拡大する必要があるのです」と話す。ムターは来年2月に再び来日、ベートーヴェン生誕250年記念の「サントリーホール スペシャルステージ」を行う。ベートーヴェンの三重協奏曲、室内楽、リサイタル、マスタークラスと多彩なスケジュールが組まれている。

◎「宮本文昭の気軽に話そう」ゲスト ヴァイオリン 服部百音

 父は作曲家服部隆之、祖父は服部克久、曾祖父は服部良一という代々作曲家の音楽一家に生まれた。ドア1枚を隔てて練習をしていると父親が「いま変ニ長調の曲を書いているんだからハ短調の曲を弾かないでくれ」と言われたことも。ロシア出身の名匠ザハール・ブロンに師事している。「音楽を感覚で捉えたり弾いたりするのではなく、1つの音やフレーズをきちんと理屈で考えることが大事」と教わった。11月22日に紀尾井ホールでリサイタルを行う。R.シュトラウスのソナタにラヴェルの「ツィガーヌ」などを演奏する。

このほか
◎中野雄の音楽人間模様
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。


1,080円
表紙 1815年のベートーヴェン

特集 生誕250年 ベートーヴェン 「傑作の森」
    「運命」と「皇帝」 中期1804~1815 3号連続

 今月号はベートーヴェンの中期の特集。交響曲で言えば第4番から第8番まで、ピアノ・ソナタで言えば第23番から第27番まで、「熱情」(第23番)、「テレーゼ」(第24番)、「告別」(第26番)が作曲された時期になる。このほかヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲第5番「皇帝」、弦楽四重奏曲「ラズモフスキー・セット」、「大公」や「幽霊」などのピアノ三重奏曲、オペラ「フィデリオ」などたくさんの名曲が生まれている。
 それゆえフランスの作家ロマン・ロラン(1866-1944)はこの時期を「傑作の森」と称した。ノーベル文学賞を受賞したロランの長編小説「ジャン・クリストフ」は、音楽家の人生の苦悩と喜び、魂の成長などを描いており、ベートーヴェンがモデルと言われた。日本においても広く読まれ、「読者はベートーヴェンの生涯と創作をいわば人生哲学として理解した」(西原稔・桐朋学園大教授)。ロランは日本人のベートーヴェン受容に大きな影響を与えている。
 中期の傑作の1つが「交響曲第5番『運命』」。1807年に作曲され、翌年初演された。始まりの「ジャジャジャジャーン」はクラシック音楽でもっとも印象的な出だしだろう。もちろん「運命」はベートーヴェン自身が付けたタイトルではない。秘書を務めたアントン・シンドラーが出だしの意味を尋ねたところ、「かくして運命は扉を叩く」と答えた、というエピソードに基づいている。しかし、今ではシンドラーの創作ではないか、とこの逸話に信憑性がないとされ、「運命」を付けずにただ交響曲第5番と表記されることが多くなった。
 第5番は有名曲だけに数え切れないほどの録音がある。音楽評論家の鈴木淳史氏に9人の指揮者のCDの聴き比べをしてもらった。たとえばブーレーズ。「高揚もなく、ひたすらすべてを均質化して響きを再構築していく。それぞれの響きがどのようにして作られているかをじっくりと見せてくれる」。カルロス・クライバーは「とにかくスマートだ。深刻な表情で語られる運命動機とはサヨウナラ、尊大で上から目線で説教されるベートーヴェンももう必要なし」と記す。
 また、音楽評論家の岡本稔氏にはウィーン・フィルとベルリン・フィルのベートーヴェン演奏の違いを論じてもらった。もちろん指揮者によってその演奏は変わるが、ベルリン・フィルについては「一貫しているのは鉄壁ともいえるアンサンブルと広いダイナミックレンジだろう」。ウィーン・フィルは「古き良き時代の響きを今日にとどめているところだろう」という。
 名曲の解説の他に、◎ベートーヴェンその劇的生涯◎ベートーヴェンに消された作曲家たち◎「ウェリントンの勝利」はなぜ書かれ、喝采を博したのか?◎声楽曲にも息づくベートーヴェンの個性、などです。

◎BIGが語る
第31回高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門受賞
アンネ=ゾフィー・ムター ヴァイオリン(中)
 第31回高松宮殿下記念世界文化賞の授章式が10月16日、東京・元赤坂の明治記念館で行われた。音楽部門で受賞したヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムターのインタビューの2回目を掲載している。スコア(総譜)を読むことの大切さや音楽における色彩とコントラストの重要性などを語っている。来年生誕250年を迎えるベートーヴェンについて「私にとってベートーヴェンは、音楽がよって立つべきエッセンス、真髄の具現者です」と話している。

◎サントリーホール創設者 佐治敬三生誕100年記念展示
 今年はサントリーの社長、会長を務め、サントリーホールを作った佐治敬三氏の生誕100年。これを記念して「夢大きく―創設者・佐治敬三 生誕100年記念展示―」が11月1日(金)から30日(土)まで開催される。サントリーホール大ホールの1、2階の壁面に写真や音楽家からのメッセージなど約60点が展示される。
 ベルリンにカラヤンを訪ね、ホール建設のアドバイスをもらった際の写真や、建築工事中に作曲家、芥川也寸志と現場を訪れた写真、そして1986年10月12日のオープニングでパイプオルガンのラの鍵盤を押す佐治氏など貴重な、懐かしい写真の数々が飾られる。サントリーホール大ホール公演の来場者は開場時間から閉門時間まで鑑賞できるほか、11月8日、11日、27日は一般公開日としてチケットがなくても鑑賞できる。

このほか
◎「宮本文昭の気軽に話そう」ゲスト テノール 宮里直樹
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。
1,049円
表紙 1803年のベートーヴェン

特集 生誕250年 ベートーヴェン
   「英雄」出現 前期1770~1804 3号連続

 1770年、ドイツ・ボンに生まれたベートーヴェンは来年、生誕250年の記念年を迎える。モーストリー・クラシックは2019/20年シーズンが始まった9月から3カ月連続でベートーヴェンを特集する。創作時期を3期に分けて今月号は前期(1770~1804)。タイトルの「『英雄』出現!」の「英雄」はもちろん交響曲第3番「英雄」のこと。1803年に作曲され、1804年に初演された。ここまでを前期とした。
 ベートーヴェンは、はじめピアニストとして活動しただけあって、32曲が残されたピアノ・ソナタのうち第22番までが、1804年までに作曲されている。タイトルが付いた有名曲をあげると、第8番「悲愴」、第14番「月光」、第17番「テンペスト」、第21番「ワルトシュタイン」が含まれる。「悲愴」は「告別」(第26番)とともにベートーヴェン自身がタイトルを付けた2曲のうちの1つ。音楽評論家の真嶋雄大氏は「ベートーヴェンが表現しようとしたのは、悲壮感そのものではなく、苦悩や絶望などから脱却しようとする強烈な希求である」と指摘する。また「月光」はドイツの音楽評論家で詩人のレルシュタープが「スイスのルツツェルン湖の月夜の波に揺らぐ小舟のよう」と形容したことから名付けられた。この「月光」はベートーヴェンが恋をしたとされる14歳年下の伯爵令嬢、ジュリエッタ・グイチャルディに捧げられた。
 ヴァイオリン・ソナタは10曲のうち第9番までが前期に書かれた。しかも27歳から32歳までの5年間に集中して作曲されている。音楽ジャーナリストの寺西肇氏は「特に音楽史に残る傑作となった第5番《春》や第9番《クロイツェル》をものしたことは、奇跡にも近い。つまり、このジャンルこそが、楽聖の深化ではなく、『天賦の才を持ち併せた証拠』とは、言い過ぎだろうか」と賞賛する。「春」のタイトルの由来は分かっていない。「ロマン派を先取りする甘い楽想と全曲に満ちあふれた陽光、苦悩に満ちたイメージとは全く別の、楽想の魅力を示す佳品」と寺西氏。
 交響曲第3番「英雄」は、ナポレオンについてのエピソードとともに語られることが多い。ベートーヴェンはナポレオンを尊敬していたが、皇帝に即位したというニュースを聞いて激怒、「英雄」と書かれた表紙を破り捨てた、というもの。しかし、これは現在では虚構とされている。原語のイタリア語では「シンフォニア・エロイカ」であり、英語ならヒロイック、「英雄的交響曲」「英雄の交響曲」としたほうが正確である。「ベートーヴェンが示した偉大さとは、神ではない人間の、しかし天に近づこうとした人間の偉大さだった」とドイツ文学の許光俊氏。
 他に、◎ベートーヴェン、その劇的生涯◎「ハイリゲンシュタットの遺書」と真情◎ベートーヴェンが生きた18~19世紀の欧州事情◎ピアノ・ソナタ全集を遺したピアニスト◎ヴァイオリン・ソナタ全集を録音した名手、などです。

◎BIGが語る
第31回高松宮殿下記念世界文化賞受賞 アンネ=ゾフィー・ムター ヴァイオリン
 天才少女から巨匠へと見事に才能を開花させ、世界を代表するヴァイオリニストの1人となったアンネ=ゾフィー・ムター。今年の第31回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したことが発表された。ムターは1963年、ドイツ・ラインフェルデン生まれ。13歳のとき、カラヤンに見いだされ、ベルリン・フィルでデビュー。カラヤン唯一のヴァイオリンのソリストとして活躍した。現在は「ヴァイオリンの女王」と称されるほどの存在感を示す。14歳のときに受けたカラヤンの教え方について話している。
 「カラヤンはスコア(総譜)の前に私を座らせ、何日も何日もスコアの説明をしたのです。オーボエが何をしているのか、フルートが何をしているのか。曲の“鳥瞰図”を理解させようとしたのです」

◎ペトレンコのベルリン・フィル首席指揮者就任披露演奏会
 WMSベルリン、マンスリー・ベルリン・フィルの2つのコーナーで、キリル・ペトレンコのベルリン・フィル首席指揮者就任披露演奏会を取り上げている。コンサートが行われたのは8月23日。最初にベルクの「ルル」組曲が演奏され、メーンはベートーヴェンの交響曲第9番。ペトレンコは「もし人類を代表する音楽があるならばそれは『第九』です。私とベルリン・フィルの新しい時代のスタートになるべきだと考えました」と「第九」を取り上げた理由を話した。
 ペトレンコはかなり速いテンポでオーケストラを引っ張った。しかし、「決して窮屈な演奏というのではない。常に枠からはみ出そうとするベルリン・フィルの積極性とのせめぎ合いにより、この音楽が持つ表現の激烈さが一層際立った」とリポートされている。

このほか
◎青島広志の新連載「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。
1,049円
表紙 若きブラームスと晩年の姿

特集 ブラームスの魅力

 ブラームスを嫌いな日本人はいないだろう。それは思い切り発散する音楽ではなく、どちらかと言えば暗さを感じる旋律で、長調ではなく短調の作品が多いからだろう。桐朋学園大学教授の西原稔教授は「クラリネット五重奏曲」や「3つの間奏曲」などを例に出し、「少なくとも日本のブラームス愛好者の心を引きつけてやまないのは、このほの暗さにあるのではないだろうか。彼のほの暗さには、人間の弱さと救済への願望が込められており、それが聴く者の琴線にいたく触れるのである」と記す。
 ブラームスは、交響曲は4曲、ピアノ協奏曲は2曲、ヴァイオリン協奏曲は1曲しか作らなかった。しかし、室内楽曲や器楽曲は膨大にあり、声楽曲はさらに多く300曲以上の歌曲や合唱を作曲した。
 ブラームスの慎重な性格は交響曲第1番の創作態度に表れている。着手したのは1854年の21歳のとき。完成したのは21年後。作曲が進まなかったのは当然大先輩、ベートーヴェンの存在ゆえ。屹立する巨匠の交響曲群とどう対峙し、乗り越えていかなければならないかなどについて日々、頭を悩ませた。そのかいはあった。初演は1876年。これを聴いた当時の大指揮者ハンス・フォン・ビューローは「これはベートーヴェンの第10番である」と高く評価した。さらに評論家のエドゥアルト・ハンスリックは「ベートーヴェンの後期の様式に、ここまで肉薄した作曲家はブラームスをおいて他にいないのでは。彼は模倣こそしないが、内面の深い部分から創造された作品は、ベートーヴェンに近接していると感じられる」と賛辞を送った。
 ブラームスには民謡、民族音楽の変奏曲もたくさんある。その興味は日本の音楽にまで及んだ。「日本の旋律」という楽譜集を所有していたことにも明らかである。1887年から90年、第11代大垣藩藩主だった戸田氏共伯爵がオーストリア・ハンガリー兼スイス特命全権大使としてウィーンに赴任していた。夫人の極子(きわこ)は山田流箏曲の名手だった。極子は岩倉具視の娘で、「鹿鳴館の華」と称された女性。実は、ブラームスは極子の弾く「六段の調」を聴いている。その感想や曲の特徴などを「六段」の楽譜に書き込み、極子にわたした。後に、この楽譜は戸田家からウィーン楽友協会に寄贈され保管されている。特集ページには約100年後、「六段の調」を聴くブラームスの姿を描いた守屋多々志の屏風(大垣市守屋多々志美術館所蔵)の写真を掲載している。
 他に、◎交響曲第1~4番◎ピアノ協奏曲第1,2番◎ヴァイオリン協奏曲◎ハンガリー舞曲集◎ブラームスと過去の音楽◎ブラームスの作曲の巧みさ◎ウィーン・フィルとベルリン・フィルのブラームス演奏◎根っからのロマン主義者ブラームス◎ブラームスを得意とする指揮者、ピアニスト 、などです。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト 森麻季 ソプラノ
 ソプラノの森麻季が9月13日(金)、東京オペラシティコンサートホールでリサイタルを行う。フォーレ、シャルパンティエ、グノー、ビゼーらすべてフランスもののプログラム。「フランス語の微妙で繊細な色合いを出しながら、歌詞として明快に聴かせなくてはならないので本当に難しいですね。私は巻き舌にならないように気をつけています」と話す。リサイタルには「愛と平和の祈りをこめて」というタイトルが付いている。森は東日本大震災の2011年から、思いをこめてシリーズとして開催してきた。

◎サントリーホール サマーフェスティバルとNHK音楽祭
 毎年恒例の2つの音楽祭を特別ページで取り上げている。サントリーホール サマーフェスティバル2019は8月23日(金)から31日(土)まで開催される現代音楽祭。イギリスの作曲家ジョージ・ベンジャミンのオペラ「リトゥン・オン・スキン」が、大野和士の指揮で日本初演(28、29日)されるのが話題。また、NHK音楽祭2019は10月から11月にかけて開催される。「伝統と革新」をタイトルに、コープマン指揮NHK交響楽団がモーツァルト「レクイエム」などを演奏(10月10日)。ビシュコフ指揮チェコ・フィルは、樫本大進をソリストにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲などを(10月25日)。ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア交響楽団はドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」などを披露する(11月7日)。

このほか
◎青島広志の新連載「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。
1,049円
表紙 パリのマドレーヌ寺院とマグダラのマリア像

特集 レクイエムとは何か

 モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3大レクイエムを中心に、「レクイエムとは何か」を特集している。
 「死者のためのミサ曲」である「レクイエム」の名は、「第1曲入祭唱」の最初の詩句「レクイエム・エテルナム」(永遠の安息)による。この特別なミサ曲は、王族や貴族、有力者の葬儀の際に作曲、演奏される。またカトリックは11月2日を「死者の記念日」と定め、この時も死者の安息を願って演奏される。
 モーツァルトの傑作「レクイエム」は、第8曲「涙の日」の8小節で終わっている。「レクイエム」が作曲された経緯は、さまざまな伝説に彩られ、映画にもなった。モーツァルトに注文をした男は名乗らず、依頼者を明らかにしなかった。その男は夏なのに灰色のコートを着ていたという。注文を受けたのは、モーツァルト最後の年となった1791年夏。秋にかけて、「ティートの慈悲」「魔笛」の2本のオペラを抱え、大忙しだったが、委嘱料が高額だったこともあって引き受ける。しかし、その後、体調を崩し、12月5日に死去した。
 今では依頼したのはヴァルゼック=シュトパッハ伯爵で、灰色のコートの男は伯爵の隣に領地を持ち、法律顧問をしていたライトゲープという人物であるなど、詳細な記録が発見され、明らかになった。しかし、モーツァルトの死後、サリエリがモーツァルトを毒殺しただの、モーツァルトは「死神から自身のレクイエムを依頼された」だの、さまざまな噂が飛び交った。
 ヴェルディのレクイエムの作曲のきっかけは、1868年のロッシーニの死。イタリアの作曲家13人が共同で「ロッシーニのためのミサ曲」を作った。ヴェルディはこの中の「リベラ・メ(我を救いたまえ)」を担当している。しかし、興行がうまくいかず演奏されずじまい。その後、イタリアの国民的な作家・詩人アレッサンドロ・マンゾーニの死を追悼する「レクイエム」を1874年に作曲した。この作品の「リベラ・メ」はマンゾーニのために書いた曲を転用している。イタリア・オペラの巨匠にふさわしいドラマチックで崇高な音楽が展開する。
 やはり傑作に数えられるフォーレの「レクイエム」は1888年1月16日、パリのマドレーヌ寺院で、建築家ルスファシエの葬儀においてフォーレ自身の指揮で初演された。曲は「洗練された格調の高さ、明晰さのうちに秘められた深い抒情的精神」(音楽評論家、寺西基之氏)というフォーレの特質をもっとも端的に示している。現在、演奏される「レクイエム」はこの第1稿ではない。第1稿は「入祭唱とキリエ」「アニュス・デイ」など5曲しかなく、ヴァイオリン・パートがない独特なものだった。その後に楽器の追加や改訂がなされ、1900年のパリ万博開催において演奏されることになり、ヴァイオリン・パートが加えられ通常の2管編成になった。
 神に死者の安息を願う「レクイエム」は、今日では教会を離れオーケストラと合唱団のレパートリーとしてコンサートホールで演奏されるようになった。20世紀は「レクイエム」が普遍性を獲得した時代と言えるかも知れない。それでも2つの世界大戦など世界中で悲劇は絶えない。それゆえブリテン、リゲティ、ペンデレツキ、細川俊夫ら現代作曲家の「レクイエム」が生まれ続けている。
 他に、◎ルネサンスとバロックのレクイエム◎レクイエムの構造と典礼文◎古典派の作曲家たちのレクイエム◎ブラームス「ドイツ・レクイエム」、ベルリオーズ、ドヴォルザーク◎レクイエムを録音した名指揮者たち◎20世紀に書かれたレクイエム、ブリテン「戦争レクイエム」などです。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト 上野星矢 フルート
 いま人気のフルーティスト。東京芸大を経て、パリ国立高等音楽院を卒業。ランパル国際フルートコンクールで優勝した俊英。今夏も志賀高原で「フルート合宿」を行う。8月に4泊5日で4期に分けて、小学生から年配者まで、各期で最大25人も参加する。講師は他に2人いるが、20日間の日程を終えるとくたくたになる。「ほとんど高地トレーニングですね。終わって東京に戻ると、どんな長いフレーズでも吹けるぞ、という気持ちになります」と話していた。11月10日(日)にはサントリーホール大ホールでリサイタルを開く。

◎ステージ 藤岡幸夫 指揮
 この4月に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者に就任した。7月26日(金)、東京オペラシティコンサートホールで就任披露公演を行う。プログラムはシベリウスの交響詩「大洋の女神」、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」(ヴァイオリン:神尾真由子)、ウォルトンの交響曲第1番と、藤岡らしい「攻めの選曲」。「僕ならではの挑戦的なプログラミングでやっていきたいと考えています」と話す。11月の定期演奏会では伊福部昭の舞踊組曲「サロメ」などを指揮する予定になっている。

このほか
◎青島広志の新連載「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
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表紙 シューベルトの友人たちが催し、シューベルトの作品が演奏された夜会、シューベルティアーデの風景

特集 シューベルトとドイツ・リート(歌曲)

 “歌曲王”シューベルト(1797-1828)は、わずか31年の生涯で約1000曲もの作品を残し、その半数以上が歌曲(リート)といわれる。「野ばら」や「魔王」、「菩提樹」などは昔から日本人に親しまれてきた。
 その中でも、「美しき水車小屋の娘」、「冬の旅」、「白鳥の歌」は3大歌曲集として今日まで歌いつがれてきた。「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」はウィルヘルム・ミュラーの詩に、「白鳥の歌」はレルシュターブ、ハイネ、ザイドルの詩に曲が付けられている。
 ミュラーの「美しき水車小屋の娘」ができた経緯は、ベルリンの枢密顧問官シュテーゲマンのサロンで、「水車小屋に住む美しい娘と粉ひき職人の恋物語」という歌芝居が行われた。客たちは役割を分担し、ミュラーは粉ひき職人を演じ、数編の詩を作った。これを元にした詩集を発表、シューベルトは20編を選び作曲した。当時、ドイツの職人は技を磨くため遍歴の旅に出た。水車小屋の美しい娘を好きになるが、振られ、小川に身を投げる、という物語が展開する。
 「冬の旅」は第1集12曲、第2集12曲からなる。第1集は「おやすみ」から始まり、「孤独」で終わる。第2集は「郵便馬車」から「辻音楽師」まで。美しい旋律にあふれているが、最初に聴かされた友人たちは「暗い気分に当惑」したという。「『冬の旅』はまさに最高の心理劇である。恋人の犬すら自分を追い払おうとする情景を、ピアノのトリルで見事に表現し、主人公の心の世界を映し出す」と西原稔・桐朋学園大教授は記す。「白鳥の歌」はシューベルトが亡くなる直前に作曲され、出版社ハスリンガーによってまとめられ、出版された。前半のレルシュターブの抒情的な詩による7曲と、後半のアイロニーを感じるハイネの詩による6曲は対照的な作品になっている。
 多くの名歌手が、オペラだけでなく歌曲を歌ってきた。「多くのドイツ歌曲を歌う歌手が3大歌曲集に心ひかれるのは『弱い人間』の葛藤、懊悩に由来するのだろう」と音楽評論家の國土潤一氏。3大歌曲集を最も多く録音したディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライ、ペーター・シュライヤー、エルンスト・ヘフリガー、フリッツ・ヴンダーリヒらの名前をあげた。
 現代のリート歌手は、クリスティアン・ゲルハーヘル、マティアス・ゲルネ、イアン・ポストリッジ、マーク・パドモアらが活躍。若手の注目株にはベンヤミン・アップル、クリスティーネ・カルクらがいる。
 他に、◎シューマンのリート「詩人の恋」「リーダークライス」など◎ブラームスのリート「アルトのための2つの歌」など◎マーラーのリート「子供の魔法の角笛」など◎イタリア、フランス、イギリス、ロシアの歌曲◎作曲家を歌曲に向かわせた詩人たち◎歌手を引き立てる伴奏ピアニスト、などです。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト ピアノ 深沢亮子
 昨年、東京とウィーンでデビュー65周年リサイタルを開いた。長いキャリアを誇り、ウィーン仕込みの演奏を聴かせてくれる。ウィーン国立音楽大学に留学したのは高校2年のとき。バックハウスは東京で深沢の演奏を聴いていた。ウィーンに行ってすぐ、バックハウスのリサイタルがあり、楽屋を訪ねると、覚えていてくれて感動した、と話す。最近はアンサンブルでの演奏が増えた。10月にはヴァイオリンの中村静香とデュオ・リサイタル。12月には室内楽の夕べで、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲などを演奏する。

◎ステージ 駒井ゆり子 ソプラノ
 駒井ゆり子はパリ・エコール・ノルマル音楽院に留学し帰国。フランス歌曲の第一人者として活動をしている。「フランスの芸術歌曲と呼べるのはフォーレ以降の新しい分野です・フランスの歌曲は文学や美術との関わりが大きいのです。一般にはドイツ・リートよりハードルが高いのです」と話す。フランス歌曲の裾野を広げる活動にも力を入れる。コンサートで解説を行うのはもちろん、イラストを描き、スライドを作るなどして聴衆の理解を促す。「私が面白いと思ったものを少しでも分かってほしい」と話す。

このほか
◎青島広志の新連載「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。
1,049円
表紙 第15回チャイコフスキー国際コンクール、アシュケナージ、諏訪内晶子、トリフォノフ、クレーメル

特集 世界の音楽コンクール

 国際音楽コンクール世界連盟に加盟しているコンクールだけでも世界に122もある。日本も世界もコンクールだらけだ。あまり知られていないコンクール1つに入賞したぐらいでは注目されず、演奏家としてやっていくことはまず無理だ。それゆえ若き音楽家は次々とコンクールを目指す。
 6月17日に開幕するのはチャイコフスキー国際コンクール。第1回コンクールは1958年に行われた。実行委員長はショスタコーヴィチ、ピアノ部門の審査委員長はエミール・ギレリス。ヴァイオリン部門の審査委員長はダヴィド・オイストラフ。ソ連の威信を見せつけるはずだったが、ピアノ部門の優勝者はアメリカのヴァン・クライバーン。クライバーンの先生ロジーナ・レヴィンはロシア出身。ロシア・ピアニズムをたたき込まれたクライバーンを、審査員も聴衆も支持したのだ。逆にこのことがチャイコフスキー・コンクールを世界に知らしめたのかもしれない。
 チャイコフスキー・コンクールは日本人と相性がいい。第1回コンクールでピアノの松浦豊明が7位に入ったのを皮切りに、小山実稚恵が第7回(1982年)で3位、2002年の第12回で上原彩子が優勝を勝ち取る。ヴァイオリン部門のほうが入賞者は多い。第2回(1962年)で久保陽子が3位で初めて入賞、以後、潮田益子、佐藤陽子、藤川真弓らが入り、第9回(1990年)で諏訪内晶子が優勝を果たす。さらに第13回(2007年)にも神尾真由子が優勝した。
 ピアノコンクールの最高峰と言われるのはショパン国際ピアノコンクール。ショパンの祖国ポーランドの首都ワルシャワで5年に1度開催される。第1回コンクールは1927年、ソ連のレフ・オボーリンが優勝した。実はこの第1回にショスタコーヴィチも参加していた。コンクール直前に急性虫垂炎にかかるアクシデントに見舞われ、入賞はならなかった。
 ショパン・コンクールは後世に残るピアニストを輩出してきた。アシュケナージ、ポリーニ、アルゲリッチは現役で活躍、ツィメルマン、ブレハッチらと続き、直近の第17回(2015年)では韓国のチョ・ソンジンが優勝を飾った。チョは2009年の第7回浜松国際ピアノコンクールでも優勝している。
 ショパン・コンクールでは日本人優勝者は出ていない。第8回(1970年)の内田光子の2位が最高位で、第11回(1985年)4位の小山実稚恵、第12回(1990年)3位の横山幸雄らがいる。小山はショパンとチャイコフスキー両コンクールで入賞した唯一の日本人。
 ほとんどの演奏家がコンクールを足がかりに世に出る一方、コンクールをほとんど経験しない飛び抜けた才能を持つ音楽家も一部にいる。たとえばデビュー盤のバッハ「ゴルトベルク変奏曲」が大ヒットしたカナダのグールド。地元の小さいコンクール歴はあるが、キャリアが飛躍したのは「ゴルトベルク」からだ。もう一人、ピアニストではソ連出身のキーシン。11歳でリサイタル・デビュー、12歳で協奏曲デビューするなど、圧倒的な才能はコンクールを受ける必要がなかった。ヴァイオリニストのムターも神童で早熟だった。13歳でルツェルン音楽祭に出演し、カラヤンに認められ、ベルリン・フィルのソリストに起用された。カラヤンはヴァイオリン協奏曲の録音に必ずムターを使った。このように巨匠が若い音楽家を育てたケースもある。
 このほか、難関とされるミュンヘン国際音楽コンクール、ジュネーヴ国際音楽コンクール、小澤征爾、佐渡裕、沼尻竜典らを輩出したブザンソン国際青年指揮者コンクール、声楽部門が加わったロン=ティボー=クレスパン国際音楽コンクールなどさまざまなコンクールを取り上げている。
 他に、◎コンクールは何のために◎ソ連時代に行われた全ソ音楽コンクール◎ピアノメーカーの戦いでもあるコンクール◎ブーニン・ブームとは何だったのか◎日本のさまざまなコンクール、などです。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト クラリネット 四戸世紀
 読売日本交響楽団の首席奏者を務め、現在は東京音楽大学教授の四戸世紀。海外に出たきっかけが驚きだ。「ベルリン・フィルのカール・ライスターが来日したとき、どうしてもレッスンをしてほしかったので、パーティーで恐る恐るお願いしたんです」と話す。そして、モーツァルトを10分くらい吹いただけで、弟子にするからベルリンに来ないか、と誘われた。「人生が変わっちゃいましたね。しかも奨学金がもらえて、ベルリン・フィルのリハーサルも自由に聴けるわけですから行かないわけがない」といきさつを話している。

◎ステージ 河村尚子 ピアノ
 ドイツと日本を拠点に活躍を続ける河村尚子。このほどソニーからベートーヴェンのピアノ・ソナタ集のCDをリリースした。ピアノ・ソナタ第4番、第7番、第8番「悲愴」、第14番「月光」が収められている。今秋にはピアノ・ソナタ第23番「熱情」などを入れた第2彈をリリースする予定になっている。また、今秋公開予定の映画「蜜蜂と遠雷」では、主人公、栄伝亜夜のピアノ演奏を担当している。映画で一般の方々に芸術に関心をもってもらう良い機会、と喜ぶが、「娘をピアニストにさせたい、という楽観的な希望を持ってもらいたくないのです。ものすごくハードな職業だからです」と話した。

このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。
1,049円
表紙 カラヤン、カラス、フルトヴェングラー、デュ・プレ

特集 演奏家 最後の録音

 亡くなるまで現役を貫く、引退して第一線を退く、不慮の事故で亡くなる、など演奏家の“終活”の形はさまざま。特集では、指揮者、ピアニスト、弦楽器奏者、歌手など著名演奏家の最後のコンサートや録音がどう行われたか、などをくわしく解説している。
 20世紀を代表する指揮者アルトゥ-ロ・トスカニーニ。晩年、アメリカのNBC放送がトスカニーニのために作ったNBC交響楽団を指揮していた。1954年4月3日、ワーグナー・プログラムにリハーサルが行われた。「神々の黄昏」の「夜明けとジークフリートのラインへの旅」のところで、記憶違いを起こした。正しいティンパニーの演奏を、間違いと注意してしまったのだ。翌4日のコンサートでは、3曲目の「タンホイザー」より序曲とバッカナーレのところで、再び記憶をなくし、約20秒、指揮台の上に立ち尽くした。
 何とかコンサートを終え、自宅に戻ったトスカニーニは「まるで夢の中で指揮をしているようだった。私は何をしているのかすら、分からなかった」と家族に語った。これをきっかけに87歳のトスカニーニは引退、最後のコンサートになった。このときの録音がCDでリリースされている。しかし、音楽評論家の諸石幸生氏は「裏にこのようなドラマが起きていたことなど感じさせない、まさにトスカニーニの白熱的な演奏」と評している。
 病気で引退を余儀なくされ、早世したのはイギリスの名チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ。子供の時から優れた才能を表し、16歳でロンドン・ウィグモアホールにおいてデビュー・リサイタルを行う。「ミズ・デュ・プレには、有望などという言葉を使うのは失礼に思われる」(ザ・タイムズ)などと大絶賛され、センセーションを巻き起こした。
 1967年、22歳のとき、ダニエル・バレンボイムと結婚。やがて体の不調が続いた。実は、後に分かるが、彼女は多発性硬化症を発症していた。71年、一時的に体の調子がよくなったデュ・プレとバレンボイムは、ショパンのチェロ・ソナタとフランクのヴァイオリン・ソナタ(チェロ版)を練習し、レコーディングを行った。これが彼女の最後の録音となった。73年には来日するが、コンサート直前にキャンセルする。87年、42歳の若さで逝った。
 このほか、オペラは引退していたが、日本へのリサイタル・ツアーが最後の演奏となった不世出の歌手マリア・カラス、亡くなる前日である1989年11月4日まで録音を行い、生涯現役を貫いたピアニスト。ホロヴィッツら多くの演奏家を取り上げている。
 他に、◎最後の演奏や録音が意味するところとは…◎高齢もしくは最晩年の指揮者とオーケストラの最良の関係◎フルトヴェングラー、クーベリック、カラヤンの最後の録音◎オイストラフ、ミルシテインハイフェッツの最後の録音◎リパッティ、ルービンシュタイン、ミケランジェリの最後の録音、などです。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト 尺八・オークラウロ奏者 小湊昭尚
 大倉喜七郎男爵が大正時代末期から尺八を改良したオークラウロ。忘れ去られ幻の楽器となっていた。この楽器に新たな生命を吹き込むのが小湊昭尚。福島県の民謡小湊流の家元の長男に生まれ、人間国宝の故山口五郎に師事した。「不思議な楽器だと思われるでしょうね。見た目が金属製のフルートですが、縦に構えて演奏します。歌口は尺八と同じ形状なのです。音をうまく出せるまでにかなりの試行錯誤を重ねました」と話す。

◎サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン2019
 サントリーホール恒例の室内楽のフェスティバル「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン2019」が6月1日(土)から16日(日)まで、サントリーホール ブルーローズで開催される。今年で9回目。「様々な室内楽がまるで花のように咲き乱れるイメージでガーデン(庭)と名前を付けました」と堤剛同ホール館長。目玉の1つ、ベートーヴェン・サイクルに出演するのは、ドイツのクス・クァルッテット。「プレシャス 1pm」は1時間の短いコンサート。「ディスカバリーナイト」は、ジョン・健・ヌッツォら演奏家が温めてきた「秘蔵の企画」で室内楽の醍醐味を。さらに、同ホールの室内楽アカデミーのファカルティ(講師)やフェローが大活躍する。

このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
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